『完全無――超越タナトフォビア』第九十章
人間たちはもはやことばを選べない。
猿の時代へと還ることもできない。
本当に戻れないのだろうか。
原生動物へと還れ、と言いたい。
ことばこそが原罪であったのだ。
あゝ、自己言及の甘い罠。
クライン面をメビウスの帯で締め上げたい。
あゝ、狐であるわたくしも。
あゝ、このように人語を操るわたくしも。
何の因果か受難の十字架。
自己交差する罪の意識たちよ。
ともかく還れ、還れないが故に、還れと嗤え、人間たちよ、わたくしよ。
そこいらの小石の貴さにこそ頭を下げるべきではないのか。
人間たちは一旦生まれてしまえば。
そう、生誕の呪いとしての副反応。
そう、それを生きるしかないだろう。
だれもかれもが副反応そのものだ。
だがそれは、後悔不可能な副反応。
つまり愛である。
そこで愛である。
愛に対しては後悔がない。
後悔できないのである。
生まれてしまえば。
崩壊すること無き無垢作用。
そう言ってもいいだろう。
人間たちは愛に対しては。
いかなる歴史においても。
無垢であることしかできなかった。
無垢とは運命をあきらめないことだった。
運命をあきらめることとは運命そのものを超えること。
あらゆる無垢の基準を編み出したのは運命ではないのだ。
愛とは、人間たちの、世界に対する、反逆でしかないのだが。
もう二度と壊れることはないが。
世界は。
人間たちは愛を武器にして世界に立ち向かうしか術がないのだが。
詩狐(しぎつね)たるわたくしは。
そう、詩を敬愛するわたくしは。
そう、詩情に生きるわたくしは、人間たちのことを案じることで狐たちのことをも案じることができるのだ。
それがうれしく。
生きるものはすべて革命家だ。
愛を装備して。
ないものねだり。
人間たちとは。
世界ははもう何もかも完璧なのに。
そこにある全うな不完全さ。
裂傷。
地割れ。
不安定。
揺らぎ。
それらを世界に欲することこそが生きるものの業。
そして。
そこから愛が生まれること。
あるはずのない不完全さ。
そして。
その希求。
命の律動。
それが愛かもしれない。