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無駄なものなんて何もないと考えるようにしよう。

自分自答してしまっていた

時間は命とも言えるものだから、時間を無駄にはしてはいけない。そう学び、そう実感しました。僕は、自分を大事にしてこなかったからこそ、余計に、これからは、自分の時間を大事にしようと心に決めたのでした。

だから、時間を無駄にしてしまうと、イライラして、怒りを抑えることは出来ませんでした。つまり、価値や意味のないことをすることをとても嫌うようになったのです。

無駄なことはしてはいけない。無駄にはしてはいけない。その気持ちが焦りにつながり、前のめりになっていたんだと思います。
いつも、自分に問いかけていました。これは、意味があることなのかないものなのか。意味がないと判断したことは、自分の中では切り捨て、見向きもしなくなりました。友人との連絡も、先輩との付き合いも、更に言うと仕事も選ぶようになりました。

それによって確かに、時間を確保することが出来ていましたが、その反面、僕からは、笑顔がなくなっていたのです。常に、怖い顔をしていたんだと思います。世間話も、バカ話も通じない人になっていました。声すらかけずら買ったんじゃなかったのではないかと思います。次第に、少しずつ孤独を感じはじめました。

そして、ある時に気づいたのです。僕は幸せじゃないって。

今、やっていることに意味はあるのか

成功された方が書かれた本には、昔は、意味ないことでも一生懸命にしていた。それが、気付いたら成功のカギを握っていたとか、奇跡やチャンスに繋がっていたという話をよく耳にします。ドラマの主人公は、いつも関係ないところから、トラブルの解決法のヒントやチャンスを導き出しているものです。

こういった話を目にしたり、耳にしたりすると、僕はハッとさせられるのです。人生に無駄は何ひとつないものなんだって。そして、気づいたのです。価値や意味が歩かないかで判断することによって、僕自身が無駄なもの意味のないものを作り出していたことに。

そして、これまでの過去の自分に対しても、無意味なものがあると区別して、意味のない方の自分を否定してしまっていたのです。

もし、今日という日を何気ない一日を過ごしたとします。しかしそれは、何も得られなかった一日や何も手にすることが出来なかった一日でもあります。僕はそれを、無駄だったと意味がなかったと判断していたのです。しかし、幸せは何気ない一日の中にいっぱい詰まっているものです。それを僕は自分自身で、否定し切り捨てていたのです。

それが、僕から笑顔が消えた理由でした。

物事に価値がないと意味がないと考えることで、僕はそういった自分の一部を否定していたのです。

無駄はないと考える

全てのことに意味があると考えることで、僕は捉え方を変えることができたのです。どんなに無意味に思えることも、どこかにきっと意味があるものだと、その意味を探しだそうとする視点を持つことが出来ました。

そうすることは、目の前の出来事も解釈を変えることが出来るのです。

大げさかもしれませんが、何気ない日常にさえ、意味を感じるものになれるのです。例えば、今日の食事ひとつにとっても、生命を感じ、自分のエネルギーになって、感謝を感じるものになるものなのです。

こういったことは、意識しないと感じることができません。ですが、意識すれば感じることが出来ます。何度も何度も繰り返し、意識することが必要になるものだと思うのです。その思考を自然と出来るようになる習慣化にできるまで、特訓することで、得られるものだと思います。

無駄なことはないと考えること。それは、自分のこれまでの人生にとって、右往左往した経験や、努力したけど実らなかったこと。理不尽だと思うことに耐えていたこと。道草を食ってしまい自分を責めてしまっていたことも、受け入れて意味のあるこだと認めることができます。

そして、今、目の前のことにも、意味のある者価値になるものだと思い、一生懸命になることができます。未来にどんな選択をしても、きっと、意味のあるものになるとか、価値になるだろうと信じて進むことが出来ます。

過去、現在、未来において、ポジティブに働くものになるのです。頑張って、この習慣を身に付けたいものです。


今日も読んで頂きありがとうございます。
メルシー


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