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泣いているだけで終わる日もある
年末頃から、それまでの早朝覚醒が一転して、眠いだるい起きられない、外に出ることへの高いハードル、完全に鬱のターンが来てる。
仕事の繁忙度が日に日に上がって、頭が回らなくなっている。
休日は10~14時間ほど寝て過ごす。怠くて仕方がない。
接骨院も身体は辛いのに行く頻度が減ってしまう。
自炊もあまり捗らない。
食事を忘れたり、目についたお菓子を味わいもせず食べ切ってそれで良しとしてしまったり。
お風呂は入れてる。ボタン一つでお湯が沸かせる家に住めてよかった。
年が明けてから、既に2回、起き上がることが出来ない、という理由で仕事に行けなかった。
今日も職場に行くつもりもあったが、ノーカンとする。
行きたい展示に行けない。
布団から体を起こせない。服を着替えられない。
顔を洗えない。
食事の支度ができない。
今日は祖父の7回忌だった。
美大勤めなので、卒展初日と重なるのは帰省が厳しいのではないかと思い、欠席した。
なのにどうしてか、今日は家を出られなかった。
終日、怠くて、動かない頭と体に焦燥感だけが膨らんで、泣いては鼻をかみ、泣いては鼻をかんだ。
昼頃に家を出て、美術館に寄って、卒展にも寄る予定だった。
今週は残業が多くて、特に日付が変わるまで仕事をしてる日が続いてしまい、帰っても寝れず4時に寝て、4,5時間の睡眠時間になってしまい、今の自分の体力的には二徹をしたも同然のしんどさだった。
それで疲れちゃって、今日は身体が(休みたい、いいや)ってなったんだと思う。
じゃあなんでこんな悲しく苦しく泣かなきゃいけなかったのか。
午後(何時頃とか分からないけど)、癇癪の手前くらいの嗚咽をしていた時、
「なんであの時死ななかったんだろう」
って思ってしまいボロボロ涙が出てきた。
さすがに苦しいし調子が悪いので、頓服薬を飲もうと水を取りに行くまでも、泣いて膝から崩れてしまって、なかなか汲めなかった。
「あの時」とは、18歳の6月に車に轢かれて怪我をした時のことだ。
来週には私は27歳になる。
10年近く経つのに、私はまだそこに居るんだ。
腰椎を折って入れていたチタンボルトを抜く手術をする前かな、
今年7回忌になる祖父が亡くなったのは。
自分は時系列記憶が苦手であまり自信が無い。
祖父を看取りに、研修に行くための飛行機を取りやめて地元へ戻り、
私は大変不謹慎なことに、祖父が息を引き取る瞬間に、自分もこの世から居なくなるのではないかと、それなりに本気に思っていた。
当時、今通ってる精神科クリニックへ通い出して、抑うつ状態もあり、自分が生きている実感がいまいち掴めずにいた。
幽霊みたいなものだと自分のことを思っていた。
今ある生活が、ほんとうなのか、手応えもなく、
目の前で、祖父が本当に亡くなるのであれば、私も一緒に消えるのかもしれない。と思っていた。
親族には、最低だと思われると思うけど、
祖父に自分を完全に重ねて見てしまっていたので、
情緒がおかしくなって、同居していた親戚以上に
わんわん泣いて鼻血まで出して、
その瞬間がくるのがとにかく怖かった。
結局、祖父は亡くなり、私はその瞬間をこちら側で見届ける形になった。
私の生活はまだ続いている。
それからもいろんなことを経験し、それらは私にとって大切で、未来に自分を生かすものがたくさんあるはずなのに。
あの時死ななかったことを責めるような思考になってしまったことに、今度は傷ついている。
嗚咽は疲れる。頭も目も痛い。身体は重い。
一度眠って感情を落ち着かせようと思いつつ、吐き出したい気もして、今ここにメモしている。
自分のことをもっと知りたい。
ただ責めなくていいように。殺さなくていいように。
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