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第十一話 真田登場 【独裁者・武田信玄(無料歴史小説) 第壱章 独裁者への階段】

武田晴信の妹・禰々ねね
たった1日で夫を失い、息子とも引き離されて茫然自失ぼうぜんじしつとなった。

「どうして?」
この言葉を最後に何も語らなくなり、一切の表情が消えた。
人と心を通わせなくなった。

 ◇

あまりにも辛い出来事に合った人間は……
精神に強い衝撃を受け、一時的なパニック状態となってしまう。
これを見た脳は、命に関わる危険な状態になっていると認識し、身体全体に一つの『指令』を発する。

「心の扉を固く閉ざせ。
他人と一切関わってはならない。
そうすれば何も感じず、何の衝撃も受けずに済む」
と。

パニック状態はこれでやわらぐものの……
やがて激しい孤独感が襲い掛かり、続いていちじるしい『自信』の喪失がやってくる。

そもそも人間は、自分一人の力で自信を保てない
いわゆる『承認欲求しょうにんよっきゅう』と呼ばれるもので、人と交わり、人から価値ある存在と認められることで、この欲求は満たされる。
家族、恋人、親友、仲間などが必要な理由の一つでもある。

いちじるしい自身の喪失を起こした彼女は、こう願うに至った。
「わたくしには何の価値もない……
一刻も早く、この世から消えてしまいたい」

わずか16歳の女性が、心の病によって貴重な命を失った。

 ◇

晴信が諏訪郡すわぐん[現在の諏訪市、岡谷市、茅野市など]に大規模な兵站へいたん基地を築いたことで……
武田軍は補給の心配なく信濃国しなののくに[現在の長野県]を侵略することが可能となり、快進撃を続ける。
残る強敵は小県郡ちいさがたぐん[現在の上田市など]を治める村上むらかみ家を残すだけとなった。

その攻略方法を考えている矢先、ある者が極秘に晴信の元をたずねて来た。
名前を真田幸隆さなだゆきたかと言う。

大坂城の戦いで徳川家康を追い詰めた真田幸村さなだゆきむら[大河ドラマの真田丸では堺雅人さんが演じている]の祖父であり、その前に家康の大軍を二度も撃破した真田昌幸さなだまさゆき[同ドラマでは草刈正雄さんが演じている]の父である。
この時点での幸隆は、恐らく村上家に仕えていたと『推測』される。

推測される、と書いたのには理由がある。
歴史書によると……
幸隆と極めて仲の良かった実の弟・矢沢頼綱やざわよりつなが村上家に仕えていたと書いているからだ。
ところが、兄の幸隆自身に限っては意図的に抜け落ちているかのように何も書かれていない。
書かれていない以上は推測するしかない。

弟の頼綱よりつなはやがて村上家の重要拠点・砥石城といしじょう[現在の上田市]の一角を任され、この城を巡って村上軍と武田軍は血みどろの戦いに明け暮れるわけだが……
攻め上がってくる武田軍を何度も撃退した砥石城は、難攻不落なんこうふらくの城としてその名前をとどろかせた。

ところが!
晴信に仕えた兄の幸隆が訪ねて来ると、頼綱はあっさりと武田家へ寝返って砥石城を内側から落としてしまう。

難攻不落の城として『有名』な砥石城を一兵も失うことなく落とした真田幸隆さなだゆきたかの名前は、武田家中かちゅうだけでなく甲斐国かいのくにじゅうへととどろき……
真田家は歴史の表舞台へと躍り出た。
どの歴史書でも、一流の謀略ぼうりゃくだとたたえている。

これを読んだ、わたしは……
素直な疑問を抱いていた。

「実の弟を寝返らせた程度で、一流の謀略?
それに、弟の寝返り方も不自然極まりない。
そもそも。
『本当』に砥石城といしじょうは重要拠点だったのか?
これはまるで、真田家を歴史の表舞台に立たせるために仕組んだようなものではないか
と。

歴史書の筆者たちと、それを読む現代のわたしたち。
幸隆と頼綱兄弟の巧妙な芝居に『今』もあざむかれているのだろうか。

 ◇

敵方てきがたの村上家に仕えているはずの男が、自分を極秘に訪ねて来たことに……
晴信は強い関心を抱いていた。

「真田幸隆よ。
そちが来るとは意外だな。
して、要件は?」

「武田家にお仕えしたくまかり越した次第」
「何と!?
あるじを裏切って、わしに?」

「実はそれがし……
晴信様にかれております。
あるじあおぐべき御方おかたは、晴信様を置いて他にはいないと考えているのです」

「なっ!?
なぜじゃ?
なぜ、そこまでわしに……」

「『徹底的』になさるからです」
「徹底的?」

「『民を洪水から救う』
こう決めた後は洪水の原因を徹底的に調べ、銭[お金]を徹底的に使われました。
普通の人にこんな真似ができましょうや」

「……」
「『悪人を一掃する好機を逃さない』
こう決めた後はその日のうちに精鋭部隊を差し向け、悪人を根絶ねだやしになさいました。
まつりごとを行う者[官僚のこと]の不正を決して見逃さず、徹底的に健全にされたとも聞きます。
ここまで徹底的になさる方を、それがしは見たことがありません

