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やさしいクラスメイトが救ったもの

成人式の前に写真館で前撮りをした。かなり動きにくく、体力もない状態で要求される謎のポーズの数に息を切らせていたのを覚えている。そしてついに迎えた成人式の当日。やはり振袖は扱いにくく、何より重かった。肩に乗せた白いふわふわさえも重く感じるのは肩にのしかかっている振袖の生地(特に帯)が重いせいだろう。加えて朝4時からの美容室への集合時刻で眠かった。正直なところ朝からすでに疲れていた。

ぽつぽつと見つかっていく見知った顔たち。「久しぶり!」と言いあう振袖姿にはやはり笑みが似合う。中には名前を思い出すことができない同級生もいたものの、「無理して思い出さなくてもいいよ!こうしてまた会えただけでも嬉しいもの」と優しい言葉をもらった。


ホールでの退屈な時間を経て、ついに学校ごとに分かれての再会の時間が始まった。恩師に覚えてもらえていて涙を流すクラスメイト、大学デビューでもしたのかすっかり見た目が変わってしまっている他のクラスだった人、わいわいと騒いでいるやややんちゃなグループだった人。そんな様子を見て「楽しそう」と思うだけでも来たかいがあると思った。

最高のクライマックスがあったのはその後だった。ある程度中学時代の友達と話をして帰ろうとしていた所、思いがけない再会があったのだ。それは高校時代のクラスメイトを見つけたことだった。よく考えたら同じ市内に住んでいるし同じ会場にいても何の不思議もない事なのだが、私は全くその可能性を考えてはいなかった。

近付いて名前を呼ぶと、その子は振り向いてすごく驚いた顔をした。だけどすぐに笑顔になって「まさか会えると思わなかった! 元気だった? 久しぶり!!」ととても喜んでくれたのだ。私はそのことが嬉しくて、一緒に写真を撮ったり少しの間話をした。


といってもその子と私は特別親しかった間柄ではなかったりする。お互いに高校一年生の時に同じクラスで共通の友達がいて、たまに話す程度だった。だけど上の学年になって共通の友達と別れても(私達は理系だった)、その子は私のことを気にかけてくれていて、やっぱりたまに話したりもしていた。それくらいの仲だったのにどうして再会がそんなに嬉しかったか。

それはその当時私がクラス内で孤立していたことに由来する。理系科目を選択する女子は少ない。それなのに私はグループ作成過程にはぐれてしまっていたのだ。クラスでは可愛い子と普通の子に分かれている女子がいた。私は普通の子のグループのはずだったが、私のことを良く思っていない子がいると気付いて輪を出てしまったのだった。それ以降自ら壁を作ってしまった。

再会した子は可愛い子のグループだったが、何かあると声を掛けてくれていた。そのおかげで私は「教室にいても完全に一人ではない」と思うことができていたのだ。孤立していても他の子のように腫れ物に触れるかのように話しかけてくるのではなく、高校一年生の時のままの態度で話しかけ続けてもらえてどんなに支えになったか。


何度も何度も、泣きそうになった。




どうしてこの時に連絡先を交換したいと言わなかったんだろうと今でも後悔している。はしゃいでいるばかりで気付かなかった。大人になってからFacebookで探してみてもその子の名前は出てこない。共通の友達とも連絡ができなくなっていた。成人式の前に携帯電話が壊れていたためだ。

私は孤立していたせいで同窓会にも呼ばれることがない。
あれが本当に、一生で最後の再会だったのだろう。

今でもアルバムの中で私と彼女は満面の笑顔で写っている。そのことだけが救いであり、この写真を見るたびに私はいつも「あの時は本当にありがとうね」と思う。彼女のおかげであの辛い時期に私は心を保つことができていたのだ。やさしいあなたにどうか平穏な幸せを、と祈っている。

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