おてもとの異文化【パッケージデザイン】
こんなときだけど、こんなときだからソ連のかわいいパッケージを眺めている。地元に来るバレエ団が「チャイコフスキーはロシア人だから嫌い、あいつの作った白鳥の湖なんて踊らない」と言って演目を変えた。チャイさんに罪はない。
なんで古い異国の包装紙の本なんか持っているかというと、もらったからだ。読書家の叔母さんがたまにくれる。めずらしいもの好きの叔母だから、普段買わないような本ばかり送ってくる。
本の中には、チョコレートの包み紙とかキャンディの包装紙、クッキーのパッケージが並んでいる。それからソ連のお菓子レシピ。家庭料理だけあって、あまり手の混んでいない素朴なお茶請けがたくさんあり、見ていると作りたくなる。
じわじわ来たのは「偽ジャガイモのケーキ」と呼ばれる小さなチョコケーキで、なぜお菓子にその名前を?と思ってしまう。「今日のおやつは偽物のジャガイモよ!」「わーい!」みたいなのあんまり想像できないけど、ソ連では普通だったんだろうか。
向こうの言葉では「ピロージナエ・カルトシカ」と言うらしい。たぶん「カルトシカ」が「ジャガイモ」だろう。ドイツ語でもカロトッフェルと言うから。フランス語になるといきなり「ポム・ドゥ・テール(大地のリンゴ)」になるのは言語派閥の違いか。
包装紙で印象的なのは、そこに描かれた女の子たちだ。民族衣装を着て花を持っているのもあれば、頭にスカーフを巻いた小さな女の子の絵柄も。見ようによっては、いわさきちひろの絵を彷彿とさせる。(二枚目)
スカーフ姿のほうは、子どものために作られた安価のチョコレート「アリョンカ」のもの。もともと実在する女児を基につくられたデザインで、その後パッケージを変更するものの消費者からのウケが悪く、元に戻ったらしい。
本には「(消費者からの人気は)社会主義でも気にするところなのだろうか?」と書かれていた。うーん、売れる売れないに関わらず「あのデザインいいよね」って言われるほうが作ってるほうも嬉しいのでは。
逆に「あのデザインがよかったのになんで変えたの」って言われ続けるのは、社会主義国に住んでいても嫌だったんだと思う。これはまったくの想像だけれど。
「アリョンカ」について書かれたページには、さらにこんな記述があった。
そっかあ……。資本主義社会では「このデザインは私の!」と主張するのが当たり前だからその感覚でいたけど、そうか社会主義だとこのへんは緩いのか。みんなしてちょっとずつ違うもの作りながら、みんな同じ名前を名乗っていいわけだ……。
コンビニで「これどう見てもポンデリングじゃん」と思いながら、いちおうは別の名前のドーナツを買ったことを思い出す。資本主義だから仕方ないね。
ほかにも、ソ連を代表するアニメ「チェブラーシカ」柄の紹介ページにはこんな文章が。
ノーコメント。チェブラーシカかわいいよね。
外国の包装紙っていうのは、何が書かれているか文字は読めなくても、すごく「異国」を感じられて楽しい。国によって色彩センスが違い、紙の質感が違う。ひょっとしたら海外には「日本のパッケージ集めました」みたいな本があるかもしれない。あるだろう。
日本なら、わりとスッキリ目のデザインが好きかな。