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まって!そのお気持ち表明本当に必要?~お気持ち表明の手引き~

はじめに

お気持ち表明概論(-1単位)

お気持ち表明。2016年、当時の明仁天皇が自身の退位について述べた「お気持ち」に由来したネットスラング。愚痴やぼやき、曖昧な反論や正当性の主張。主にそうした感情が見え隠れする、ネガティブで無責任なSNSでの「ご高尚なご意見」を批判する語だ。発展形は「お気持ちヤクザ」など。

嫌な気持ちになった、不快になった、こんなことは間違っている、そうした声を上げることは個人の自由だ。普段は冷静な大人でも、強い感情に駆られてSNSで物申してしまうことはあるだろう。それを見た人がどう思うかなんて、いちいち気にしてられない時もあるかもしれない。しかし安易なお気持ち表明はトラブルの元。避けるに越したことはない。

そんなあなたに朗報!稚拙なお気持ち表明を繰り返したことが原因で、人に縁を切られたこともある私がついています!失敗せずにお気持ちを述べる作法をここにお書きしましょう!

気持ちの表明はお気持ち表明じゃない

なお、自分の気持ちを書くだけではお気持ち表明とはならない。被災者への哀悼の意を表する投稿など、揶揄されるべきでないものもある。本手引きではお気持ち表明を「自分の意見や気持ちをSNSに投稿する行為」と善悪を含まないゆるめの定義で使っている。参考になれば幸いだ。


①発信の影響を考えよう!

生の感情はグロテスク

お気持ち表明と馬鹿にされる投稿は、たいがい何かに対して腹を立てている。そして、ネガティブな投稿はネガティブな感情の連鎖を生むのである。そもそも大事件や大災害が起きた時に、SNSやニュースから距離を置くことをアドバイスされる時代だ。報道ですらない、生々しい感情とともに苦言を呈する投稿は歓迎されないだろう。自分は他人の投稿は平気だと思っていても、多くの人は感情を引っ張られて心がざわつくものだ。
いちいち心の平安をSNSで引っかき回されたい人はいない。加工されていない生の感情は他人にとってグロいものである。脊髄反射的に感情のおもむくまま発信せず、自分が感情的になりすぎていないか気にしたいところだ。

発信することの効果や意義を考える

そもそも言う必要があるか?というのも非常に重要な視点だ。感情がこもっていたとしても、必要性と正当性があれば人に悪印象は与えにくいだろう。SNSで誰かが声を上げ、変化を起こした例は枚挙にいとまがない。自分の身を守らなければならないこともある。
一方で、SNSの炎上がヒートアップするのは、人が自分の正当性を信じるところにある。黙っていればいいものを、余計な一言を人前で添えていないだろうか。発信のメリットとデメリットを天秤にかけて、本当に言いたいか、言うべきか、心に問いかけてから投稿をするといいかもしれない。

②いっそ人目につかない場所でやろう!

見る人を絞る

正当性の有無と、そもそも他人のお気持ち表明を見たいかどうかは別の話。炎上だとか愚痴だとか、そんなに目にしたいものではないだろう。さらに、自分の投稿は友人・知人以外に、検索なので見知らぬ他人に見られる可能性がある。強い意見を述べる場合は尚更、他人への影響を念頭に置くのが賢明だろう。もし配慮が面倒であれば、見る人を限定した場所で投稿をすればいい。許せる人だけに投稿を見せるのが一番楽だ。

自分だけの空間、最強っす

さらに突き詰めてしまえば、フォロワー0の鍵垢、日記、チラシの裏、いくら口汚いことを書いても咎められない場は自分で作れる。配慮0%純度100%の悪口や愚痴も吐き出し放題だ。精神衛生上あまりオススメはできないが、少なくとも他人に与える影響はゼロ。人目に触れる必要のない意見であれば、そうするのも手だ。

③攻撃性、主観性、頻度を減らそう!

それでもSNSで主張したいあなたへ

自分の気持ちや意見を、我慢しすぎずきちんと伝えるのは大事なこと。しかし方法がなんであれ、公共の空間である以上その言葉は軽くない。時に思わぬ影響をおよぼし、誰かを傷つけるかもしれない。だからこそ、自分の気持ちや私見を述べる時は、なるべくニュートラルな表現を心がけたい。憎悪をまき散らさずに意見を述べることはできる。

不必要な表現をしない

「生の感情はグロい」の項で述べた通り、負の感情をそのまま見せることは他人に悪影響を及ぼす。同様に、口の悪さを人は意外と見ている。許容度は人やコミュニティによって異なるため一概にはいえない。セーフなラインを見極めるか、丁寧な言葉遣いを心がけるといいだろう。

さらに、尖った発言が私見であると判断されてしまうと、他人から白い目で見られやすい。客観的事実がなく主語がデカい(過度の一般化のこと)投稿は、真面目に取り合ってもらえないのである。意図せずドデカいことを言ってしまった日には、世界を味方につけるか敵に回すかなんて事態にもなりかねない。

繰り返しになるが、内容がよほど過激でない限り同じ主張をしつつ反感を買わないことは可能だ。自分の主張を投稿する際に
・言葉遣いが許容範囲を超えて汚くないか
・個人攻撃や人格否定に発展していないか
・過度の一般化や事実誤認、思い込みをしていないか
といった点を踏まえると、トラブルは避けやすくなる。

いちいち反応せず、いざという時だけ

ずーっとゴシップと政治の腐敗、バズったネガティブ投稿の拡散ばかりするような人がSNSにいる。言葉遣いが綺麗でも、ニュートラルな視点でも、気が滅入る投稿を何度もされると人は辟易する。自分が投稿していなくても、拡散をしたら同じだ。憎しみに呑まれて感覚がマヒしないよう、投稿する場所と頻度も気をつけたいところだ。

おわりに

お気持ち表明はおもらし

まとめとして、これ以上ない最悪な例を出してみよう。
SNSの普段の投稿が飲料水だとしたら、お気持ち表明は心のおもらしみたいなものだ。世の大半の人々は、おしっこなど飲みたくない。でもたまにおしっこはしたくなるし、漏れることだってある。だって人間だもの。でもね、人前でする、しかも他人に飲ませるという暴挙に出ているのだ。深夜のおねしょぐらいなら隣人愛で赦せるだろう。しかし、SNSでこれでもかとおしっこを飲み続け、常に他人に向けておしっこシャワーをしているモンスターがいたらどう思うだろうか。間違いなく「おしっこが大好きで常に垂れ流してるやばい人なんだな」と思われる。おしっこを水と思わせる技術や、そもそもおしっこを我慢することは、SNS時代のエチケットではないだろうか。

なぜこれを書いたのか

パルワールドや某ドラマ脚本の騒動について、誰もかれもポジショントークしてて鬱陶しいからです好悪さまざまな意見が飛び交っているのを見たためです。意見を言うのも、反応するのも他人の自由。でも、ネガティブで攻撃的な投稿は拡散されやすく、印象に残りやすい。目にしてしまう機会が増えて、半分憂さ晴らしとして書き始めた。そして案外楽しくなってきたので、調子に乗って手引きなんて仰々しいタイトルにしてみた。我ながら身勝手で独りよがりな内容だが、少しでも誰かのためになったら幸いだ。

次回、「お気持ちケーススタディ」「お気持ち表明実践・応用編」!
デュエルスタンバイ!(つづかない)


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