私が選ばなかった人生たちのゆくえ
今、私が生きているこの世界線は、過去の選択の連続によって得られた偶然の産物である。
良くも悪くも、当然ながら「今」の私がすべてであり、過去の選ばれなかった選択肢の先について考えるなどまったくの無意味である。
しかしながら、時に迷い、時に悩み、「あの時あの選択をしていたら…」とふと考えてしまう人も少なくないはず。(私もその一人…!)
今回はあえて、「私が選ばなかった人生たちのゆくえ」について考察していこうと思う。
幼稚園時代に夢見た「お花屋さん」
私の幼稚園時代は、お花屋さんやケーキ屋さんなど、子どもらしく可愛い職業の人気が高い時代だった。
そのとき本気でなりたいと思っていたかどうか定かではないが、なんとなく「お花屋さん」は楽しく働いていそうなイメージを持っていたような気がする。
お花が好きだったのかというと、おそらくそうでもなかったと思う。
案の定、将来の夢はすぐに塗り替えられることになるのだが、この「お花屋さんになる夢」も私の人生において重要な一部分だと実感している。
その理由は、高校時代に「華道部」に入部したこと。
中学では茶道部に所属していたため、高校でも続けられる環境があればよかったのだが、あいにく私の高校には茶道部がなかった。
そのため、じゃあ「華道部」にしてみる?という安易な理由で入部することに。
入ってみれば、華道の世界も大変奥が深く、お花や花器の選定と取り扱い方、生け方、所作など、学びが多い部活だった。
もし「お花屋さん」を自分の仕事にしていたとしたら…
きっとそれはそれで素敵な人生だったと思う。
私の中では、「お花屋さん」は人の人生に寄り添える素敵な職業、というイメージだ。
ただし、朝が激弱なタイプの人間なので現実的には難しかったかもしれない。
小学生時代に思い描いた人生計画
小学生のころの道徳か何かで、人生計画を立ててみよう!という授業があった。
そこで私が立てた計画は、「高卒で働いて、24歳で結婚&出産」。
当時はまだ獣医師を目指す前で、勉強が好きじゃないのに大学まで行って勉強し続ける理由が見当たらなかったため、高卒がベストだと思っていた。
現実の24歳の私はまだ大学6年生だったし、もちろん結婚の予定もいなかった。
この人生計画は大ハズレとなったが、そういう人生も悪くなかったはず。
きっと私は、そのとき置かれた環境でそれなりに輝けていたのではないかと思う。
ちなみに、中学時代は大きな人生の岐路はなかったと思うので割愛。
高校時代に考えた獣医師以外の選択肢
「この成績では獣医は無理」
忘れもしない高校1年の冬。
担任の先生との面談で言われたこの言葉で、私の心は完全に折れた。
高校受験の際に公立に落ち、滑り止めで入った高校は自分の偏差値よりもレベルが高い私立。
当然周りの同級生たちもレベルが高い人たち。
その中で、私なりに頑張っているつもりだったが、結果は残せていなかった。
担任の先生の言葉は正しかったと思う。
今の方向性で努力を重ねても、夢は叶わない。
心が折れた私が考えた道は、「ペット系の専門学校への進学」。
獣医が無理なら、もう大学に行く意味はない。
じゃあほかにやりたいことは何か?と考えてみたところ、思い浮かんだのが専門学校の「ペットビジネス学科」で学ぶことだった。
ペットビジネス学科とは、トリミングやトレーニングなど基本的な技術を習得しながら、ペット関連のビジネスについて学ぶ学科。
当時の私はドッグカフェ経営にも興味があったため、ペットビジネスは獣医の次にやってみたいことだった。
(大きな声では言えないが、実は今も馬カフェ経営が小さな夢である。お金と時間と余裕があれば…だけど。)
結局、専門学校の資料請求までして本気で検討してみたものの、どのタイミングだか覚えていないがいつの間にかまた獣医師を目指す路線に戻っていた。
もし専門学校の道を選んでいたら…
今ごろペット系の一般企業で働いていたかもしれない。
それもそれで素敵だなと思える一方で、獣医への未練が残らなかったかどうかが唯一の懸念点である。
あの時、もし退職を選んでいなかったら
2023年3月末、前職を退職。
牛と馬の獣医師として現場を走り回った7年間は、私にとってかけがえのない宝物のような時間だった。
夫の転職、そして転居。
私自身、退職までしなくても異動という選択肢もあった。
それでも退職を選んでフリーランスになった今は、この選択で間違っていなかったと思っている。
↓私が退職を選んだ理由についてはこちら↓
あの時、もし退職を選んでいなかったとしたら…
私は最寄り(といっても自宅から車で片道30分)の診療所へ異動し、相変わらずフルタイムで現場を駆け回る毎日だっただろう。
子どもの緊急お迎えにも駆けつけられず、仕事を休む際には各方面に頭を下げ、仕事に追われる日々。
忙しいのは好きなので悪くないが、やはり自分以外の人に支障が出ることがたまらなく苦痛だったはず。
私の場合は、獣医の仕事が嫌になったわけではなく、働き方が嫌になっただけ。
いずれ子どもが自立したら、現場復帰する可能性もゼロではないかもしれない。(ただ、その頃はもう復帰できる自信もないだろうけど)
この選択について今の私が言えることは、フリーの道を選んでよかったということ。
もし異動を選んでいたら、いずれ限界がきていたかもしれない。
さいごに
私が選ばなかった人生たちは、それはそれで輝けていたと思えるものもあれば、いずれ今の道に合流していたと思われるものもある。
しかし、その選択肢のすべてが今の私のルーツである。
過去の選択をすべて受け入れて自分の一部として愛していけたら、今後の人生がもっと豊かになるかもしれない。
あなたの選ばなかった人生は、どんな人生でしたか?
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