自己分析ツールを使う人間の曖昧さ
この記事は、2年前に執筆したものを加筆・修正して公開したものです。
自分の扱い方を知りたい
「ストレングス・ファインダー」をご存知だろうか?
簡単に言うと、自身が持つ上位5位までの資質(強み)について知ることができる自己分析ツールだ。つまり自分自身が意識せずともよく使っている行動源泉について知ることができるのだ。
私は以前失恋した時、自身の扱い方がさっぱりわからなくなってしまい、自己理解に繋がるような自己分析ツールをめちゃくちゃやりまっくていた。
実際、その分析が本当に役立ったのかというと正直半信半疑ではあるのだが、まぁ単純にこういう診断をやる時間で思索を巡らせるのが好きみたいだ。
その手段の一つが「ストレングス・ファインダー」だった。
本屋で「ストレングス・ファインダー」の本を発見し、意気揚々と購入。その日の内に診断した。
私の上位資質は以下の5つだった。
ほほぅ、なるほど。各資質についての解説を読む。確かに自分はしょっちゅう内省しているな、と思ったり、情報や書籍やDVDなどをよく収集しておりオタッキーなところがあるよな、と思ったりした。
しかしその資質の活かし方がイマイチわからなかった。
失恋して、自分探しなんぞをしまくった挙句、転職するまで至ったのだが、転職活動するにあたっても、この自己分析が生きたのか、正直よくわからない。
その後転職先の研修で、研修担当の方が「ストレングス・ファインダー」における一人一人の強みと、その強みの活かし方についてレクチャーしてくれた。
弱点があるからこそ、お互いが必要
その研修で印象的な言葉があった。
その言葉を聞いた時、ハッとした。
強みがあれば弱みがある。人は、何かができるから条件付きで必要とされるのではない。何かできないことがあっても、それもその人の魅力であり、だからこそ他の人が補うことができる。そうやって補い合って、支え合って生きていくしかないのだよなと思った。
得意でないことも、頑張れば何とかなることもある。やらなければならない局面もある。でも時に頼ることも必要。「得意な人いませんか?」と声を上げてみることも大切なのかもしれない。
その為には、自分のことを知っておくと尚良い。「これ苦手だからお願いしても良い?」と誰かに伝えることが出来る。
逆に「それは得意だから代わろうか?」とも言える。
私が失恋した時に自分のことを知りたくなったのは、相手に上手く頼ることが出来ず爆発したからだった。
自己理解を深めることで、他者ともより良い関係性を築ける
爆発した要因はいくつかある。単純に相手に要望を伝えること自体も苦手だったし、そもそも自分は何が不得意で、どこまでが許容キャパなのか、自分で把握できていなかった。だから自分が頑張ればどうにかなると過信していたのだ。
爆発したことで、自分も傷ついたし、相手も傷つけてしまって激しく後悔した。自分を理解して、コミュニケーションの仕方も学んで、そして二度と同じことを繰り返したくないと思ったのだ。
自分を正しく理解するなんて一番難しいし、一生かかっても難しいかもしれない。だけど、少しでも理解することで、誰かと支え合い補い合うきっかけになるかもしれないと思ったら、なんだか素敵なことだよなぁ。
疑念
と、こんなことを書いていたのが彼是2年前になる。その間この文章は下書きにずっと眠っていた。
1年前、私は仕事でまた、自分で業務を抱え込んで爆発した。いや、人に頼る気はあったのだが、何を人に依頼できて、何を自分でやるべきなのか、その精査をする余裕すらなくなっていた。嗚呼かなしい哉。何が二度と同じことを繰り返したくないだ。結局同じ状況を繰り返しているのだ。
結局その研修を受けた会社は休職の末に退職した。自分のキャパシティを見誤る癖と、しんどさを率直に伝えられない癖はいい加減どうにかしたいものである。
そして今働いている職場で、また「ストレングス・ファインダー」をやることになった。3年程度ではたいして結果は変わらないだろう。そう思ったが、少しだけ変化があった。
3年前とは1~3位の順番が入れ替わりつつ、「共感性」「責任感」はグッバイして、「適応性」「運命思考」がランクインしたわけだ。
この「ストレングス・ファインダー」の各資質というやつは、4つグループに分けられるらしい。
私が持つ上位5資質は、1~3位がすべて「戦略的思考力」、4~5位は「人間関係構築力」にグループ分けされる。笑ってしまった。相変わらず人を巻き込んで影響を与える気がないみたいだし、行動する気もない。
前回の結果では唯一「責任感」だけが「実行力」グループの資質であったが、それさえもオサラバしている。ただ頭の中で思考を巡らせるだけが楽しいみたいな結果が、そのままオフモードの自分過ぎて笑ってしまった。
「共感性」が上位に入り得ないことなど、今思えば当然であるとわかる。共感できることもあるし、人に寄り添えるような人間になりたいという気持ちはあるが、全てには同意しかねるし、他者の全てに共感などできるはずがない、という捻くれた気持ちもどこかで常に持ち合わせているからだ。
爆発してしまった前の仕事でも、顧客に対して共感が必要な場面は多々あったが、素直に共感できたことなど数えるほどだった。また、相手の気持ちを想像してみるという行為も、自身が思っていた以上に苦手だった。
結局、前職への転職活動では自分を見誤っており、失敗に終わっているのだ。
こういった自己分析ツールは、設問に答える際にどれだけ自身に率直に答えられるか、いつどんな場面の自分として答えるかによって大分結果が左右されるのではないだろうか。
決めつける為のものではない
誰かに対する悪口の中で「あの人は『着想』が強いからな、話しがまとまらないんだよな。」というように「ストレングス・ファインダー」の資質が使われる場面に何度か遭遇したことがある。他の分析ツールの結果も同様に悪口に利用されていた。御尤もな分析であったとは思う。
しかし、誰かに自分を決めつけられることほど不快で悲しいことはない。その悪口が聞こえてきた時、非常にいたたまれない気持ちになった。
研修では、互いを認められるような素晴らしい時間が生まれたというのに、何故実生活や実務になるとこうなってしまうのか。自分もこうやって悪口を言われるのか‥‥。そりゃあマネジメントするには正しく必要な分析なのかもしれないが。
他者のそういう言動に触れると凄く嫌な気持ちになる。というか、そもそもそんな分析だけで人を判断するなよ?!と思ってしまった。
けれど、よく考えれば自分自身だって他者のことを決めつけてしまうし、都合の良いようにカテゴライズすることがよくあるのではないだろうか。自分は決めつけられるのは嫌なくせに、他者のことは平気でカテゴライズする。相手を決めつけることで自分が安心するだけの為に。
矛盾だらけだ。
どんなに優れたツールも、使い方によってはナイフにもなってしまう。
こういった分析ツールを使う時 ――他者に使う時は特に―― かなり慎重に扱わないといけないだろう。私のように、使いこなせない人間が安易に使うとなかなかに拗れるのだなぁと実感するのであった。