どうやら本心で晴信に惹かれているようだ。

 ◇

幸隆ゆきたかよ。
わしも、そちのような者を初めて見たぞ」

「どういう意味です?」
「わしをめてくれた者たちは……
どの者も、わしの手腕しゅわんたたえていた。
だが実際は『違う』のじゃ」

「率直に申し上げます。
晴信様は……
協調性に欠け、非常識で、不器用で、特にこれという手腕もないと感じております

「何っ!?
ははは!
これは面白い!」

幸隆の失礼極まりない発言も驚きだが……
これに対して面白がって笑う晴信も驚きでしかない。

「わしのことをよく理解しているようだな」
恐縮きょうしゅくにございます」

「特に器用さと優れた手腕では、弟の信繁のぶしげの方がはるかに上であった。
だからこそ父は弟を可愛がった」

「……」
「弟には遠く及ばぬが、家臣たちにも似た者は多い。
父が重宝したからのう。
だがその反面、徹底的にやる者はいない」

「晴信様。
人の上に立つ者として……
協調性を持ち、常識を重んじ、器用で優れた手腕を持つことは『必須』なのでしょうか?」

「ん?
ならば、何が必須だと?」

「それは……
一点のみです」

「一点のみ?」
「決めたことを徹底的に行い、目的を『達成』することです」

「……」
器用で優れた手腕などは、むしろ下の者が持っていれば良いのです

 ◇

一呼吸を置いて、晴信が話し始める。

「幸隆よ。
わしはこう思っている。
目的こそ第一であり、手段は第二であると

「『目的のためなら手段を選ばず』
一つの真理しんりと心得ます」

「おお……
そちもそう思っているのか」

「目的を達成するには、必ず『代償』が伴うものです。
代償を恐れるあまり……
手段にこだわって目的を達成できない者に、人の上に立つ資格などありましょうや」

「その通りじゃ!
ところが。
弟の信繁のぶしげが、最近こう申すようになった。
『目的を達成するためなら……
何をしても構わないのか?』
と」

「……」

 ◇

「わしは純粋に国を、民をうれいていた。
幸隆よ。
国を、民を守るには……
この国を『一つに』せねばなるまい?」

御意ぎょい
国を一つにできない弱く無能な支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習いでしょう

「だから、わしは……
『絶対的な権力者[独裁者のこと]』を目指している」

「なるほど。
それで、国衆くにしゅうや家臣たちよりはるかに多い民の支持を集めようと……
前代未聞の治水工事に着手されたのですな?」

「ところが!
おのれのことしか考えない者どもがさまたげとなった。
保障と称して、わしから莫大な銭[お金]をかすめ取ったのじゃ!
正義とは何たるかを世に示さねばならん」

「恐らく信繁様は……
こうおっしゃったのでは?
『正義があれば、大勢の人を殺しても構わないのか!』
と」

「『絶対的な権力者を目指せば、それを阻もうとする大勢の者の血が流れることになる』
弟自身から出た言葉ではあるが……
実際に人を傷付ける行為をすれば、心は大きく痛むもの」

「多少の犠牲は『むを得ない』と存じます。
民の平和で安全な生活を守ることこそ当主たる者の務めでは?
それを脅かす存在があれば、法を無視した強引な手段で一掃いっそうする必要もあるでしょう。
実際。
今川家も、北条家も、晴信様に一目置いて武田家との三国さんごく同盟へとかじを切りました。
甲斐国かいのくにの平和を達成されたではありませんか」

「わしは……
達成できたことを誇って良いと?」

「誇って良いでしょう。
そもそも、平和は簡単に達成などできないのです。
自らが強大な武力を持って相手から一目置かれるか、あるいは強大な武力を持つ存在の所有物となるか。
二つに一つしかありません」

「平和を簡単に達成できないのは、なぜじゃ?
なぜそうなる?」

「それがしも同じことを考え、一つの答えを見出しました。
それは……
人の『生き方』です」

「生き方?」
「大勢の人がおのれの、しかも目先の利益を追求し……
より多くの銭[お金]を得ることを生きる目的としています。
これこそ諸悪の根源なのです。
我が一族も、その犠牲に……」

「何があった?」

【次話予告 第十二話 平和が当たり前という勘違い】
佐久郡は、たった1日で平和を失いました。
三方から敵が一斉に攻め込んできたからです。
無秩序な虐殺や略奪が繰り広げられ、難民たちは敵が襲ってこない方角を目指して碓井峠という難所へ殺到するのです。

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