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国際情勢:プーチン大統領について⑥

 ロシア・ウクライナ戦争に関する、2024/07/05現在の情報から伝えたい。(⑥は6,607字)
 
 前々回、ウクライナが、和平交渉を望んでいるという2024/07/02のLCIの動画を紹介した。
 
 この件で、ロシア側の回答が提示された。結論から言えば、ダメだった。なぜダメだったのか?

 ウクライナ側の条件提示の詳細は、分からないが、ロシア側の回答から推測はできる。

 だが今回、交渉前の停戦で、揉めた。だから交渉に入る前に、破談したと言ってもいい。
 
 停戦してから、和平交渉はできるのか?という問いに対して、プーチンは明確に断っている。
 
 理由としては、ウクライナ側が、戦線を立て直すための時間稼ぎに利用できるからだと言う。
 
 これは前科があり、ウクライナは停戦に先んじて、ロシアの要求を受け入れるのが大前提だと言う。
 
 これに対して、ウクライナ側も、仮に停戦に合意しても、ロシアが守るかどうか分からないと答えた。
 
 うん。見事な相互不信だ。これでは話はまとまらない。仲介者が必要だろう。だが誰もいない。
 
 2024/07/04、プーチンは訪問先のカザフスタンのインタビューで、トランプ前大統領の名前を上げた。
 
 もし返り咲けば、ロシア・ウクライナ戦争を終わらせるトランプの提案を、聞く姿勢を見せた。
 
 やはり、トランプ・プーチンで話し合わないと、この戦争は終わらないという事だろうか?
 
 だがウクライナが今回、ロシアに和平を持ちかけたのは、何かしら考えがあっての事だと思う。
 
 一つは、CNN Presidential Debateではないだろうか?アレを見て、現職の退潮をハッキリと感じた筈だ。
 
 二つは、イギリスの総選挙で、保守党が敗けて、労働党の政権ができる事だ。これは風向きが変わる。
 
 三つは、フランスの総選挙で、与党が敗けて、野党が進出し、フランスの首相が変わる話だ。
 
 これまでウクライナを支援してきた欧米の政治地図が大きく変わる。だから今回、仕掛けたのだ。
 
 そういう意味では、和平交渉を持ちかける事で、ウクライナの敵・味方に揺さぶりをかけた。
 
 結果、戦争継続だが、ウクライナは窮地に立たされるだろう。ロシアは畳み掛けるだろう。
 
 気になる和平の条件だが、ウクライナ側は、取られた領土を全部返せと言った可能性がある。
 
 国際法に基づき、領土保全の原則から言って、一方的に国境を変えてはならないとある。
 
 バカバカしい理屈だ。ロシアの兵士の命で贖った土地を、ロシアが返す訳がない。
 
 戦争に勝っているのに、わざわざ国際法に従って、勝ち取った領土を返す。馬鹿げている。
 
 国際法はマジックだ。こんな理屈が通るなら、最初から戦争などしない。だから無視する。
 
 大体、日本だって、国際法を守っていない。領海侵犯した武装船は警告射撃の後、撃沈できる。
 
 だが撃沈すると大変だからやらないのだ。国際法では許された権利だが、日本は忖度している。
 
 ホント、国際法は、日本も、アメリカも、恣意的に解釈して、忖度している。馬鹿馬鹿しい。
 
 国際政治は奇々怪々だ。妖怪が歩き回っている。嘘と偽我が、まかり通る。
 
 皆で決めた事だから、皆で守ろうという意識があるなら、国際法も意味がある。だが現実は違う。
 
 あらゆる場面で、世界各国は、国際法を都合よく使っている。これはダメだ。それでは前回の続きに戻る。
 
 東西統一安全保障について
 
 プーチン大統領
 「ビル・クリントン大統領との会談で、私は彼に尋ねました。ビル、もしロシアがNATOへの加盟を求めたら、どう思うか?それが実現すると思うか?突然、彼は答えた。それは興味深い。実現すると思うよ。でも夜、夕食を共にした時、彼はこう言ったんです。私のチームと話したのだが、今は無理だ」
 
 President Putin
 “I asked him, Bill, do you think if Russia asked to join NATO? Do you think it would happen? Suddenly he said, you know it's interesting, I think so. but in the evening when we met for dinner, he said you know I've talked to my team now, no, it's not possible now.”
 
