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HSS型HSP、INFJの方は特に共感してくださるかもしれない、私の旅スタイルについての話。


序章

今年2024年はこれまでの数年を取り戻そうとしているかのように、1月に名古屋、岐阜、下呂、2月に神戸、3月にインドとハイペースで旅をしている。

実は旅が最大の趣味かもしれない。

そして、その旅の半分以上が18歳から始めた一人旅である。

行ける時は海外に出かけるのも好きで、トータル20か国以上訪れている。

自由が好きなので、同行者がいてもいなくてもツアーは使わず、自分ですべて調べ、計画を立てて予約を取り、旅に出るのが好き、というのが基本スタイルだ。


アイルランドの田舎道

読んだ本に出てきた風景に憧れイギリスの田舎に行ったり、ミュージックビデオで見たビーチや街並みに惹かれてカリブ海の島を訪れたり、歴史上の人物の足跡を辿って廃墟の城を見に行ったりなど、変な場所に行くこともある。

メジャーな観光地にも普通に行くが、有名だからと言っても興味がなければ行かない。パリではエッフェル塔を、ニューヨークでは自由の女神をスルーした。最近はヨガやウェルネスを体験できる場所を選ぶことも多いが、行き先の候補やアイディアはいつも日常にあふれている。

ネットがこんなに便利に使える時代にも関わらず、そこの空気感を生で感じたいという強い熱意が私を動かし続けてきた。知らない風景の中に自分がどっぷり入れることが何より好奇心を刺激されて楽しい。

ひとり旅する理由

なぜ一人で行くのが好きなのかと言うと、上記のように目的地がマニアックな場所になりがちで、なかなか同じ場所に行きたい人を見つけるのが困難であるから。

また、旅行でも日常でも私は一緒にいる人の機嫌や反応がいちいち気になってしまい、目的の旅そのものに集中できなくなることが多いからだ。最近の私は割とマイペースに同行者との旅も楽しめるようになってきているが、それでもやはり気をつかう。誰かと一緒にいる時は自由人な自分は封印。

何年も待ち焦がれた風景まであと少し、という所にいても、同行者が疲れた顔をしていたり、不機嫌の予兆が見られると私は空気を良くすることを優先させ、それ以上進むのをやめて、目的を断念するということをやってしまう。

個人の趣味を強引に押し付けるよりも同行者が笑顔でいて空気が和やかな方が食事も美味しいし、その瞬間は心地よい。

だが、結局は自分の不得手な自己主張のせいで旅そのものへの満足度に関しては不完全燃焼となってしまう。

上手く話し合えたら良いけれど、コミュ障ゆえ、その瞬間に上手く言葉が出てこないまま、タイミングを逃してしまうことが多く後悔する。

国内の温泉旅行や近場の旅なら特に問題ないが、貴重な休暇と資金を費やす海外となると、最大に楽しむことに執着したくなる気持ちが出てくる。でも他人を自分の小さな執着に巻き込む勇気はなく、微妙な感じで終わってしまう。

今年1月に行った下呂温泉

香港の話

21歳の時、女友達4人で香港へ行った。香港と言えば夜景、その夜景にずっと憧れ、それを見に行くことを楽しみにしていたが、観光の流れで昼間ケーブルカーに乗ってビクトリアピークに登ることになってしまった。

残りの3人は夜景に関心がないようだったが、私は少し夜景を見たいと言ってみた。けれども、昼間の方が良く見えるらしいよと言う皆の言葉に流されてしまい、上手く自分の希望を伝えられなかった。展望台から眺める景色は昼間も確かに美しかったが、私は100万ドルの夜景と呼ばれるものを見逃した。

食事に関しても地元の人が食べるような珍しいものに興味があったが、高級志向の友人たちは外資系ホテルのビュッフェを希望した。ここでも屋台に行ってみたいという意志を上手く伝えられず、エアコンの強いキレイなホテルでチョコレートファウンテンにマシュマロを突っ込みながらそんな自分を情けなく、悲しく感じたのを思い出す。

またいつか行けばいいやと未練はないが、一緒に行くメンバーを慎重に考慮せず、誘ってもらえた嬉しさでホイホイついていったのがそもそも間違いだったし、私は出発2日前にアメリカから帰国したばかりで時間がなかったが、それにしても少し事前に打ち合わせをするべきだったと後に反省した。

