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持続可能な一人前500円の幸福感

ついつい呟いてしまう口癖がある。それは「何かいいことないかなあ」という言葉だ。気付けば口に出しているので、言霊的な意味であまり良くないものなのだろうと思っていた。それは「幸せが受動的に手に入ったら」という意味の言葉なのだ。自分で幸せを取りに行こうとしていないということ。

本当はフットワーク軽く自分で楽しいことを見つけに行ったり、誰かと話して情報を得るとか新しいことにチャレンジするとか、いろんな方法があるのだろう。だけど繰り返す毎日が単調で自由が利かない今、それはけっこう無理な相談というものだ。


そんな中で久しぶりに受動的ではあるが、思わぬ幸せが私の元へと降り注いできた。ある日母が嬉しそうに袋を差し出してきたと思ったら、そこには寿司の詰め合わせが入っていたのだ。私は思わず「わあっ」と声を出していた。何故なら私はこの五年以上ずっと寿司が食べたいと折に触れて言ってきたからで、母はそれを覚えていてたまたま割引で安くなっていたものを仕入れてきてくれたということだった。

11貫入っていて、まさかの千円以下。なんてお得なんだろう。私と母はあまり食べる方ではないので半分こで足りた。マグロの赤身を母に渡し、私はサーモンをもらった。久しぶりに見た魚のネタがキラキラと輝いて見えた。醤油をつけて早速一口。サーモンの甘い香りが鼻腔を満たしていく。同じく母も久しぶりのマグロの寿司に歓喜していた。お互いに無言で味わう至福の時。

海老やブリなど、他のネタももぐもぐと味わって食べる。はわあっと感動している間にどんどん寿司はなくなっていく。それに比例するように心の中にたまっていく満足度のゲージ。それがちょうど満タンになったところで食べ終わることができた。大満足だった。


「何かこのことで一週間くらい幸せでいられそう」
「買ってきた甲斐があったわ」
「これからしばらく『何かいいことないかなあ…』って呟く度に『あったわ』と思うんだろうな」
「それは何より」

そう言って母は空になった容器を片付け始め、私は醤油皿と箸を持って流しに向かった。いやあ、実に有意義な時間を過ごさせてもらってしまった。母にはしばらく感謝する気持ちを忘れず、近いうちに何かしらのお礼をしようと心に決めた私だった。


千円。それはケンタッキーに行けばいつものオリジナルチキン+フライドポテトS+烏龍茶が買える値段とほとんど変わらない。だけどそれは一人分の幸せを作る金額に過ぎない。たかが千円、されど千円である。同じ値段でも、同じ買い食いであっても違った幸せがある。今回はその値段で実に二人もの人物が久しぶりに大好物を食べて、心からの幸せに出会ったのだ。

最近でも「何かいいことないか…」と言いかけて、食い気味に「あったわ…!」となった。そしてあの脂ののったサーモンやマグロのトロを思い浮かべる。思わず笑顔になってしまう。

一人五百円の小さな幸せは、今でもまだ続いている。

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