 これは非常に興味深い会話である。
 
 仮定の話ではなく、実際にプーチンからそんな話を持ち掛けていたのだ。
 
 もしこれが実現していた場合、世界は大きく変わった。だが現実はそんな簡単ではない。
 
 ロシアがNATOに入るかもという話は、90年代、何度か話題になり、仮定の話として報道はあった。
 
 タッカーはこの後、それが本気だったのかどうか、何度も確認しているが、クリントンの回答はノーだったので、プーチンとしては、相手がノーと言ったのだから、ノーで、それでその話は終わりだと言っている。
 だから、以下のように述べている。
 
 プーチン大統領
 「別の方法で関係を築きましょう。別のところで共通点を探しましょう」
 
 President Putin
 “Let's build relations in another manner. Let's work for common ground elsewhere.”
 
 プーチン大統領
 「アメリカのミサイル防衛システムが最初に構築された時、我々は長い間、米国内で行わないよう説得してきました。さらに、ブッシュ・ジュニアの父であるブッシュ・シニアから海上の彼の地を訪問するよう招待された後、私はブッシュ大統領とそのチームと非常に真剣な話し合いを行いました。私は、米国、ロシア、ヨーロッパが共同でミサイル防衛システムを構築することを提案しました。米国は公式には、ミサイル防衛システムの配備の正当性は、イランのミサイルの脅威に対抗するためだと述べていましたが、一方的に構築すれば我々の安全が脅かされると考えました。私は、ロシア、米国、ヨーロッパが協力することを提案しました。彼らは非常に興味深いと言ってくれました。彼らは私に「本気ですか?」と尋ねました。私はもちろんだと答えました。
 
 President Putin
 “When the US missile defense system was created the beginning, we persuaded for a long time not to do it in United States, moreover after was invited by Bush Jr's father Bush senior to visit his place on the ocean, I had a very serious conversation with President Bush and his team. I proposed that the United States Russia and Europe jointly create a
missile defense system that we believe if created unilaterally threatens our security, despite the fact that the United States officially said that it was being created against missile threats from Iran that was the justification for the deployment of the missile defense system. I suggested working together Russia the United States and Europe. they said it was very interesting. they asked me, Are you serious? I said absolutely.”

 プーチン大統領
 「想像してみて下さい。もし我々がこのような世界的戦略安全保障上の課題に一緒に取り組めたらどうでしょう。世界は変わり、おそらく経済や政治の紛争も起こるでしょう。しかし、我々は世界の状況を劇的に変えることができるでしょうと私は言いました。彼は「そうです」と言い、「本気ですか?」と尋ねました。私は「もちろんです」と答えました」

 President Putin
 ”I said just imagine if we could tackle such a global strategic security challenge together. The world will change, will probably have disputes probably economic and even political ones. But we could drastically change the situation in the world. he says yes and asks, Are you serious? I said of course.”
 
 プーチンは、クリントンに断られたのに、次のパパ・ブッシュにも、同じ話を持ち掛けたようだ。
 
 アメリカとロシアで、共同で安全保障をする事が、一番の安全保障になるとプーチンは信じたのだろう。
 
 この点、プーチンはリアリストというよりは、理想家に見える。こういう一面もあったようだ。
 
 ただアメリカが乗る訳がないので、お話としては、以下の通り、流れてしまった。

 プーチン大統領
 「結局、それは秘密の会話でした。しかし、我々の提案は断られました。それが事実です。その時、私が「しかし、そうなれば我々は対抗措置を取らざるを得なくなるだろう。我々はミサイル防衛システムを確実に克服できるような攻撃システムを構築する」と言ったのは正しかったのです」
 
 President Putin
 ”After all, it was confidential conversation. But our proposal was decline. that's a fact. It was right then when I said look but then we will be forced to take counter measures we will create such strike systems that will certainly overcome missile defense systems.”

 プーチン大統領
 「そして、我々はNATOの東方拡大について押し返されました。我々は、NATOは東方に1インチも拡大しないと約束されていましたが、その後、彼らは言いました。それは文書に記されていません。だから拡大します。バルト諸国、東ヨーロッパ全体など、5つの拡大の波がありました。そして、彼らが最終的にウクライナにやってきた主なことに戻りますが、2008年のブカレストでのサミットで、彼らはウクライナとジョージアのNATO加盟の扉が今開かれたと宣言しました

President Putin
 “And we were pushed back now about NATO's expansion to the east. Well, we were promised no NATO to the east not an inch to the east as we were told and then, what they said. Well, it's not enshrined on paper. So we'll expand. So there were five waves of expansion, the Baltic states the whole of Eastern Europe and so on. and now I come to the main thing they have come to do Ukraine ultimately in 2008 at The Summit in Bucharest. They declared that the doors for Ukraine and Georgia to join NATO were open now.”

