また一年(公にする私信)
今年は桜が散るのが早かった。
日付が同じで、繰り返しているように見えても、結局そこにはズレがある。
繰り返しは、ズレながら生じている。
むしろ、ズレこそが繰り返す。
……とこれは、最近考えていることの影響が大きいんだけど。
今は俺、本当にバタバタしている最中。
桜を愛でる余裕はなかった。
明後日と明々後日、大きなLIVEをやるんだよ。
大きなLIVEを主催するのは3年ぶり。
単独LIVEで大きいものは3年半ぶり。
そして、4年になるんだね。
あの笑い方ができるのは、あの笑い話ができるのは、あなたとの会話固有のものだったから。
もう今後、似たものを経験するのは結構難しいけど。
それでも、これからあんな笑いをまた経験することもあるんだろうと思う。
そう思うようになった。
忘れるって、悪いことじゃないというか。
いや、良し悪しとは別で、それは訪れるものなんだって。
その最終形もいつか控えているのは確実で。
そういう意味では、先を越されてしまっていて。
うん、忘れることもその最終形も、良し悪しはわかんないや。
良し悪しのその先にいる(あるいはどこにもいない)相手に話しかけているようだけど。
まあ、四六時中、頭の中でつぶやいている言葉とこれがどう違うか、さほど違わないのではないかとも思う。
3年半前、前回の大きな単独LIVEでは追悼を込めたけどさ。
明後日・明々後日はもうそれはしない。
けど、大事なことをあらわす時には、きっとあなたへの追悼が何だかんだ込められていると思う。
初めて追悼って書いたね。
やっぱりこの日は、こちらがあなたに想いを向けられる時になるから、特別にはなるな。
本当は、いつでも、勝手に話したり、頭の中でつぶやいたり、こうやって書いてもいいんだけどね。
また1年後、あるいは思い出した時に、また想いを向けるよ。
忘れない限り、繰り返すよ。
2年前の↓
1年前の↓
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