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私が天草にたどり着くまで 天草・島原、隠れキリシタンに触れる旅①

点と点が長い年月を経て結ばれていつの日か線となり、壮大な叙事詩のように、いつしか私を主人公とした物語が出来上がるようなことがある。

このコロナに翻弄された約5ヶ月間、色々な苦しいことがあり悶々としていた私に母は、
「必ず導きの道はあるわよ」
と言ってくれていました。

そうかぁ、導きの道かぁ。

この響きに惹かれて、この言葉を聞くと、焦らずとも、いつかは光る道に出会えるような気がして少し心が落ち着くのでした。

私は運命的なものを求めるたちだ。

例えば、本屋に行けば何か私の今後の人生を変える運命の1冊に会わないかと思うし、アラフォーで夢見がちな私は、私の生活を突然変えるような出会いがいつか訪れると王子様を待ち続ける。

何か運命に導かれて自分の人生が変わる、変身願望を持ち続けている。

この、変身願望があるから、私はかつて俳優をしていた訳だし、
今はその欲望を埋めるようにして旅に出たいと心が駆られるのかもしれない。

そして、私は、8月の最後の夏の週、天草・島原に旅をして、
点と点を結ぶ線が結ばれ、突如私の導きの星座のような形となって現れて、私の人生がゆっくりと動き出すような感覚を味わいました。

今も、私はその星座の中にいて、ゆったりと星が形を変えて行くのを見ている。これからどんな風に運命が動くのか分からないけれど、少しずつ船の舳先が進んで行く、そんな流れに乗っているような気がします。

最初の点    平戸への旅

今考えると、全てが繋がれたと思う最初の点は、前の記事にも書いた、長崎の平戸に旅したことに始まるのかもしれない。

2012年博多座で松たか子さん主演のジェーン・エアというミュージカルに出演し、その時私は松さん演じる主人公のジェーンに、「愛すること」を教える親友の役を演じました。キリストの教えを胸に生き、チフスで亡くなる少女ヘレン役を演じた私は、どうしても「お寺と教会が見える坂」に行きたいと思い、終演後、長崎は平戸に旅をしました。お寺の門前の奥に見える「フランシスコ・ザビエル教会」の塔、そして、1918年に信者たちの手でつくられた「田平天主堂」を訪れ、その時が「隠れキリシタン」と初めて触れる旅となりました。

(当時の携帯で撮った写真なので画質悪いですが、その時見た天主堂と、平戸の入江)

第二の点 ポルトガルへの旅

私は、今年の夏まで、デザイン事務所のPRをする傍ら、父の仕事の関係からポルトガル航空の日本総代理店の仕事を副業でしていました。日本とポルトガルの歴史は深く長く、イエズス会の多くのポルトガル人が日本に訪れ、布教活動が行われた。九州にはポルトガルから伝来された文化が今もたくさん刻まれている。

2年前、私は初めて家族でポルトガルを訪れ、大航海時代の「発見のモニュメント」を見た時、この地からはるばる日本に来た人たちがいたのかと、冒険心がむらむらと沸き立つのを覚えました。

第三の点 1冊の本との出会い

そして、昨年、ある1冊の本との出会い。

飯嶋和一という歴史小説家の書いた「出星前夜」。
天草・島原の乱の歴史が700ページにわたり描かれ、島原の乱がどのようにして起こったのか、それは決して宗教的な意味だけではなく、いかに当時の生活が苦しいもので、彼らは止むに止まれず一揆に走ったという描写が細かくも壮大に描かれています。
井上ひさしは書評で
読後の「たしかにここに歴史があった」という実感――傑作である。
と記している、歴史超大作。

私は、この本を読んでから、島原の乱、そして隠れキリシタンに興味を抱くようになり、ポルトガルと日本の接点、九州にある「隠れキリシタン」の文化をいつか自分の手で調べて行く。なんとなくそんな思いが芽生え始めました。

ちょうどそんな時、知人から紹介してもらった編集者の方がいて、「天草の崎津教会が素晴らしい」という話をたまたま聞きました。

「え!私、今、隠れキリシタンに興味があるんです!」

という話から意気投合して、崎津教会にぜひ行きたいと思うようになり、天草への旅を計画しようとしました。
調べてみると、天草は熊本から飛行機に乗り換え(もしくはバスで約3時間)、免許も持たない私は一人で一泊で行くのは無理だとその時は断念しました。

その時がきたら、いつか必ず行ける日がくる。

そう思って、一旦は旅を諦め、天草への想いはそこで少し下火になったようにも思います。

第四の点 そして天草へ

旅のきっかけは突然むこうからやってくる。

旅に出る2週間前に、友人から

「天草へ行かない?」

と突然誘われた時、私の胸に再び「天草」という言葉が再燃しました。

「天草に行って見たかったの!!」と二つ返事で、旅に加わることに。

彼は私の小学校からの幼馴染で、今は建築家となり、先日、虎ノ門に賃貸ビルを設計した人物。(彼についての説明記事はこちら。)

虎ノ門の物件を案内してもらった後、夏の予定はどうするのか、そんな他愛のない話から、軽く誘われたのが今回の天草の旅でした。
彼の学生時代の同級生で日建設計時代の同期でもある、建築家の田中渉さんが天草に市役所と市の複合施設を設計したので、彼に案内してもらうという。

ようやく、天草に繋がれた。

導きの道が必ずできる。

夜のテンションに任せて書くと、自分の旅があたかも大きな運命のような気がして、大それたことを書いてしまったようにも思います。本当に自分が運命の大きな星座に見守られているかどうかは分からないけれど、旅から帰り、様々な奇縁を頂いたことを思うと、天草・島原へ行った今回の旅の始まりは、8年前の平戸から始まっているような気がしてなりません。

私はクリスチャンではないし、むしろ、仏教・神道に近く育ってきた人間。でも、ジェーン・エアという舞台の役に生きようとして、神の愛を知ろうとして「許すこととは」と必死で考え、私の中に、ヘレン・バーンズという役の、大きな信仰を持つ小さな少女が生まれました。きっとその、宗教の枠を超えた「信仰」のささやかな光が、命をかけて信仰を守ろうとした人たちの心と結ばれたのかとも思う。

ちょっと、運命という言葉に遊ばれながら、今回の私の天草・島原紀行を通して、東京からは遠い隠れキリシタンの旅の魅力を少しでも伝えられたらなと思います。

あの時、生きた人たちのカタチを求めて。



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