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武田ひか・篠原治哉著「銃と桃売場」の感想(#文学フリマで買った本の感想 #2)

武田ひかさん、篠原治哉さんの共著。
2人による短歌140首が収録されている。

まずは、連作が7作品続く。
どれも連作として意欲的なテーマ、構成になっていて、作品として魅力的だった。

桃売場 かたっぱしから溺れたい旬とか旬じゃないとかうるさい/武田ひか

「銃と桃売場」『金継ぎ』

桃には旬のものと旬じゃないものがあり、桃売場では、「旬」であることを過剰に宣伝する。主体は、それをうるさいと感じている。味にかかわらず、あらゆるすべての「桃」に片っ端から溺れたいというのは若干狂気的で、印象的。破壊衝動にも似た、主体の強い感情の動きがある。

非公開になってしまった音楽がうつくしくなりつづける日々に/武田ひか

「銃と桃売場」『金継ぎ』

Youtubeでは、ポリシー違反などにより公開されていた動画が非公開になってしまうことがある。その音楽は、繰り返し聞いていたお気に入りの音楽が非公開になってしまったが、非公開になってしまった後も、主体の心に鳴り響く。「なりつづける」は、「鳴り続ける」と「(美しくなる+続けるで)美しさが持続する・増していく」のダブルミーニングに読めた。失われたからこそ価値が失われないことがある。

1日2回髪を洗うと傷むらしい 傷んでから桃は香りだす/篠原治哉

「銃と桃売場」『ⅱ』

人間の髪は洗いすぎると傷んで、ハリやツヤが失われる。一方、果物の桃は傷みだして、香りや甘さが増していく。やたら自分の知識をひけらかすために他人のやっていることにぐちゃぐちゃ言う人がいる。上の句ではそうした人に知っているしどうでもいいことを言われた主体が、下の句でまったく違う角度からカウンターを入れているよう。

東京にいれば勝つしか方法がない 跳ねっ返りの20代/篠原治哉

「銃と桃売場」『ⅲ、あるいはⅰ』

詞書に友人から自分の仕事をブラックであると指摘されたことが書かれており、むきだしの言葉には、強い実感が込められている。同連作内の「おそらく手を銃の形にしてる人 苦しいね、好きで喋っていないと」「やたらみんな成功について話してる(話しすぎている)濁りつつ」も秀逸。東京に生きる息苦しさについて、主体個人としての実感と集団としての都市生活者の実感の両方が鋭利に切り取られている。

連作のあとには、「保存する」をテーマに、テーマに該当する他者の短歌の引用とその本歌取りをした歌5首、テーマにそった15首連作、という少し変わった作品に取り組んでいる。
しかし、まず前者の企画がおもしろく、武田さんと篠原さんで選ぶ短歌の雰囲気がかなり違う。
また、連作ではそのイメージを残しながらも、それぞれの「保存」された世界が描かれる。

しばらくを生きているらしい気づいたら菜の花を食う春の陸亀/武田ひか

「銃と桃売場」『完全版』

亀の寿命は長い。比較的大きくない陸亀でも、野性だと100年近く生きる。「知性」という厄介なものを抱えながら人間は長期間生きていくが、陸亀は何を考えながら生きているのだろうか。春を象徴する植物である菜の花を食べながら生命を維持していく陸亀にとって、生きることに意味があるとかないとかいうことは不毛で、単に「しばらく」というくらいなのかもしれない。

渋谷にもいくつもドトールはあって水の記憶をたよりに光る/篠原治哉

「銃と桃売場」『BF』

渋谷は、元々渋谷川という川が流れていた場所。今ではほとんどが下水道として暗渠になっていて私たちの目に入ることはないが、確かに今も地下を水は流れている。ドトールはどこにでもあるコーヒーチェーンで、リーズナブルな価格帯で私たちの生活に寄り添ってくれる。主体は、現在のように開発され尽くした渋谷の中で、自然の記憶に思いを馳せながら、自分の存在を確認している。

具体的な場面から抒情的で心の揺れを的確につく武田ひかさん。
ナンセンスな言葉を巧みに使いながら実感のある世界を構築していく篠原治哉さん。
タイトルの「銃」と「桃売場」という対照的なものと同じように違う個性がぶつかる魅力的な作品集だった。

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