【詩を紹介するマガジン】第4回、ランボー
今回は、フランスの詩をお届けします。早熟の天才、アルチュール・ランボー。以下は通称「永遠」として親しまれる、『地獄の季節』に収められた詩です。
ランボー「永遠」
また見つかったよ。
何が?──永遠というもの。
没陽と共に消えた海。
僕を守っている魂、
懺悔の言葉をつぶやこう
あまりに虚無である夜と
焼き付けるような昼のために。
月並みな人々の同意、
踊り跳ねる大衆から
君は解放されて
思うまま飛んでいく。
真紅のサテンのような情熱は
あなたからしか出てこないから、
やらなければならないことが
やれやれと言う前に飛び出てくる。
そうだ、なんの希望もなく、
向かうべき方向もない。
博識は忍耐と共にある、
責め苦があるのは知れたことだ。
また見つかったよ。
何が?──永遠というもの。
没陽と共に消えた海。
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最初と最後の連は、映画『気狂いピエロ』でも使われた──とわかったように書いてみたが、実は映画のほうをよく知らない。予告編を見てみると、確かに最後のほうで読まれている。
『気狂いピエロ』予告編。
フランスとイタリアの合作で、監督はジャン・リュック・ゴダール。
この詩には2つのバージョンがあるので「私の知っているのとなんか違う」という人もいるかもしれない。最初と最後は同じだけれど、間に書かれているものが微妙に異なるバージョンがもうひとつある。上で訳したほうは、「…」などの余韻を使わず言葉だけで構成されていて、こっちのほうが好きだ。
「一瞬と永遠」という、矛盾する主題を切り取った詩だ。夕暮れの太陽が海に沈むと共に、辺りは暗くなる。それはわずかな間の出来事なのに、永遠を感じさせる。あれってなんなんだろうな、と思う。本当に瞬間的な出来事、すぐに過ぎ去ってしまうことの中に、それでも消えない何かがある気がして、それを永遠と名付ける。言葉の上では矛盾しているけれど、それでもそういう感覚はあって、時々ふとした一瞬に姿を現す。
作者のランボーは波乱の生涯を送った。16歳にして最高峰の詩を書き、家出をしてスパイ容疑で捕まり、放浪生活を送りながら、様々な職業に就いた。ロンドンでフランス語の教師をし、オランダ植民地志願兵になり、時としてサーカス団の通訳になった。石切り場の監督だったこともあれば、家庭教師だったこともある。彼が持っていた肩書は、いくつも並べることができる。
だけど、やっぱりランボーは「詩人」だった。本人がそれを職業として名乗るか名乗らないか、そんなことは誰も気にしない、皆が彼のことを詩人と呼ぶ。「就いている職業」と「その人が実際なに者であるか」は、全然別のことなんだろう。ランボーのことを「石切り場の監督」と思っている人は一人もいない。他人が彼を名付けるとき、そのジャンル分けはいつも「詩を書く人」だ。
彼が亡くなったのは1981年。滑液膜炎にかかって入院、右足を切断する手術をしたのち、帰らぬ人となった。奇しくも、パリで彼の名声が高まり始めた頃で、だからランボーは、多くの人が自分を詩人と呼んだ日を、恐らく見ていない。これを「残念だ」と言うべきだろうか。
ハッピーエンドで終わらなかった人生のすべてが、残念なわけじゃない。上の詩を書いた人の人生が「めでたしめでたし」で終わることはありえないように思う。おそらく痛ましい終わり方をした彼の人生は、それでも「こうあるべきだった」と言えるような、強い完結性を持っている。他人からの称賛も同情も拒否して、ひとり立つ人の送った人生。
詩というよりは独白や散文であるような、なんとも名付け難い文章だけど、本当はそんな分類自体が、とても野暮なものなのかもしれない。