木下是雄『理科系の作文技術』~感想
定評ある文章術本だが、なかなかページが進まず読みづらかった。この著者ならではの「工夫」がわたしには合わなかったのだろう。
たとえばセミコロンの使用。著者は積極的に勧めており、この本にも多用されているが、わたしは、日本語の文章中にセミコロンが出てくると気になり、集中して読めない。
「なるほどー」「そうそう」と思った箇所も多い。以下、本の内容を要約したあとに、当該箇所に対する自分の感想を書いていく。特に用語で久松の「まとめ」によるミスがあるかもしれない。気づいた方はご指摘いただけると嬉しい。
実用文はやはりこうやって書くのが王道。「主張をまとめた文」に収束するように構想を練る、ということ。
文章としてはそうだろう。だが実際に道順を教えてもらう場合、「ここを100mくらい行って右に曲がり……」の微視型で教えてもらわないと、まずたどりつけない。書く場合とその場で話す場合の違いによるのか。
実用文ではトピック・センテンスが重要であることは言うまでもない。だが、文章とはそれだけではない。「力強く」書くためには、それ以外のところを補強しなければならない。
この本をひとことで言うと「逆茂木型はNG」ということになるだろう。けれども、日本語の構造(修飾句・修飾節前置型)により、どうしても逆茂木型の文章になってしまうことが多い。難しいだけに、いつも意識していないといけないね。文章の幹は幹であると明確にする。
文を短くするのは当然だが、相互の関係が明確にわかるように、整然とならべて丁寧に説明していかねばならない。だが、それを「短く」書くことが難しい。ライティングのスクールに行ったり添削を受けたりすると、自分の弱点のひとつがこれだといつも思う。
なかぐろの用法として「図・表の使い方」などと挙げられているが、並列される語同士が「図」と「表」くらい短ければ、「・」がないほうが読みやすくないだろうか。
具体例として、「報告書は一見官庁用語をならべ立てた文書」ではなく「報告書は、一見、官庁用語をならべ立てた文書」とするようにとある。「比較的少ない」ではなく「比較的すくない」とする、という。後者はよいが、前者は読点が多すぎると思う。
わたしなら前後の語句ももうすこし変更する。「一見」を別の言い方にして、漢字の連続を避ける。ここだけの文脈で直すなら「報告書とは、官庁用語を並べ立てた文書に見えます」などとするだろう。
p171に著者がアカを入れた校正記号の図があるが、校正者としてこれは賛成できない。とくに、訂正する語には、単に引出線を引くだけはよろしくないと思う。やはり「どの語を訂正するのか」が明確になるよう、テキストの右側に線を引くなりテキストを囲むなりしないと、オペレーターが間違える元になるのではないか(じつは昔、この本の例と同じように赤を入れて指摘されたことがある)。
諸手を挙げて賛成。世の中の説明書というのは、どうして知りたいことが後ろの方に書いてあるのだろう。どんな商品であっても、客は箱を開けたらまず何をするか(したいか)、それを想像してマニュアルを書いてほしい。
料理のレシピもそう。「あらかじめ火を通した鶏肉を」と途中に入れるのはやめてほしい。下ごしらえが必要なら、最初にそう書いておいてほしい。その場で手順どおり作っていっただけで出来上がる。それがレシピというものではないのか。
この本以外で述べられているのを見たことがないのが、まさにそのとおり。わたしは説明書を読むのが苦手だが、写真を見ても首をかしげることが多い。図のほうがずっとよくわかる。
わたしは話の聞き手としてレベルが低いので、上手い人の話じゃないと聞くことができない。話下手のスピーカーでは、聞き疲れてしまって内容がまったく入ってこないのだ。こういう風に話してもらえると、内容に集中できてとてもありがたい。
同時に、講師業もやっているので、いつもこれを考えなければならない。
c)「発音」は、日々トレーニングを積み上げることで改善できるし、そのようにしてきた。b)は文章を書くとき(資料をつくるとき)に必ずカットするようにしている。相当注意してそうしている。
問題はa)だ。「事実あるいは論理をきちっと積み上げてあって、話の筋が明瞭である」。わたしのセミナーでは課題に沿って話をしていくが、その説明がつねに「論理を積み上げ」「筋が明瞭」になっているだろうか。自信がない。資料を作り、ナレーション原稿を書くときにいつもこのことを思い出すよう、noteに投稿しておくことにする。