【体験談】夫が息子に暴力を振るう——なぜ私たちは、児童虐待から離れられたのか①
コロナ禍に起きた生活の変化の中で、息子に対する夫の虐待に気づいたというIさん(45歳/仮名)。当初、家庭内で虐待が起こっている事実を受け入れることができず、別居・離婚するまでに大きな決断が必要だったと語ります。そんなIさんが、なぜ児童虐待から離れることができたのでしょうか。一人の専門家を起点に、様々な相談窓口とつながったことで事態が好転した本事例をお伝えします。(全3話の1話目)
コロナ禍に起きた
夫の言動の変化
2021年、夫の息子に対する虐待を契機に、離婚することになった。それは、15年の結婚生活の中で、私自身まったく想像すらしていなかったことだった。
夫は個人事業主としてエンタメ関連の仕事をしていた。非常に仕事が忙しく、土日もほとんど家にいない。家事や子育ては、私が働きながらワンオペでこなしているような状況だった。
ただ、たまに休みができると、夫は時間をつくって私と子どもを遊びに連れて行ってくれた。私たち家族は、周りから見ればとても仲が良く、どちらかと言えば羨ましがられる存在だっただろう。私自身もそう思っていた。
状況が一変したのは、コロナ禍に入ってからのことだ。
外での仕事がほとんどなくなり、夫は事務所を兼ねていた自宅にいることが多くなった。すると夫が、コロナ禍で休校となり家にいる中学生の長男の勉強を見るようになったのだ。
側から見ていても、夫の熱があがり、指導にのめり込んでいるのがわかった。そして、次第に長男に対する支配や監視が強くなり、些細なミスに対してもひどい暴言を吐き、手をあげるようになっていった。
以前から、仕事が忙しいときなどは、ひどく機嫌が悪かったり、暴言を吐いたりするようなことはあった。しかし、それは子どもに向けられていたわけではなく、私が対象だった。だから私は、『その瞬間を我慢すれば済む』と思っていた。でも、毎日長男に対して声を荒げ、ときに手を出す夫を見て、『さすがにこの状況はおかしい』と感じた。
夫は、長男が勉強机を構えているリビングの一角に座り込み、つきっきりで勉強を見る。長男の集中力が切れてくると、「本気出してやってないだろう!」「やる気はあるのか、バカ野郎!」と声をあげて、頭をこづく。そのたびに、私は2人の間に入って、体を張って止めに入らなければいけない。
同じリビングには、兄同様に休校で自宅学習中の小学生の次男もいた。私は、最低限の親の責任として、夫の間違った行為をやめさせなければいけない。しかし、止めようとすると、「俺のやり方が気に入らないんだったら、代替案を出せ!」「じゃあ、お前がやってみろ!」と、自分に跳ね返ってくる。
それが毎日だ。
夫はいたって大真面目だ。横暴にしているつもりはなく、自分が言っていることが長男の成功への近道だと思っている。学業で高い成績を上げることが、“勝ち組”への道だと信じて疑わないのだ。客観的に見れば、あまりにも行き過ぎているのに、だ。
長男は、夫に叱られるたびに身を萎縮させている。課題を必死に解こうとするものの、焦っているのか、ミスを連発する。それに重ねて、さらに罵声を浴びせる夫。
これは悪循環だ。
夕飯づくりの時間に
自分の不調を感じた
でも、私は『大丈夫だ』と思っていた。自分は昔からメンタルが強いし、この状況だって解決できる。それに、ちょっとおかしいところなんて、誰にだってあるじゃないか。だから、家庭内のこの状況も“そういうよくあることのひとつ”だと思っていたのだ。
自分の不調を感じ始めたのは、夕飯づくりのときだ。なかなかメニューが決められず、キッチンに立っているのに、いつまで経っても作業を始められない。そのことに、だんだん落ち込むようになっていった。
スーパーに買い物に出かけても、冷蔵庫に何が入っていたのかを思い出せない。それでも、『今日こそはちゃんとやろう』と気持ちを奮い立たせ、いろんなものを買い込み、自宅に戻る。でも、冷蔵庫を開けると、すでに多くの食材が残っていたのに気づく。そして、また少し落ち込んでしまう。
それを誤魔化すように、いったんイスに腰掛け、缶ビールのプルタブを開ける。我に返ると、もう1時間以上も経過している。それから焦って食事をつくり始め、いつもの野菜炒めのご飯だけの夕飯をテーブルに並べていくのだ。
朝も、子どもを送り出してひとりになると『ちょっとだけ横になろう』と思うことが増えてきた。決して眠いわけではない。ただ、まずはいったん横になりたい。そうやって時間だけがどんどん過ぎていく。
