書けないときも机に向かい続けろ。奇をてらうのでなく職人を目指せ。
書きたいことなんてないのに、書いていたくてたまらない。私は書くことに何を求めているのだろう。誰かからの賞賛か?自己承認欲求か?そういう欲求がないわけじゃない。でも根っこにある欲求は違うみたいだ。私は自分が書いたものが誰にも読まれなくってもきっと書き続ける。「書く」というその行為が好きなんだ。まとまりのつかない考えを掴まえて、言葉という形に落とし込む。それはちょっと狩りにも似ている。
書きたいけど書けない。そんなときに思い出す本がある。宇野千代の『行動することが生きることである』だ。宇野千代は、1897(明治30)年生まれ。恋多き小説家であり、女性実業家の先駆者。1996(平成8)年に98歳で亡くなるまで、数多くのエッセイを書き残した。『行動することが生きることである』は、晩年の彼女の散文をまとめた随筆集のひとつだ。
この本の中から、私が何度もノートに書き写していた一節を紹介します。
うまく書こうとか、いいことを書こうとか思わない。とにかく毎日書く姿勢を取る。取り続ける。奇をてらわずに、そのとき自分が世界から得た感覚を言葉に書き起こす。その繰り返し。彼女はその姿勢を、人形師の天狗久から学んだという。天狗久は阿波国の中村(現在の徳島市国府町)にあった。馬車や大八車が激しく行き交うその村で、往来の埃を一日中浴びながらも、人形師の久吉は同じ仕事場に座り続けた。小さな木綿縞の座布団はぺちゃんこにつぶれていた。16歳から86歳まで70年の間、久吉は一日も休まずその仕事場に座った。
宇野千代は「これだ」と思ったのだそうだ。自分も同じように仕事場に座ったきりで、一日も休まず仕事をしたいと願った。「小説は誰にでも書ける。一日も休まず、同じ机の前に坐ると言うことは、誰にでも出来ることではない。」彼女はそんなふうに語っている。
学生時代の私は、彼女のこのエッセイに心を強く打たれた。文学部に籍を置いていた私は「傑作を書かなくてはいけない」とか「誰も書いたことのない新しい小説でなくては意味がない」とか思ってた。でも、そんなことをウジウジ言いながら一文字も書かないよりも、平凡な駄文をひたすら書き続けていたほうがいい。華やかな芸術家に憧れる。けれどそれよりまず、職人を目指すのだ。コツコツと地味に地道に、言葉を掴まえる技術を磨き続ければ良い。
しばらく忘れていた感覚を、私は今およそ20年振りに取り戻そうとしている。いまだに何にもならない駄文を書いている。それでいい。青臭い思春期のように、私は書くことに恋をし続けている。
こんな夢を見た。どこか寂れた町の国民宿舎のような宿。もしくはフェリーの和室のような古びた畳。少し黴臭い漆喰の白い壁。本来なら大人数で使うのだろうその大部屋に、ネット越しにしか会ったことのないブログ仲間の友人と二人きりでいる。どうやら、彼女と旅をしているらしい。窓の外には紺色の海が見える。
「本を出すことになったんだ」
と彼女は言う。
「それはおめでとう。どんな本?」
答えながら私の胸はざわついている。まだ書店には出ていない見本を見せてもらう。ちゃんとした装丁の商業出版だ。ぺらぺらとページをめくる。中身は見覚えのある彼女のブログ。なんのことはない、毎日の日記である。
「前にKindle出版してたのをたまたま編集者さんが見つけてくれたんだ。やっぱり、下手でも出すって大事だね」
「そうだね、すごいね」
私だって彼女のブログのファンなのだから、全力で喜びたいのにできない。悔しい。なんでもない毎日を書いただけの日記が、商業出版?でも確かに、本になった彼女の文章には魅力がある。その中に浸っていたいと思わせる何かがある。
悔しいなぁ、と思いながら目が覚める。実在しない彼女の本に嫉妬してる。売れる本を書かなくてはいけない、求められている内容を書かなくてはいけない。そうでなくちゃ商業出版なんてほど遠い。そんなふうに思っていた自分に気づく。傑作を書かなくちゃと思っていた、学生時代の私みたいだ。
そんなことより、まずは書こう。そして、下手くそな文章を晒し続けていけばいい。