「本心」平野啓一郎:感想
初めての読書感想文です。
印象深かった言葉から、思ったことを書き連ねていきます。
「お母さん、そんなこと、言わなかったよ。」
この言葉に、強い暴力性と虚しさを感じて内臓がぐるぐるとする感覚があった。<母>に自分が言ってほしい言葉を誘導的に言わせている。口調こそ優しいけれど、実際は命令として指示している。最愛の人の他者性を認められない未熟さというか、余裕の無さ、AIの<母>を通して本物の母をも捻じ曲げてしまったような、やるせなさがこの言葉に詰まっているように感じた。
でも、主人公はことあるごとに内省していく。こんなに省みれる人っているのかな?ってくらい。現代(物語の舞台は少し未来)は人と繋がることも簡単だけど、関係を切ることも簡単。色んな他者に触れる中で他者を拒絶したり、関係構築を諦めたりするのではなく、傷つきながらも他者性を受け入れ、最終的にはVFと別れを告げる主人公に驚くほどの成長を感じた。
終盤、岸谷に「部屋使っていいよ」なんて、言える人は実際なかなかいないと思う。
成長を感じたと書いたけど、主人公は物語の最初から、会話において人が心地よいと感じる間をよく考えて、察知していた。それを思うと彼は最初から他者を優しく歓迎できる人間だったのかもしれない。
リアル・アバター
主人公の青年は「リアル・アバター」と呼ばれる代行サービスを生業としている。依頼者はヘッドセットを通してアバターである主人公に指示を出すのだが…。
物語の中では、心無い依頼者によって主人公が愚弄される場面がある。不条理な命令に対してもあまりに指示通りに動くので、最後には依頼者に「人も殺すな、こりゃ」と嘲笑と感心が混じったような感想を言われていた。
主人公に行動させているのは依頼者なのに、行動の結果は依頼者にはついてこない。依頼者は自分の手足のようにアバターが動く、権力行使に伴う快感だけを引き受けていた。
今の日本では、「リアル・アバター」のようなサービスはまだ見かけない(もしかしたらあるのかも)。しかし、「代行」サービスは、よく目にするようになってきた。退職代行、Uberなど…クラウドワークスやランサーズには「代わりに行ってきて、写真を撮ってきてください」といった仕事の募集要項も見かける。これもアバターの一種では?
それに、「〇〇代行」と銘打っていなくとも、各種SNSのリポストや引用ポスト(引用として使われいるのかは疑問が残る)も同じことではないか。人々が自分の気持ちをリポスト、引用元を自身のアバターとして使っているとしたら…。
そこでは身体や貧富に囚われず、匿名性が担保されたコミュニケーションが生まれることもある。一方で、文脈を無視され、切り取られ、アバター化した言葉が、他者の思いのまま使役され、思いもよらぬところで「自己」が攻撃され揺らぐこともありうる…。このバランスをコントロールする術はまだ見つかっていない。じゃあ、一体どうしたら?一人ひとりの良識に頼るしかないのかな…?
いずれにせよ、この心無い依頼者のように人の人生を退屈しのぎにするような、くだらない人生は送りたくないなあ。
色々とテーマの多い小説でしたので、感想をまた書き足すかもしれません。
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