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敵の敵は味方~時間は敵だという認識

 この言葉は知らなかった

『時間は敵だ』

 この言葉には続きがある。

時間は敵だ
ときが経てば傷は癒される
せっかくつけてもらった
傷なのに

すみれの花の砂糖づけより / 江國香織

 思い切った吐露だなと感じた。格好もいい。“せっかくつけてもらった”というフレーズには、痛みに対する達観した感覚と、その裏側にある『傷を忘れない』という覚悟がある。
 レトリックとしも秀逸であるこの詩に出会った今更であっても、人はその出会いを忘れてしまう。
 こんな言葉を紡ぐ人物とはどんな人であるのかと興味をもったものの年末の忙しさにかまけてすっかり忘れてしまっていた。

ああ、『時は敵だ』を語ることを忘れるとはこれいかに

 この言葉を知った経緯を説明するのは簡単ではないが、やはり僕にとってはそれは大事なことのように思えるのでそれを語る。

 忘れてはいけないことを、忘れずにいることは難しい。
 江國香織さんの「時間は敵だ」という詩があるのだけれど、本当にそうだなあと、しみじみ思う。どんな痛みも、形を変えてしまう。
 そのことを、いちいち悲しんでいるわけにもいかなくて、じゃあどうやって記憶に留めるかと言えば、預けるのだと思う。例えば、ミュシャをトリガーに。鋼の錬金術師で、エドが銀時計に刻んだみたいに。 

こちら側のミュシャby松永ねる

 僕はエドを知っている。コミックのキャラクターとしては好きなタイプではないが、絶妙なバランスの造形、その立ち位置や行動原理は圧倒的に彼の周りに現れるキャラクターを引き立たせる。
 子どもでもあり大人でもあり、だからこそ時に甘え、時に奮い立つ彼の姿に、周りの大人たちは放っておけず、エドを慕い、励まし、叱咤する。またある者は嫉妬し、嫌悪し、慄く。

 通称『ハガレン』と呼ばれる荒川弘の漫画『鋼の錬金術師』を説明するのも紹介するのも難しいので割愛するが、ここで『ハガレン』について何かを書く前にねるとはハガレンの話をしなければと思う。
 もっと難しいのがこのねるという物書き仲間、音楽仲間についてである。彼女は『傷の記憶』としてエドの時計とミュシャをテーブルに並べてみせる。僕はなるほどと思えるが、一般的であるかどうかは別の話だ。
 ぜひ彼女のnoteも覗いて見て欲しい。いい感じにとっちらかっていて面白い。

 話を戻せば、記憶にとどめる努力をしなければ、時は記憶を削り取っていくということをどうとらえるかという視点のことなのだ。
 記憶にとどめておかなければと思う人にとって時の振る舞いは迷惑であり、それを『時間は敵だ』と綴れる作家とはどういう人物なのだろうかという好奇心を僕は抑えることができない。
 なぜなら僕は『時間を味方にする』ことに注力してきた人間だからである。中国戦国時代の儒家である孟子の言葉で、「天候による好機も土地の有利な条件には及ばず、土地の有利な条件も人々の強いつながりには及ばない」という孟子の言葉を肯定し、何かに迷ったときの基本戦術はここにあるからだ。

 同時に僕には心に刻んでいる言葉がある。それは誰から聞いたかわからない。或いは自然に湧き出たものかもしれないが、もし座右の銘を今選べと迫られればこう答える。

あったことはなかったことにできない

 これは過去の出来事をなかったことにする生き方に対する批判的精神を表す言葉であると同時に、事実は変わらずとも起きたことの意味を変えることはできるという希望的な言葉でもある。
 そう思って使っても時に誤解を招くこともある。僕はそれすら受け入れるつもりでいる。伝えられなかったことにも意味はある。それを覆すことができるのであれば、よりこの言葉の意味が強く人に伝わることまで計算と打算に入れることも辞さない。
 それほどにこの言葉に強い思いがある。固執していると言ってもいい。

 ゆえに『時間は敵だ』はショックだった。時間を味方につけるとは、辛いこと、悲しいことを風化できるように人の脳はプログラミングされているのだから、時間が解決してくれることもあるというのは、間違っていないんだよと人に言葉をかけることがある。
 これは消極的な姿勢であっても、つまり時間という誰もが抗えない存在に身を委ねてしまうような生き方、選択であってもいいのだという自己肯定感の最終兵器のように使っている。
 たぶん、それは間違ってはいない。しかし潔さは失われ、あらゆる物事に抵抗することを放棄する可能性もある。つまり使いどころや分量を間違えると、その副作用は看過できないものになる。

誰しもが時間に抗えないという事実との向き合い方

 うっかり思想や哲学、そしてビジネススキームや幸福論にまで話が進んでいきそうなテーマをうっかり今日まで忘れてしまう僕は、果たして時間と向き合っているのだろうか。
 問い続けることが大事であると僕は思い、それを口にする。