さすがに自分でも「確実におかしい」と違和感を持った。これまで味わったことのない状況に困惑して、友人で心理師でもあるMさんに相談することに決めた。
長男が小学生の頃に「学校に行きたくない」と言い出して、Mさんに相談し、何度か長男のカウンセリングをしてもらったことがあった。長男もMさんには心を開き、良好な関係だった。それ以来、私も家庭の状況を話すようになっていたのだ。
Mさんからは「今のあなたの状況を見ると、やっぱり一度、心療内科に行った方がいいと思う」と言われた。私は『そうだったのか…』とぼんやり思った。確かに自分の状態はいつもと違っていたし、日々過剰なストレスがかかっているのは明らかだった。
冷たさを感じた、
心療内科でのやりとり
その後、職場からほど近い心療内科をネットで検索し、予約を入れた。
初診では45分ほど時間をかけて、今どういう状況なのかを説明した。医師は、50代後半程度の男性で、話を聞きながら内容をパソコンに打ち続けるだけで、ニコリともしなければ共感してくれるそぶりもない。感情の揺れがまったく見えない医師に対して、私は号泣しながら事情を説明した。
医師は、夫にはある特定の障害があてはまると言い、また私自身にも病名をつけた。両方の障害名・病名について、私はまったくの無知だったため、あらためてその説明を受けた。ただ、私は仕事もいつも通りできているし、心身の不調はあれども、毎日なんとか過ごせている。夫も私にとっては、ちょっと困ったところはあっても、10年以上一緒に暮らしてきた、ごく普通の人だ。だから、医師の言った内容を受け入れることができず、「いや、全然夫は障害じゃないと思います」と答えた。
帰り際、医師から「うちのクリニックに通うのであれば、今後の診療は5分になる」と言われた。その上、「薬は出せるが、あなたの場合はお酒を飲むので、漢方薬しか出せない。漢方薬は合う・合わないもあるし、すぐに効かないことも多い」とも。また、“カウンセリングを受ける”という選択肢もあると言われたが、「コロナ禍でカウンセラーの予約がいっぱいになっているため、必要なら自力で探してください」とのことだった。
とても冷たい対応だと思ったし、納得がいかなかった。だから、「今後どうするかは、考えます」と言って、その後の予約はせずに帰ってきてしまった。
なんとか時間をつくって心療内科に行ったのに、知り得た情報は、聞いたこともないような病気と障害の名前だけ。薬も処方されず、カウンセリングも予約できない。メンタルが弱っているのに、このたらい回しの状況が続くのかと思うと、非常に苦々しい思いがあった。
後日、心療内科の受診結果をMさんに伝えた。彼女としては、心療内科での受診を契機に『うまくカウンセリングと繋がれれば…』という思いがあったのだろう。しかし、それは叶わなかった。彼女は「それは残念だったね」と私をフォローしてくれた。
私の中の「絶対こうである」が
凝り固まっていた
Mさんは、あらためて今後のことを考え、彼女の心理師仲間を紹介してくれた。元々、行政機関や学校で心理職としての勤務経験があり、その後独立して私設のカウンセリングルームを運営している、Fさん(公認心理師/臨床心理士)だ。
“信頼する専門家の友人から紹介してもらった”ということもあり、Fさんに対しては最初から信頼感があった。話がしやすいし、会話もやさしい。普通のおしゃべりをしているようなカウンセリングだった。
印象的だったのは、対話を重ねるたびに、私の心の中に少し存在感のある“問いかけ”を置いていかれるような感覚があったことだ。それが、日常生活を送る中で時々静かに湧き上がり、『ああ、あのときFさんにこんなことを言われたな』と思い出す。
例えば、Fさんは時々、私が話す夫の言動に対して「私だったらそんなことをする人、嫌だなぁ」ということを口にしていた。その言葉をふとした瞬間に思い出して、『自分が“普通だ”と思い込んでいたことは、もしかして違っていたのかもしれない』と考える。そこで、自分自身が『こんな状況になっているのに、“離婚”という選択肢を考えもしていなかった』という事実に気づくのだ。
実は、心療内科でも「旦那さんとは離れるしかない」ということを言われていた。しかし、そうストレートに言われても、自分事として受け入れられない私がいた。しかし、FさんやMさんなど、いろいろな人がいろいろなアプローチをしてくれたおかげで、私の中に頑固に凝り固まっていた“絶対こうである”が、だんだん溶けていったのだ。
(全3話の1話目、おわり)
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