ひかるころも

哲学科の学生が息抜きに書きたいことを書いています/本・映画・音楽・美術好き

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最近の記事

<私>論

 noteは多分3年くらい前から始め、気が向いたら書き、気が向いたら消してきた(今もなんとなくいくつかの記事だけを公開している)。書いたものをなんとなく振り返ってみると、私にとっては<私>がいつでもテーマだったようなので、<私>について現在思っていることを書いてみたい。  来し方を振り返ると、いつでも他者の存在によって自分を規定してきた気がする。10代のうちは他者の存在そのものに内在している暴力性に怯えていたし、20代は自分の内にある不随意性や社会的存在が怖かった。この手の

    • シンエヴァ評:喪失と回復と、いつかの決別

       結局、シン・エヴァンゲリオンは映画館で3回観た。1回目に鑑賞したときは後半部に感情移入したのだけれども、3回目にもなると、前半部におけるシンジの心の動きこそこの物語の真髄なのではないかと思えてきた。私の知る限り、あれほど丁寧に喪失と回復とそこから決別することを描いた作品はないように思う。喪失とサバイブは私の人生において大切なキーワードの一つで卒論のテーマもそれであった。人は大きな喪失体験をしたときにどうやって生き延びるのか。そして、そこからいかに<わたし>を獲得するのか。今

      • 【感想】ウンベルト・エーコ『プラハの墓地』

        ウンベルト・エーコの『プラハの墓地』は、「シオン賢者の議定書」の成立過程を描いたフィクション小説である。  本書は多様な解釈が可能な本であり、読者は常に様々な視点を意識しながら読み進める必要がある。エーコの名人芸によって成立しているこの小説は、最高の読書体験を提供してくれた。以下には、『プラハの墓地』を読むことがどのような読書体験であるのかを、あくまでも一読者の感想として記す。 ①「偽書」として読む  「偽書」の成立過程を一人称視点で語ることにより(主人公は偽書作りのプロ

        • 感想:「開校100年 きたれ、バウハウス —造形教育の基礎」

           みんな大好きバウハウス(Bauhaus)が2019年に創立100周年を迎えた。日本でも「Bauhaus 100 Japan」プロジェクトが立ち上がっており、現在、東京ステーションギャラリーでは記念巡回展「開校100年 きたれ、バウハウス —造形教育の基礎—」が開催されている。  みんな大好きバウハウスであるが、カンディンスキーやクレーといった一流の講師陣が教鞭をとっていたことや、特徴的なデザインばかりが有名で、実際のところについてはよく知られてない印象をうける。本展覧

          ここにある美 「永遠のソール・ライター」展

           この話から始めるのが正しいのか分からないのだが、少しだけ遠回りしてお話ししたい。  私が絵画芸術に惹かれるようになったのは、モネの『睡蓮』がきっかけだった。身長の倍以上はある巨大なキャンパスいっぱいに、色の洪水。「花」や「池」は私にとってはただの物体だったが、モネの眼にはこんなにも美しく見えるのか、と驚いた。文学少女的にはゲーテをはじめとした自然描写の多い作家のことを快く思っていなかったのだが、それは私の感性が鈍かっただけだった。芸術家たちの目にはこれほど美しい世界が見えて

          ここにある美 「永遠のソール・ライター」展

          「塩田千春展:魂がふるえる」はやばかった

           六本木は鼻持ちならない気取った街だ。街を歩いているだけで「人として生まれたからには一角の人物になるべきなのだ」という気分になってくる。これは私のような哲学科の学生にとっては非常に危険であろう。哲学などという金にならない営みは明日にでも辞め、IT系スタートアップで働かねばという気がしてくるからだ。  しかし、私たちはこのような危険を冒してでも六本木に行く必要がある。塩田千春展を観るために。 『塩田千春展:魂がふるえる』はやばかった。  「魂がふるえる」だなんて副題、少々大

          「塩田千春展:魂がふるえる」はやばかった