お金にならない文章を書いていてもいいのだろうか?
放置状態だったnoteを復活させてから2週間が経つようだ。noteに毎日向かい合うことには慣れてきた。一方で、アメブロを書く時間が減っているジレンマを感じてる。noteで書きたいこととアメブロで書きたいことは違う。書いているときの感覚も違う。noteは書きたいことをただぶつけてみる。アメブロで書くときは「どうしたら読みやすいか」を考えている。
大量の情報がスマホを通り過ぎて行く今、瞬間的に意味が伝わるものでないとあまり読んでもらえない。読んでもらえなくても書いていられさえすればスッキリする。でも、アメブロの場合は「伝えること」を重視したい。それは、アメブロで書く記事が私のセッションの仕事に直結しているからだ。
アメブロをプロモーションに使っている人は多い。私の場合、アメブロを始めたきっかけは宣伝のためではなかった。メンタルを壊して長文が読めなくなった自分へのリハビリだった。書き始めた頃はまだ自分のビジネスは持っておらず、それ以前もやっていたライターの依頼を受けながら生活していくのだろうと考えていた。
ライターの仕事は面白い。普通に生活していたら興味を持たなかったはずの世界をたくさん教えてくれた。けれど、移動することや人と話すのが私は苦手だ。出張したりインタビューしたりすることが次第に苦痛になっていった。いつも〆切に終われ続けていることも。
ライターとしての腕に自信はある。ありがたいことに需要もあった。続けていけばそれなりに大成したかもしれない。でも私は、書きたいことだけを書きたいペースで、自分のためだけに書いていたくなってしまった。
アメブロは感情を整理するために書くこともある。それだけではなくて、自分のサービスを告知するために書くことも多い。自分のためのコピーライティング。ゲームみたいでけっこう面白い。自分のためだけにしか書かないから、〆切も依頼もない。私は私専属のライターであることを楽しんでいる。
セッションのお客さんを増やしたいなら、セッションに関連の強いアメブロを更新したほうがいい。アメブロよりさらに読んでくれている人の多いのはInstagramで、そちらにはアメブロで書いた記事を転載している。アメブロを更新することは、収入に直結しているわけだ。
じゃあ、noteは? noteは書くための実験場。読んでくれる人がいなくても、自分が書きたいものに挑戦できればそれでいい。だからまあ、noteで書いていることは収入に直結しない。
お金にならないことをしていると不安になる。こんなことダラダラ書いてていいのだろうか? それより売上に繋がるアメブロに力を入れたほうがいいんじゃない? ましてやさらに拡散力の強いショート動画を作っていたほうがもっといい気がする。……まあ、そうなんだけど、それだと短期的な満足にしかならない。私は書くことを磨き続けていたい。それがお金になるとか、ならないとか関係なく。
つまりは、noteもアメブロもショート動画も、みんなできれば解決するのだ。そのために今、生活を整えようとしているところ。毎日呑み歩くのをやめてサッサと寝る。日の出前に起きて散歩をするところから一日を始める。アウトプットしているのが当たり前の毎日になるように。
お金にならない文章を書いていてもいいの?
いいぞ。大いに書きたまえ。