 だからこそ、忘れていようが思い出してこうして問い続ける。
 ねるにとってミュシャが自分の想いを忘れないために刻んだ『エドの時計』であることは知らなかったし、表参道のイルミネーションには毎年行こうとしていることも知らなかった。
 その場に居合わせた僕は、ねるとは違う視点を披露したり、イルミネーションのようなキラキラしたイベントに背を向けることをよしとしていた自分はもったいない青春時代を送っていたというエピソードを吐露した。それが偶然彼女にとって何かのヒントになったようで何よりなのだと思う。
 それはねるが自分で時間を味方につけた瞬間であったのだと思う。ミュシャが渋谷でちょうどそのタイミングで表参道のイルミネーションがあって、僕は彼女に頼みごとがあった。そして僕の視点は彼女に違う景色を見せることに役立った。
 それは「天の時、地の利、人の和」が見事にそろった瞬間である。

目の前を通り過ぎることを良しとするかしないのか

 僕は僕で「時間は敵だ」というパワーワードを得た。作家の江國香織さんは1964年生まれで2004年に『号泣する準備はできていた』で直木賞を受賞されている。
 彼女について調べてみると、喫煙家であり、阪神ファンで競艇のファンだという。だからどうということはさておき、もっとも僕がなるほどなと思ったのが、彼女の好物がチョコレートであることだった。
 彼女は結婚する際夫に、「他の女性にチョコレートを贈らない」という約束をさせたという(以上wikiより)。

 なんとなくそれで納得する僕がいる。「時間は敵だ」という僕とは違う言語感覚はこのチョコレートのエピソードに象徴されていると勝手に納得してしまった。
 あわせて『雨が大好きで、子どもの頃は雨が降ると母や妹とずっと一緒に眺めていた』というエピソードも同じように僕が雨を眺めていいなと思うのとは少し違うのだろうと考えた。
 彼女は雨を、雨粒を愛で、目でとらえていた。僕は雨を疎ましく思いながらも、心に雨を降らして潤っていた。
 目の前を勝手に通り過ぎることを良しとせず、時間は敵だと認知することで地に足をつけているのだろうか。
 他の女性にチョコレートを贈らないとは、可愛らしくもあり、力強くもあると思ってしまったのは僕だけだろうか。

 僕は敵の敵は味方にすべきだと時を味方につけようとする。どうしようもなく忘れていってしまう人の脳を制御するのに時を味方につける。或いはどうしようもなく悲しいこと辛いことを和らげるために時を味方につける。

 時間を敵として認識するのならそれに打ち勝つ術を模索しなければならない。僕は負けさえしなければいいと思うから敵対せずにすむ方法を模索する。その違いが言葉に現れている可能性についてあれこれ考える。
 またひとつ、よい問いを見つけられたと僕は思うのである。

 ねるはねるであり続けるし、僕はめけあり続けるのだろうと思う。それぞれに実名での生活があり、それがどれだけ『うすのろ』であっても生活というのはないことにはできない。
 佐野元春の『情けない週末』という曲の歌詞に「生活といううすのろがいなければ」というフレーズがある。
 全体としては四畳半フォークのシティ・ポップス版ともいえる生活もままならない男女を歌った曲である。
 当時10代だった僕は、まさにその生活といううすのろに苛立ち、早く大人になりたいと感じていた。
 しかし、いざ大人になってみると、そこにはまた違った『うすのろ』が現れる
 時間は敵だとするならば、何かを待っているときに時間は遅く進み、楽しいことをやっているときにはあっという間に進んでしまう。
 時はつねに意に反して動いていると言えなくもない。これは脳科学的にもいろいろ研究されている話でもあるし、物理学的にも時間は常に人類を悩ませている。

 だから僕は時間を味方につけることをこれからもしていくだろう。いつまで書き続けられるのか、いつまで音楽ができるのか、いつまで誰かと楽しく過ごせるのか。
 老いは悪いものではないという立場で物事を見ていこうと思っている。それがおそらく誰かに取っては不可解であったり、不快であるかもしれない。
 しかし誰かに取っては行き詰った道で引き返したり、立ち止まって考えるようなよききっかけになることもあるだろう。
 どちらも望まずに、意図せずにそうである自分でありたい。

時間は敵だが、味方につけることもできる

 時間は敵であると認識することが大事である。そしてそれを味方にできないかと考えることも大事である。しかしそれはコツのようなものでしかないし、いつでもそれができると過信するのは違うのだと思う。
 抗えないものへの敬意とは恥じるべきものではないが、従うこととは違う。などという言葉はなんとも野暮ったい。
『時間は敵だ』と言い出せる自分であるために、きっとチョコレートが必要なのだと僕は思う。

 今回たどり着いたnote

  ねるの記事は読んでいたけど、江國香織さんのことはこのとき気にならなかった。今回、Yuki.さんととーいさんの記事が参考になりました。
 自分も手に取って読んでみます。

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