 文字起こしでtoがダブっている箇所があったので、削除した。
 
 プーチン大統領
 「2008年、NATOの扉はウクライナに開かれていた。2014年にクーデタが起き、彼らはクーデタを受け入れない人々を迫害し始めたが、それはまさにクーデタだった。彼らはクリミアに脅威を与え、私たちはそれを保護せざるを得なかった。彼らは2014年にドンバスで民間人に対して航空機と砲撃を使用して戦争を開始した。これがすべての始まりだった。ドネツクを上空から攻撃する航空機のビデオがある。彼らは大規模な軍事作戦を開始し、その後、失敗すると次の作戦の準備を始めた。これらすべては、この地域の軍事開発とNATOの門戸開放を背景に起こった。私たちの側から、起こっている事に懸念を表明しないわけにはいかない。これは過失であり、そうだったはずだ。ただ、米国の政治指導者が私たちを一線に追いやったのだ。それを越えればロシア自体が破滅する恐れがあったため、越えるわけにはいかなかったのだ。さらに、私たちはこの戦争機械を前にして、ロシア国民の一員である私たちの信仰の兄弟たちを見捨てることはできなかったのです

 President Putin
 “In 2008, the doors of NATO were open for Ukraine. In 2014, there was a coup, they started persecuting those who did not accept the coup and it was indeed the coup. they created a threat to Crimea which we had to take under our protection. They launched a war in Donbas in 2014 with the use of aircraft and artillery against civilians. This is when it all started. there is a video of aircraft attacking Donetsk from above. They launched a large scale military operation, then another one when they failed they started to prepare the next one. All this against the background of military development of this territory and opening of NATO's doors. How could we not express concern over what was happening from our side. this would have been a culpable negligence that's what it would have been it's just that the US political leadership pushed us to the line, we could not cross because doing so could have ruined Russia itself. Besides, we could not leave our brothers in faith in fact a part of Russian people in the face of this war machine.”

 文字起こしで、dunasをDonbasと修正。donetをDonetskと修正。
 
 2008年のブカレストのサミットとは、2008/04/02~04のNATOの会合の事だろう。
 
 このサミットで、ウクライナにNATO加盟の扉が開かれたと宣言されたが、これがロシアの虎の尾を踏んだ。
 
 1988年のベルリンの壁崩壊から1991年のソ連崩壊の時にかけてした口約束が、何度も何度も破られた。
 
 ロシアとしては抗議せざるを得ない。西側は一体どういうつもりか?侵略の意図ありか?と。
 
 このサミットには、プーチンも参加している。アメリカのブッシュ大統領とも首脳会談している。
 
 ここで西側と東側の間で、亀裂が走って、関係悪化が始まった。
 
 その後、2008/7/7~9の北海道洞爺湖サミットが開かれて、ロシアも招待された。
 
 当時はG8だったので、ロシア大統領として、メドヴェージェフが参加している。
 
 表面上は、まだG8で、ロシアは追放されていないが、内心北風は吹いていた。
 
 2014/6/14のサミットからロシアは追放されて、1997年以来のG7に戻った。
 
 2014年のウクライナのマイダン革命の後、クリミア半島がロシアに帰属したためである。
 
 ロシア・ウクライナ戦争の直接の切っ掛けは、2014年のマイダン革命だが、2008年のブカレストも遠因だろう。
 
 ウクライナは、ロシアに隣接する国なので、ここにNATOの基地ができる事は、喉元にナイフを突きつけられているのと同じで、ウクライナからモスクワにミサイルを発射した場合、距離が近過ぎて、対応できない。だからウクライナにNATOの基地ができる事は、ロシアとしては看過できない。1962年のキューバ危機の逆バージョンだ。
 
 これはプーチンが、今回の特別軍事作戦に踏み切った理由の一つでもある。もう一つの開戦理由が、ドンバス地方におけるロシア系住民の虐殺が看過できないという理由だ。これが所謂、ウクライナ・ネオナチ問題と絡んでいる。
 
 プーチン大統領が2024/02/24、特別軍事作戦に踏み切った理由
 ➀ウクライナにNATOのミサイル基地ができると、近過ぎて、核の相互確証破壊が確保できない。
 →提示され得る解決策、NATOに加盟せず、ウクライナが中立化する事。(永世中立国化)
 ②ウクライナ・ネオナチによるウクライナに住むロシア系住人の虐殺は看過できない。
 →提示され得る解決策、現政権の解散と新政権が反露政権でない事の保証。(難しいので中立化で解決)
 現時点でのロシア・ウクライナ戦争の解決策
 →(スイス・オーストリアのように)ウクライナの永世中立国化
 
 オリバー・ストーン監督が行ったインタビューを中心としたドキュメンタリー映画『ウクライナ・オン・ファイヤー』2016年に、このウクライナ・ネオナチ問題が詳しく語られている。西側はこの映画をロシアのプロパガンダ映画と批評するが、それは奇妙な話である。ロシアが金を払って、わざわざアメリカ人に作らせたのか?
 
