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甘いコーヒーと涙

 2021年11月30日、私の夫は亡くなりました。

 彼は50歳の時、多系統萎縮症という病気に罹りました。
 小脳や脳幹が縮んでいくその病気は、彼の身体をどんどん動かなくしていきました。

 歩くことが出来なくなりました。
 手を使うことが出来なくなりました。
 起き上がることも、座っていることも出来なくなりました。
 排泄も困難になりました。
 喋ることも、難しくなりました。
 食べることも、出来なくなっていきました。
 顔の筋肉も動かなくなり、表情も亡くなりました。

 身体の機能は、どんどん使えなくなっていきました。
 そしてそれは、彼に正常な呼吸をも、させてはくれなくなりました。


 2021年10月15日。

 唾を飲み込むことも、痰を吐き出すことも、もう満足にできなかった彼は、誤嚥性肺炎を起こし、呼吸困難になって病院へ運ばれました。

 飲み込みが上手く出来ない夫は、口から入れたものが、気管に入ってしまいます。
 それまで、なんとか摂っていた口からの栄養すら、命に関わるようになってしまいました。

 もう水も栄養も、口から摂るのは難しい、と言われました。
 でも、それを摂らないと、人間は死んでしまいます。
 口から以外で摂る方法を、先生からいくつか提案されました。
 そしてそれは「延命」でもありました。

 命があっても、彼の身体は動きはしません。
 それを自分でよくわかっていた夫は、胃に穴を開けてまで、チューブに繋がれてまで生きることを拒否し、そのまま病院で終末期を迎えました。

 コロナ禍で、大抵どこの病院も面会が禁止されている時でしたが、終末期ということもあって、その家族の面会は許してくれました。
 私は毎日、面会に行くことにしました。


 そんなある日のことです。

 喋ることが出来なかった夫は「言語ボード」という、あいうえおの「かな」と記号が書いてあるボードを使って、会話をしていました。
 ボード、と言っても、画用紙に書いた簡単なものでしたが、その書かれた「かな」をひとつずつ私が指をさして、夫が言いたい言葉の一つひとつに、瞬きで合図をする、というものでした。

 瞬きをすることも、ずっと目を開けていることすら、もう苦労するようになっていました。
 とても時間がかかり、時には伝わらずに、夫が諦めて目を閉じてしまうこともありました。
 しかしその日は、とてもわかりやすいものでした。

 最初の文字は、「こ」でした。
 次に、「ー」でした。
 その次は、「ひ」でした。
 そこまでで、わかりました。

「コーヒー?飲みたいの?」
 私が聞くと、夫は瞬きを1回、ゆっくりとしました。
 それは「うん」という、合図でした。

 11月に入ったその頃、病室は暖房で暖かく、そしてとても乾燥していました。
 夫は口からは何も飲めないので、水分は点滴から摂っていました。

 もう口を閉じることが出来なくなっていて、いつも開いてしまっていた夫の、その中は、乾ききって、舌はひび割れて血だらけになっていました。
 看護師さんが、夫の口の中を綺麗にしてくれたり、スポンジで湿らせたりしてくれるのですが、とてもそれでは間に合わないくらいでした。

 夫はコーヒーが好きでした。
 元気だった頃は、ブラックコーヒーをよく飲んでいました。
 甘いものも好きだった夫は、よくチョコレートと一緒にブラックコーヒーを飲み、美味しい美味しい、と言って、嬉しそうにしていました。

 夫はもう、何日も水も、何も口にしていませんでした。
 しかし、勝手に飲ませることは出来ないし、飲めるのかもわかりません。
 私は「とりあえず、看護師さんに聞いてみるね」と言って、ナースステーションへ向かいました。

 きっとダメだろう、と思いながらも、夫がコーヒーを飲みたいと言っていること、私もできれば飲ませてあげたいと思っていることを伝えると、看護師さんは
「師長と先生と、相談してみますね」
 と言ってくれました。

 私は夫の病室へ戻り、私が一方的に何か話しかけながら、ふたりで待っていました。

 ほどなくして、看護師長さんが病室へ入ってきました。
「コーヒー、飲みたいんだって?」
 看護師長さんは、背の高い、サバサバしたような女のひとで、その手には、小皿とスポイトを持っていました。

 彼女は、スポイトで一滴ずつにはなるけど、飲んでもいいよ、と言ってくれました。
 ただ、飲む時は、絶対に看護師を呼んで飲ませる、というのが約束でした。
 何かあった時に、すぐに対応できるように、ということだったのでしょう。

 私は夫に「良かったねえ!」と言って、喜んで自販機に缶コーヒーを買いに行きました。
 甘いの?苦いの?と聞いたら、甘いの、と言っていました(実際には、瞬きでしたが)。

「マックスコーヒー」という、缶コーヒーがあります。
 黄色に茶色の模様が入った缶で、地域限定で販売されているそれは、コーヒーというよりも、コーヒーミルク、というような、子どもでも飲めるくらいの、甘い甘いコーヒーです。
 私も幼い頃、親にねだって買ってもらい、飲んでいた記憶があります。

 それが自販機にあったので、私はそれを買いました。
 うまいことに、それは冷たくて、これだったら冷まさずにすぐ飲めます。
 それに、口も喉も渇いた夫には、きっといい、と思いました。

 小皿に移したマックスコーヒーを師長さんに手渡すと、それをスポイトで吸い、夫の舌に垂らしてくれました。
 夫は目を瞑って、一滴のコーヒーに、ごっくん、ごっくんと、何度も飲み込みました。

「どう?美味しい?」
 と私が聞くと、夫はゆっくりと一回、心なしかいつもより少し力強く、瞬きをしました。
 私は嬉しくなって
「良かったねえ、コーヒー飲めて」
 と、にこにこして言い、夫から顔を上げて、コーヒーを飲ませてくれていた師長さんを見ました。
 そして、ハッとしました。

 師長さんは、泣いているようでした。
 目からひと粒、涙がぽろっと、落ちました。

 私は、見てはいけないような気がしてしまって、またすぐ、夫に顔を戻しました。
 師長さんは、また一滴、夫の舌に、コーヒーを垂らしてくれました。

 本当は、夫はもう、何も飲めなかったのだと思います。
 飲み込むことは、出来なかったのだと思います。
 コーヒーなんて、もってのほか、だったのだと思います。
 ダメだと言われるはずだったのだと思います。

 それでも師長さんは、そして先生は、夫の最後のお願いを、聞いてくださったのだと思います。

 私はそれから毎日のように、面会に行っては、マックスコーヒーを買いました。
 コーヒーを飲んだ後、夫はいつもよりたくさん気管の吸引をしなければなりませんでした。
 鼻から突っ込むチューブで、鼻の穴も血だらけになっていました。
 それでも夫は、コーヒーを欲しがりました。

 自販機のマックスコーヒーは、そのうち、とうとう売り切れてしまいました。
 どうしようかと思いましたが、その後すぐ、夫は目を開けなくなりました。

 2021年11月30日 午前11時30分。
 夫は骨と皮のようになって、この世を去っていきました。


 12月6日は、夫の誕生日でした。
 54歳を迎えられずに、夫の時は、53歳で止まってしまいました。
 夫が最期を過ごした病院も、今は無くなってしまいました。
 それでも、毎年毎年、12月6日はやってきて、いつもその時期になると、あの頃の光景と、その一部分に、看護師長さんの、あの涙を、思い出すのです。
 マックスコーヒーの、あの黄色い缶を、思い出すのです。

 そしてまた私は、買いに行きます。
 あの甘い、甘い、コーヒーを、買いに行きます。

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