酒場の君
武塙さんの本『酒場の君』を読むと、お腹が空いて仕方が無かった。私はずっと、居酒屋は恐ろしい場所で、取って食われてもおかしくないと思っていたので「居酒屋に行ってみたい」と思った自分に驚いている。居酒屋の前を通る度に、ここは常連さんが通う秘密基地で、一見さんはすべからくお断りなのだと思っていた。
それよりもお腹が空いていた。武塙さんの文章から居酒屋の匂いが漂っているのだ。セリのおひたし、カニクリームコロッケ、串カツ、おでん、その他諸々。
ダメ元で何か食べるものが無いか探したけれど、あるわけが無い。仕方無くウォーターサーバーから冷たいお水を注いで一気飲みした。
私が何かを作るために食材を買うことは滅多に無い。バイト先の隣にスーパーがあるけれどもっぱら昼飯専用で、朝はともなく、帰ってから何かを食べることもあまり無いのである。冷蔵庫にはいつ買ったか忘れた調味料が並んでいるはずだ。
その体たらくを今ほど悔やんだことは無い。買いに行くにしても深夜三時、外人さんしかいないコンビニは私にとって異国そのものである。それは向こうも同じかもしれないけど。
私は武塙さんのようにするりとお店に入ることが出来ない。
なんでもないラーメン屋さんでも一人だと足踏みして回れ右するし、フードコートに一人でいるのもダメなのだ。視線が集まると苦しくなる。唯一、星乃珈琲だけはテーブルごとに仕切りがあって私もするりと、逃げるように座れるのだけど。スーパーで買い物するのも苦手で、自分の買おうとする物を人に知られるのが怖い。
きっと、今の私が居酒屋に行くと、視線が怖くてメニュー表も見れないし、だれが常連さんなのかも、備えのテレビの内容も、落ち着いて確認出来やしないだろう。
居酒屋に行く前に、まずはチェーン店のラーメン屋だ。ラーメン屋も買い物も平気になったら、きっと居酒屋も勇気が出るはずなのである。そしたらその時は、武塙さんになりきって麦酒を注文するのだ。
麦酒の味はそこで初めて知ることにしよう。
『酒場の君』
武塙麻衣子
書肆侃侃房
2024.09.18 AM4:44