 そもそも、オリバー・ストーンは、ロシア寄りでもない。2015年の『オリバー・ストーン・オン・プーチン』というドキュメンタリー映画のせいで、そう言われているが、そうでもない。彼はオバマ好きだ。

 基本的にアメリカ民主党寄りで、トランプも嫌って、避けている人である。どちらかと言うと、ロシアに対しても、あまりよい感情は持っていないだろう。権力者嫌いだ。だから庶民的に見えるオバマが好きなのだ。
 
 『ウクライナ・オン・ファイヤー』は、2014年ウクライナで起きたマイダン革命の内幕について、暴露している。
 
 この事は、当時のオバマ大統領が、ある意味、保証している。
 
 2015/01/31、CNNのインタビューで、オバマ大統領が、アメリカがこの革命に介入した事を公式に暴露した。これは有名な話だ。

 またヴィクトリア・ヌーランド(オバマ政権の国務次官補。バイデン政権の国務次官)と言う女性が暗躍しており、親米ポロシェンコ政権を樹立する事に貢献した。(親露ヤヌコーヴィチ政権は転覆した)
 
 革命進行中、キエフの広場でクッキーを配っていた謎のアメリカ人女性である。
 
 親米ポロシェンコ政権は、当時の副大統領だったバイデンと親しく、息子のハンター・バイデンをウクライナに送り込んで、ウクライナのエネルギー最大手プリスマ社の取締役に就任させている。(後にスキャンダルになった)
 以下、簡単ではあるが、ウクライナ政権の針の振り子ぶりを示す。
 
 ウクライナ初代大統領 レオニード・クラフチュク   
 反ロシア(1991~1994)
 
 ウクライナ第二代大統領レオニード・クチマ      
 親ロシア(1994~2005)
 
 ウクライナ第三代大統領ヴィクトル・ユシチェンコ   
 反ロシア(2005~2010)
 
 ウクライナ第四代大統領ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ  
 親ロシア(2010~2014)
 
 ウクライナ第五代大統領ペトロ・ポロシェンコ     
 親ロシア→反ロシア(2014~2019)
 
 ウクライナ第六代大統領ウォロディミル・ゼレンスキー 
 反ロシア(2019~2024)
 
 こう見ると、ウクライナは1991年に独立した時から、その軸が揺れており、国の中央を走るドニエプル川を境に、親欧の西ウクライナと親露の東ウクライナで割れており、国家として運営する事が難しかった事が分かる。
 
 ずっとアメリカとロシアでシーソーゲームをやっていたのは間違いないだろう。だからオバマ大統領の告白も、そんなにおかしなものではなく、事実の追認と言った処だろう。見れば分かるでしょうという話だ。
 
 ただロシアはウクライナを取られると死活問題になるが、アメリカは別にウクライナを取られても、死活問題にはならない。アメリカがロシアに対して、有利に立てるというだけの話だ。
 
 ウクライナ・ネオナチによるウクライナに住むロシア系住人の虐殺に関しては、西側の報道では、信じられていない。ロシアのデマ、嘘だと言われている。英語圏のニュースでは、まず事実としては報道されない。
 
 例外的なのが、国連が発表したウクライナ軍アゾフ連隊による深刻な人権侵害だろう。アメリカは否定したが、アゾフ連隊は、ウクライナ・ネオナチだと言う。だが2022/05/20、マリウポリの戦いでロシアに投降した。
 
 フランス語圏では、フリーの女性ジャーナリストが、テレビの前で告発しようとしたが、激しく規制された。ドイツ語圏では、控え目であるが、そういう事が起きていると報道している。まだウクライナに近いからだろう。
 
 これは英語、フランス語だけでは、ヨーロッパは掴み切れないという事だろう。ドイツ語も必要だ。
 
 だが2023年の後半に入ると、英語やフランス語でも、ちらほらそういう話が出始めた。西側のマスコミをコントロールする指導層の中で、ウクライナに対する支援に、疑問が生じてきたからだろう。だから規制の手を緩めた。

 ただフランス人も開戦当初から、自動車でウクライナにまで、支援物資を届けに行く民間人が多数いた。再生数の低い個人の動画だが、ウクライナの様子を生で伝えている。そこには規制も何もないので、かなり真実が語られている。特にウクライナの子供たちが話す内容が衝撃的で、西側の報道の嘘や偏向ぶりが分かる事があった。

 


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