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命を大切にする

何かを大切にすること

ものを大切にしなさい。ものを粗末にしてはいけません。そうやって、教えられてきた僕は、いつしか、大切なものは、何でもタンスの奥にしまう癖がありました。ここぞという時にだけ、使う方が大切にしているよいうに感じたからです。

これは、そんな思考の失敗談です。ある時、思い切って高いスニーカーを購入しました。ずっと欲しかったのにも関わらず、自分の為に、お金を使うことは出来なくて、モヤモヤしながらも買う勇気が出ませんでした。ですので購入した時は、嬉しくてしかたありませんでした。そして、ここぞという時に、履こうと心に決めて、長い間閉まっておいたのでした。

しかし、置いておくだけでもスニーカーって、どんどん劣化してしまうみたいで、最後はカビだらけになって、ほとんど履くことなく、ダメになってしまいました。とてもショックでした。発見したときに、そのスニーカーが泣いているように感じたのでした。

自分の命も同じ

この些細な出来事から、僕の中の価値観が少し変わったのだと思います。
ものを大事にするとか、ものを粗末にしないというのは、大事にしまっておくことでも、長持ちさせることでもないということ。もう、これ以上は、使えないないっていうまで、ちゃんと、使いきってあげることこそ、大事にしているのではないかと思うようになったのです。

遠い記憶の中で、おじいちゃんが使っていた釣り竿をおもいだしました。あちらこちらに修復していて、とても古びていました。僕は子供ながらにどうして新しいものに買い替えないのか聞きました。すると、おじいちゃんは、何故だか、この使い古した釣り竿が、一番釣れるんだよって教えてくれたのでした。

まさに、ものを大切にするということは、こういうことを言うんだと思います。

そして、自分自身の命も、また同じなのです。

過去に僕は、どうしたものか2度も自ら命を絶とうとした経験がありました。その出来事いから、僕は命を粗末にしてしまったという罪を自分に課してしまったのです。何かしようとすると、また、むやみに自分を傷つけてしまうのではないかという警告を僕の中で鳴り響かせてしまうのです。

何をするのにも臆してしまう自分。それは、大事にしようとするあまりに、タンスの押し隠したような状態でした。それは、ある意味あの時のスニーカーのように、僕の心にもカビが生えてしまうのだと思います。

命を大切にしたいという気持ちは理解できるのですが、しかし、本当に大切にするということは、毎日毎日、命を使い切るというものだということなんではないかと思えたのです。

誰も住まなくなった家を放置すると、数年で誰もすめなくなるよいうに。物は使い続けることによって、きちんと役割を全うすることが出来るから、輝きだすことが出来るものだということ。

僕ら自身も、命を大切にするということは、何も、健康で長生きすることこそ、命を大切にしているようにイメージしてしまうかもしれませんが、モノと同じように、毎日毎日を自分という人間を使い切るということだということ。

そう思うことが出来ると、自分の命を粗末にしたことにとらわれて、何も出来なかった気持ちを手放すことが出来たきがしました。いや、むしろだからこそ、自分が何かを感じたり、何かを行動することにためらうことなく動き出していく必要があるのではないかと感じるのです。

自分の天命を全うするといったような思いに変わりました。それは決して、大きなことでなくてもいいと思うのです。人生一度きりだから、僕は何でもかんでもやらなくちゃ。頑張らなくちゃいけない。夢は叶えなきゃいけない。お金は稼がなきゃいけない。やりたいことは全部やらなくちゃいけない。そうやって、自分を追い込んでしまった。結果、大切なことを忘れてしまっていたんだと思います。

僕にしか出来ないことであり、僕にとって何よりも大切なこと。それは、僕が大切にしたいと思う人を今日も笑顔にすること。その為に、自分は変わらなきゃいけないし、ポジティブであろうとする。今日はやる気が起きないから、辞めておこうなんて、自分を甘やかさないように。

まさにこれこそ、天命と言っても、過言ではありません。その為に毎日自分の命を使い切ると自分に約束しよう。

そうしたら、なんだか僕は嬉しくなったのでした。


最後まで読んでいただきありがとうございます。
メルシー


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