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教員になる道を諦めた話

理工系の学生として過ごした大学生活。

三回生になると、将来の進路について真剣に考える機会が増えていきました。

周りを見渡せば、クラスメイトの半数以上が教員大学院進学を選択しようとしています。

数学・物理を学んだ者の典型的なキャリアパスとして、私も自然とその道を考えるようになりました。

しかし、教職について深く考えれば考えるほど、様々な不安や疑問が湧き上がってきたのです。

※この記事は Perplexity をベースに執筆しています。


重大な責任感

教員という職業は、教えるという仕事以上の意味を持ちます。

生徒たちの人生に大きな影響を与える立場にあり、その責任の重さは計り知れません。

一人の教員の言動が、生徒の将来を左右する可能性があるのです。

例えば、ある一言が生徒の自信を奪い、夢を諦めさせてしまうかもしれません。

逆に、適切な励ましや指導が、生徒の人生を大きく変える転機となるかもしれません。

この重責を担うことに、私は大きな不安を感じました。

自分の言動が誰かの人生を変えてしまう。

その重圧に、果たして自分が耐えられるのだろうか。

そんな疑問が常に頭をよぎりました。

教育実習で知った教師の仕事の広さ

教育実習では、教員という職業の実際の業務内容やその広さを身をもって体験しました。

授業準備や教材作成、授業運営だけでなく、生徒とのコミュニケーションや保護者対応、さらには学校行事の企画運営など、多岐にわたる業務が求められることを知りました。

教員は単に知識を伝えるだけでなく、生徒たちが自ら考え、成長する手助けをする役割も担っています。

このような多面的な役割には魅力も感じましたが、それと同時に、自分にはその全てをこなす自信がないと痛感しました。

社会経験の欠如

大学を卒業してすぐに教壇に立つことに、大きな違和感を覚えました。

社会人としての経験がないまま、生徒たちを導く立場になることに恐怖を感じたのです。

世間知らずの私が、果たして生徒たちに適切な指導ができるのだろうか?

実社会での経験もなく、ただ教科書の知識だけで生徒たちの将来を左右する立場に立つことに、大きな不安を感じました。

倫理観の欠如した同級生

さらに不安を煽ったのは、倫理観に欠けるクラスメイトが安易に教員を目指している現実でした。

教育者としての適性よりも、安定した職業という理由で教員を選ぶ同級生(もちろん、全員ではありません)を目の当たりにし、教育現場の将来に危機感を覚えました。

例えば、授業中に不適切な発言を繰り返す人や、生徒のプライバシーを軽視する発言をする人もいました。

そんな人たちが将来教壇に立つかもしれないという事実に、私は強い危機感を覚えました。

教育者としての倫理観や使命感よりも単なる安定した職業だからという理由で教員を選ぶ人々を見るにつれ、教育の質への懸念は募る一方でした。

一緒に働きたくないという気持ちも芽生えました。

労働生産性の問題

教育現場の労働生産性の低さも大きな懸念事項でした。

教員の長時間労働が社会問題として取り上げられる中、その実態を知れば知るほど、自分の人生設計との不一致を感じました。

部活動の指導や保護者対応、事務作業など授業以外にも多くの業務があり、それらは非効率的で改善される余地があります。

この状況では、自分自身が心身ともに健康でいることすら難しいと感じました。

1対多の授業形態への不適合感

教育実習や個人指導のアルバイト経験を通じて、私は自分の教育スタイルについて深く考える機会を得ました。

その中で気づいたのは、一人一人と向き合う個人塾での指導には充実感を覚える一方で、学校の授業のような1対多の指導形態には違和感を覚えるということでした。

個人塾では、生徒一人ひとりの理解度や学習スタイルに合わせて指導することができます。

つまずいている箇所を丁寧に説明し、その生徒の「わかった!」という瞬間に立ち会えることに大きなやりがいを感じました。

一方、学校の授業では30人以上の生徒を相手に同時に指導しなければなりません。

生徒それぞれの理解度や興味関心が異なる中で、全員に適切な指導を行うことの難しさを痛感しました。

早く理解する生徒、ゆっくりと時間をかけて理解していく生徒、そして興味を持てずに授業に集中できない生徒など、様々なタイプの生徒が混在する教室で、全員を満足させる授業を行うことは非常に困難だと感じました。

この経験から、1対多の授業形態が自分の適性や教育に対する理想とマッチしていないのではないかと考えるようになりました。

全ての生徒に平等に接しながらも、個々の特性に合わせた指導を行うという、相反する要求を同時に満たすことの難しさに直面し、自分にはその能力が不足しているのではないかと感じたのです。

教える楽しさ・やりがいは今も心に残る

それでも、教育実習中や個人指導の経験を通じて、「人に教える楽しさ」「やりがい」を強く感じる瞬間もありました。

生徒たちが理解し、自分から質問してくれる姿を見ると、大きな喜びと達成感がありました。

この体験は私にとって貴重な思い出となり、その心は今でも残っています。

生徒とのコミュニケーションや彼らとの関係構築は非常に魅力的でした。

このような経験から、「教育」という仕事には大きな魅力と意義があることも理解しています。

しかし、それと同時に、自分自身には学校教育の場でその役割を果たすための準備不足だという思いも強まりました。

決断までの葛藤

これら多くの要因が重なり、私自身は学校教員への道を諦める気持ちが徐々に大きくなっていきました。

しかし、この決断は決して簡単ではありませんでした。

教育への情熱は確かに心の中にありましたし、自分自身も教育者として成長できる可能性について考えていました。

一方で、1対多の授業形態への不適合感や、前述した様々な懸念事項を考慮すると、学校教員としてのキャリアは自分に合っていないのではないかという結論に至りました。

新たなキャリアと教育への貢献

学校教員への道を諦めた後、私はエンジニアとしてIT業界に飛び込みました。(なぜエンジニアを目指したのかは、またの機会にでも)

複数のIT企業でキャリアを積み重ね、技術スキルを磨きながら、多様な人々との協働を通じて視野を広げてきました。

そんな中でも、教育への情熱は決して消えることはありませんでした。

少しずつですが、テクノロジーと教育の融合に新たな可能性を見出しています。

現在は、社内でDX人材育成研修を担当し、若手社員の成長をサポートする役割を担っています。

この経験は、かつて抱いていた「人に教える楽しさ」を再び味わう貴重な機会となっています。

さらに、テクノロジーの進化に伴い、教育の形も変化しています。

今後は生成AIを活用したワークショップの開催など、最新技術を教育に取り入れる試みも計画しています。これにより、より多くの人々に効果的な学習機会を提供できると考えています。

学校教員にはならなかったものの、教育の重要性を常に意識し、テクノロジーを通じて新しい形の教育に関わり続けています。

教育現場への敬意と感謝の気持ちを忘れず、エンジニアとしての専門性を活かしながら、自分なりの方法で社会に貢献していきたいと考えています。

テクノロジーと教育の融合は、これからの社会において重要な役割を果たすでしょう。

私は、この二つの分野の橋渡し役として、革新的な教育方法の開発や普及に微力ながら尽力していきたいと思います。

教育の未来は、従来の枠組みにとらわれない柔軟な発想と、最新技術の適切な活用にあると信じています。


今後も皆様のお役に立てる情報を発信して参りますので、フォローしていただけますと励みになります。

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mic | エンジニア×Webライター
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