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今日が、その日だ

いつものように、会社のある駅で降りた。
駅から、小さめのショッピングセンターが、
連絡通路でつながっていて、
その中にあるATMへ用事があったので、
歩いていた。

連絡通路のところには、普段は誰も
いないが、その日は、ダンボールを持った、
少し髪の長い、20代前半くらいの男性が
立っていた。

足早に、彼の前を通り過ぎようとした時、

「一発ギャグ要りませんか」

と、声をかけられた。
都会、なら、珍しい事ではないだろうが、
ここは関西の果ての果ての、田舎の駅であり、
このような若者がいる事は、汽車通勤を始めて
6年間で、初めてのことだ。

人通りは、まばら、いや、
ま  ば  ら
と明記したいほど閑散としている中、
明らかにピンポイントで、わたしが、
声をかけられたのだ。

え。え。今、なんて?一発ギャグ?
てゆうたか。わたしにか。あー。えー。
一発ギャグか。
要るんかな、わたし。一発ギャグ。。

突然の出来事に、頭の中はこんな感じだったが
歩く足が止まらず、早足に無視する形で、
とりあえず、通り過ぎてしまった。

ATMで用事を済ませる。
会社に行こうと思ったら、また、
先の一発ギャグの彼の前を
通らなければならない。

齢45になったとき、これからの人生、
について、考えた。
そのときに、わたしは、自分で自分に
課したことがあり、それは、
「この先の人生で、一生に一度かもしれない、
と思ったら、できるだけ経験する」
という事だ。

それにあてはめてみると、
「自分のためだけに、渾身の一発ギャグを
してもらう機会」
は、こんな田舎に住んでいる限り、
一生に一度のことかもしれない。

そうか。
today is the day
ていうわけね。
なら、わたしも、腹を決めなければ、
いけないってわけね。

また、彼の方に、ゆっくり近づく。
わたしが先ほど、
一度は無視して素通りした女
という事はわかっていると思うが、彼は、
もう一度、

「一発ギャグ要りませんか」

と、ピンポイントで、わたしに声をかけた。
周りには誰もいなかった。

これは、彼の、度胸だめしだろう。
普段は、都会で売れないお笑い芸人をして
いるに違いない。
帰省か旅行かしらんが、
こんな人通りの少ない駅で、通りすがりの人に
ピンポイントに声をかけるのは、度胸がいる。

しかし。きみ。
声をかけられるほうの、度胸だめしにも
なっているとは、若い君は、知るまいね。

ふうーっ
とひとつ深呼吸し、彼の正面で、ピタ、
と足を止めた。

「お願いします」

と、わたしが言った瞬間、彼は一瞬、
ものすごくびっくりした顔をした。
そうだよな。さっき、無視して素通りして
行ったおばさんなんだから。
もしかしたら、今日わたしが、初めての
お願いします、だったのかもしれない。

彼はすぐ、なんてことない、という顔を
取り戻して、

「5秒と、10秒と、もっと長いのもあります」

と言った。
えらい。長さのラインナップがあり、
選べるとは。
わたしは、あんまり短いのもな、と思ったし、
会社に行かなければいけないから、
長いのもな、と思い、

「じゃあ、10秒ので」

と言った。
彼は背筋を伸ばして、

「テテテテテというのをやります」

といい、一瞬で、覚悟を決めた顔をした。

「テテテテッテテテッテテテテテテーー!!」

と、大きな声で、身振り手振りを交えて、
10秒ほどやった。
テ、以外のことは言わなかった。

おもしろかったら、笑おうと思っていた。
しかし、別におもしろくなかったので、
笑わなかった。
ちょっとにやにやしながら、わたしは、

「ありがとうございました」

と言い、深々とあたまを下げ、去った。
おもしろくはなかったけど、
全力でやってもらったのは伝わった。
客が、わたしだけだから、と言って、
彼は手を抜かなかった。
嬉しかった。
わたしだけのためだったのだから。
わたしが、勇気を出せたことも、嬉しかった。

いつも通りの毎日、の中でも、
急に、あっちから、
一生に一度しかない経験
がやってくるのだな。突然に。

気を引き締めて生きよ。





ちーずさま
イラスト使わせて頂きました。
ありがとうございました!

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