『救心』(toitoitoi著)の感想
あー、もっと早く買うべきだった。
ずっと読みたいと思いながら、どこかで見つけたら買おうと思って出会いが遅くなったことをすごく悔やんでいる!
神様はいない。それは確かなことである。しかし、私たちは信仰なしには生きていけず、「神様みたいなもの」ばかり生み出してしまう。2021年ごろにブームになったマリトッツォは、パンに大量のクリームがはさまった背徳感あふれる食べもので、およそ商業的な目的がなければ食文化を一画を占めるとは思えないものだが、ブームに素直に乗っかる「君」は確かに素直で、愛らしい。
煮沸して沸騰すれば水はなくなるが、同じ工程で水以外のものが入っていれば、それは「煮詰める」という行為になる。煮沸がより濃度を高めるための行為になるには、そもそも煮詰められることに適した食材が対象に含まれていることが必要である。「煮沸」という行為「でありたい」という主体の願望は、主体自身が対象に対して行為を加える立場で成立する文章であり、そこにもおもしろさを感じる。
押ボタン式の歩行者用信号は、まさに歩行者のために特別に作られており、歩行者は、堂々とボタンを押して歩けばいい。しかし、この歌の「君」は、そんな歩行者が完全優遇されている環境にもかかわらず、車に配慮して、車が通り過ぎてから、車に迷惑をかけないようにボタンを押す性格の持ち主。そんな「君がまさかどうして」という結句は、とんでもないことを「君」がしでかしたことを推測させる。「優しい性格」をピンポイントで絶妙にわかる場面・行動で具体的に表していることで、登場人物の輪郭が太く魅力的に創られる。
「てじな~にゃ」は、みんな大好き山上兄弟がマジックを成功させたときの決め台詞。山上兄弟をはじめて見たとき、愛らしさというより、そろいの衣装で大人が思う愛らしさのアイコンがつめこまれたことをやらされている二人の様子に、芸能界の闇を感じてそわそわしたものだが、そもそもあの台詞が、神が世界を創生したときの言葉ということならば、話は変わってくる。そう、山上兄弟は、神の末裔だったのだ。そして、この世界は「手品」であったというディストピア感も魅力的で絶望的である。あと、「\」「/」の使い方である。やられた。これは、「」でくくってはだめなのだ。表記の発明。この歌によって短歌はまた世界を一つ広げた。
「きみもわたしも」桃缶を開かないのは、開けてしまったらもう戻すことができないからだろうか。下の句がユニークで、「永遠」が擬人化されて、心配そうにしている様子が浮かんだ。「永遠」だけが知っている永遠の孤独の世界に、「きみ」と「わたし」が入ってこないようにハラハラ見守っているよう。
「ニパチ」は、全品280円が売りのリーズナブルな居酒屋。便器で吐きながら、地球の周回を考えてるとなると、「ピースボート」の募集のポスターがあったのだろう。ここの「奨学金」は、どちらかというと返済義務を負っている負債の意味の感じがする。安い居酒屋で吐くまで飲んで、奨学金の返済という現実と、地球一周という非現実がぐちゃぐちゃになる光景は、青春と言えば青春で、社会問題と言えば社会問題で、日常と言えば日常で、私はとてもとても感傷的になってしまった。
全編を読んで、この歌集は、自分の中で、短歌に興味があるけど、何から読んだらいいか迷っている人に勧める歌集リストの1位になった。
一般的に、いわゆるアンソロジーをおススメすることが多いだろうが、アンソロジーは量が多くて、ライトに関心を持った方にはちょっとトゥーマッチだなと思っていたところ、『救心』は、三者三様の短歌、しかも同じ作者でも連作ごとに作風が微妙に異なっていたりして、口語短歌をこれから始める人にとって、自分の好みの短歌・ジャンルを見つけるのにもってこいだ。
第2歌集も楽しみに待ちたい。
あと、MIDIのnoteで三人が連載しているエッセイ&短歌もおススメです!