幸せに直結するのは不幸である見解。

いつも満腹を保てる幸せな胃が欲しいと熱望する人。そうすればいつも幸せでいられると思うのですが。

しかし常に満腹だと幸せじゃない!!じゃあどうしたら幸せな胃なのだ?
空腹という辛さを体が感じるから「美味しい」と感じられて「お腹いっぱい」に満たされたことが幸せに感じるのかもしれません。

私たちはこんなにも幸せを求めているのに、ずっと幸せでいることを選択していない。それをやったら大変だ!ってわかってるのに、なぜかやる。

結婚したら大変な苦労もあるとわかっているのに、誰しもが結婚式でこれからくる大変なことも二人で乗り越えていきますって言う。苦労する前提で幸せを一緒に抱える。

子どもを育てるなんて死ぬほど大変だって、命懸けのことだってわかっていても、欲しいと思ったり、育てる!と覚悟したりする。

働くことは覚悟もいるし勇気もいるし苦労もたくさんあるけれど、働くことを絶対に守る。働くことを大事にする。

自分で買ってまで苦労をするのは「そこに幸せがあると理解しているから」だと思うのです。

命がけの出産で赤ちゃんに出会える幸せは、最高のものです。

忙しくて食べられなかった空腹にやっとご飯にありつける時もとても幸せです。

苦労を伴った仕事がうまくいった時の仲間との打ち上げや、達成感はとても幸せです。

いろんなことを乗り越えている夫婦は絆が深くなり、もっともっと幸せになったりします。

苦労は時に、大きなストレスとなり、精神の病みをうみ生きるのが苦しくなると思います、私もたくさん経験があります。

苦痛が全て幸せとは思えないと思います。

逃げたっていいし、回避したっていいし、ストレスがわかったら投げ出したっていいと思う。

私もそうしてきました。そして生きています。

しかし、そうなのですが、自分に合ったものが見つかるまで

自分が自分でいられることに気が付くためにも不幸があったりすると振り返ると思います。

病気は健康を教えるために。死は生きる喜びを教えるために。苦労は乗り越える自分の力を知ることに。そんなことがあっても生きのびる知恵が自分にあることに気づくために。

もしも今、苦しいことがあっても。きっと大丈夫。

乗り越えた自分が財産になるし、そんな力が眠っていた自分に自分が一番驚くし、幸せってこれなのかってふと気が付くこともできる。

お腹空いたら食べるの嬉しいように
眠くてしょうがない時に寝るのがすごく心地良いように
きちんと排泄できたら体がスッキリするように

ちょっとの苦を感じて幸せも同時に味わえるように私たちの体の機能はそうできているのかななんて思います。

眠くならなくて、いつも満腹で、排泄する必要もなくて、生理もなくて、、の体だったら生きていくのがつまらないのかもしれません。

戦争なんて絶対にいけないと思います。戦争を体験した方に想いを馳せると悲しみでいっぱいになります。しかし資料館で読んでいた手記に、あまりにも過酷だった疎開の子どもの時代を振り返ったおじいちゃんが「あんなことがあってもこうして生きられた自分がすごくて懐かしい」と言うようなことが書いてありました。思い出したくもないということではなくてあんなことがあったのに乗り越えた自分を誇りに思えるのかと、私はびっくりしました。

私には到底ない「強さ」です。そして、平和な毎日の中で絶対に自分では作れない強さです。それを作り、生きぬいたおじいちゃんの幸せは私には絶対に感じることはできません。

私には私にしか感じられない幸せがあり、その幸せを知るには「苦」はちょっと手掛かりになるし、秘密をいっぱい持ってるし、むしろ先生だったりします。

だから「苦」が全くない時代もないのかもななんて思います。

今の苦を絶対に乗り越えたいです。その苦にどんな意味がある?どんなことを自分に教えてくれてる?結果得られた、感じられた幸せの方が大きくなってたりする。

苦労や苦痛が多いから、不幸な人生なんかじゃない。幸せが多い人なんだと思います。

だから、大丈夫。いつも大丈夫。

自分しか知らない幸せに、ニンマリして^^

私も今、実は苦しくて笑 おーー久々にまたきたーーってなってるんですけど。絶対大丈夫!!!これが幸せの素だから♪  時々そう想像してニンマリしています。苦しいのに 笑

って書いてたらめっちゃお腹空いたので、何か美味しいランチを作ります。それだけでもう幸せになってきた!!

終わり。


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鈴木めゆ
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