ハンブルクの話

それから半年ほど経って、友達グループと旅行することが向いていないと気が付いた私は一人で1か月ほどヨーロッパを旅していた。

ヨーロッパにはとても心惹かれるものが多いので何度か往復しているが、その回では、パリに1週間滞在し1日5件ほど美術館やギャラリーを巡る(やりすぎ笑)→ストラスブール(ドイツとの国境の街)に滞在し、バーデンバーデンというドイツ側の温泉にも足を延ばす→ドイツの複数の街を巡る(昔、炭鉱があった街に滞在した記憶)→北部のハンブルクに滞在後帰国。という感じだったと思う。

ハンブルクでは、同じ大学の友人であり、サッカーが好きでドイツのチームの練習や試合を見に行くことを目的としてやはり一人旅をしている、Sちゃんと一晩だけ同じホテルに泊まり、半日だけ行動を共にし、夕食でも食べたような記憶がある。

彼女は彼女でマイペースなので一人旅の方が気楽なタイプだからお互い無理はしない。

そんなSちゃんのスーツケースには日本から持参したカップラーメンの類がぎっしり詰まっていたことに驚いた。

サッカー関連のことを最優先にし、食費も削っていたのだろう。おそらくストイックにサッカーだけに情熱を注ぐ彼女の旅に同伴するのも、一般的な人間であれば難しいであろう。

そんなSちゃんと私は同じドイツという同じ目的地があったものの、無理にスケジュールを合わせたり行動を制限し合ったりせず、たまたま旅路が交差したハンブルクという街で一晩だけ同じホテルに泊まり、半日だけ行動を共にするというやり方で、旅の一部を共有した。

カップラーメンばかり食べていたSちゃんを、ご当地グルメの大好きな私はレストランに連れ出して、なにか豚肉料理と一緒にビールでも飲んだようなことを覚えている。

同じようなことを別の友達と、サンクトペテルブルクやウィーン、スリランカでもしてみたが、残っているのはやはり楽しく温かい思い出だけだ。

誰かと一緒に過ごす瞬間があったとしても、無理にお互いの欲求を抑えたり合わせたりすることなく、旅の一部だけを共有するという方法が私にはあっているように感じる。

ハンブルクの海
まだ暗いハンブルクの朝市

ひとり旅マインド

ひとり旅ではすべてが自由だ。
香港で感じたようなみじめな思いをすることもない。

気が変わって予定を変えても、その理由を説明することなくただ行動に移せば良いし、誰にも邪魔されず、束縛されず、批判もされない。

疲れたら疲れた瞬間に休めば良いし、速く歩きたければ速く歩くし、お腹が空いたらその時に食べれば良い。

電車やバスを間違えても、お店でぼったくられても、レストラン選びを失敗しても、ホテルがイメージと違っても、迷子になっても、それは全部自分の責任だから気まずくなることはない。

夢に見た憧れの目的地に着いたら何時間でもその世界観に浸りながら、その地に自分がいられる幸せを好きなだけ嚙み締めれば良い。果てしなく自由。

幼少時から単独行動が大好きだった私はこうやって自己と対話しながら好奇心の赴くまま動くのが大好きなのだ。

小学校の帰り道、友達と並んで歩くのも楽しかったけれど、ひとりで帰りながらいつもと違う道に足を踏み入れてみることのワクワク感、誰かに見つかって怒られないかな、とか、迷子にならないかな、というスリルも同時に感じたりしてその小さな冒険がとても楽しかったことも思い出す。

会話の相手がいないから、自分の感情や感覚と直に向き合う機会としてもひとり旅は最高である。
日常の中では気が付かなかった自分の側面が見えたり、新しいアイディアが沸き、丁寧に日々の生活を見直すきっかけになったりもする。

「旅」
と呼べるような形での「ひとり旅」となると、それが可能になる環境や条件は限られてくる。誰もが気ままにひとり旅できる状況にいるとは限らない。

しかし、日々の生活の中で一人で散歩にでかけたり、買い物に行ったり、ドライブに行ったり、カフェで過ごしたりと、
誰かの時間や都合を気にせず気ままに過ごすのが好きな方は「ひとり旅」のマインドを持っていると思う


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