私と生と音楽と
noteに登録したのはつい5分前の事だ。何故いきなり登録してこうやって文字を打とうとしたのか、理由はうまく言葉に出来ないがこの心の気持ちを文字にしたいと思ったからだ。だから本当に衝動的にいまキーボードを打っているわけで、しり目るふぉ、ほら。このように支離滅裂な内容になっていたらすまない。
私は気分の浮き沈みが激しくて、考えすぎる性がある。普通の人が楽に考えられることもいちいち考えすぎる。それはたいてい意味が無い事だ。例えば、
生きる意味とか
生きる意味とか世界の真理とか、あの世はあるのかとか未来とか。そんな考えても意味のない事に思いを巡らせてしまう事がある。あとは
死にたいな
って思う事も。
あまり人に自分の気持ちを全てさらけ出す事が苦手で、苦手というか自分を全部知られてしまうと自分のパーソナルスペースがなくなってしまったような感覚になって嫌な気分になる。元々一人っ子という事もあって、割と一人で過ごす事に対し嫌だなという感情を持たず、寧ろ一人の時間が無いとストレスで多分やばいと思う。
そんなんだからあんまり自分が「なぜ死にたいのか」という事を匿名とは言え話したくはないので(今は)曖昧にしておくけど。そもそも色んな事がわぁわぁっていっぱいになって、って感じだから自分でも明確な理由って難しいよね
あ、死にたいからって自傷行為や自殺未遂をした事はない。ただ、その代わりに自分がそういった負の感情を感じた時にいつもしていることがある。
それが「音楽」を聴くという事だ。
音楽。といっても色んなジャンルがあると思うが、私は端的に言うと暗め、闇や病みを感じる音楽を敢えて聴く。好んでいる。
別に明るい曲を聴かないわけじゃない。実際私は親の影響もあり昔からジャニーズが好きだし、ああいうキラキラした音楽も別に嫌いじゃない。でも、そういった負の感情を持った時にそういった曲は私の心にはなかなか響いてくれない。むしろ鬱陶しく思う。だから私は対照的な音楽をよく聴く。
何故わざわざ暗いときに暗い曲を聴くの?逆に病むんじゃ?と思う人もいると思う。でも逆だ、落ち着くんだ。
自分の気持ちをまるで代弁してくれているような気持になる。私の代わりに曲が私の分身になり、自傷や自殺をしてくれているような感覚。
特に私が好き好んで聴いている聴いているのは主にヴィジュアル系とボーカロイド曲だ。
まずヴィジュアル系、すなわちV系のバンド、V盤。そもそもV系のコンセプトみたいなものが病みだったりゴシックといったものなのだが、その中でも特に好きなバンドがいる。
それが「R指定」だ。ラップの方のR-指定と良く間違われるのだが棒線は無しだ。(R-指定も好きです)R指定Vo.のマモを筆頭に人間の病みに重点を置いている5人組バンドだ。私は俗にいうマモギャなのだが(ギャとはV盤が好きなファンの名称、バンギャルを略してバンギャ)彼の書く詩に、彼自身に、バンドに本当に助けられてきた。
何曲か私の好きな楽曲を綴る。代表的の曲「青春はリストカット」そして「病ンデル彼女」。どちらも題名の通り、病んでいる人間を題材にしているのだが、救いのないような歌詞にみえてリストカットは悪い事じゃない、それで自分が生きていけるのならいいじゃないか、生きろというようなメッセージを私は感じる。ライブでマモくんの言う「生きろ」は本当に号泣する。明るい曲の生きていればいいことあるよ、よりも絶望の中で生きろと言われるととても胸に響くのだ。他にも沢山紹介したいのだが、それはまた今度にしよう。ただ、このR指定。2019年12月29日の両国国技館公演を持って活動を停止してしまった。実際このライブに自分も参戦したのだが、本当に悲しかった。この事もまた書きたいな。このまま仮に活動を再開しなくても、私はずっとR指定の音楽を聴いて生きようと思う。
次にボーカロイド曲だ。ボーカロイドとは、ボカロPと呼ばれるクリエイターがボーカロイド(例 初音ミク)を使って音楽をクリエイトするものだ。ボカロといってもボカロPによって描く音楽は千差万別でジャンルも明るいもから暗いものまで様々なのだが、特にその中でも「社会」や「人生」について描いた楽曲がメジャーな楽曲よりも多いと感じている。
ボカロPのNeru氏を知っているだろうか。とても有名なので知っている人が多いと思う。私は彼の楽曲が大好きである。彼の楽曲には全体として陰鬱な、絶望を描いたような物が多い。救いのない社会や人生。そういったものに対する思いを初音ミクなどの無機質な声が歌う。そうするとよりその残酷さが浮かび上がってくる。
例としてロストワンの号哭を挙げる。音楽というものは聴く人によって解釈が異なるものなので、私個人の解釈として綴る。いじめ、教育の意義、世界への絶望、そして自分の人生への絶望。「刃渡り数センチの不信感が」から「どうすんだよ」「もうどうだっていいや」と歌詞の最後まで胸が苦しくなる。でも大好きだ。なぜなら共感できるから。自己解釈でしかないので、共感という言葉が果たして正解なのかは分からないが、私はこの楽曲に出会った時あああああ!!!となった。とにかく彼の楽曲が大好きだ。
「まふまふ」という名前を聞いたことはあるだろうか?私が心の底から尊敬し、敬愛している歌い手であり、ボカロPある。彼については書きたい事がいっぱいあるので今回は軽くにするが、私は彼がいるから生きているといっても過言ではないくらい、彼に生かされている。
彼は歌い手といって、ボカロ曲をカバー、すなわち「歌ってみた」をするのが本業というか、主なんだけど、自身で楽曲も創る。マルチクリエイター。本当にかっこいい。彼も色々な楽曲を描くのだがそこには人間の暗の部分が垣間見える物が多い。
終点という曲はまさにそれである。人間としての終点。すなわち死に向かうその心の絶望さ、葛藤。Neru氏と同じように心が苦しくなるのだが、その分落ち着くのだ。(この楽曲はアルバムを通して聴くとそれだけの意味ではないように聴こえてくる。それもまた非常に良。)
暗い曲を多く綴っているが、大丈夫だよ、と背中をさすってくれる曲にも本当に助けられている。
その中でも特に大好き楽曲が、Halyosy氏の「Blessing」だ。この楽曲も人によって解釈は色々あると思うが、一貫して「生きていてほしい」「生きていていいんだよ」という思いを感じる。
そう、「死にたい」は「生きたい」の裏返しなのである。
本当につらくて無理、しんどい、という時に私はこの曲を聴くのだが、毎回「何もなくても~それでも生きて欲しい」の歌詞で毎回涙を流す。別に自分の事が嫌いなわけじゃない、寧ろ自分は自分の最高の理解者だと思っているし、自分の事は大好きだ。まぁそう思わないと崩れてしまいそうだからかもしれないけれど。でも、気が落ちているときはどうしても自分を責めたり生きていたくないと思ってしまいがちで、この歌詞はそんな私の心にそっと「大丈夫」と触れてくれる。私にとってはかけがえのない曲だ。
書ききれないほど、他にも大好きなボカロ曲はあるし、もちろん明るいボカロ曲にも沢山好きな曲はある。それもまた今度綴りたいな。
勿論、いつでも病んでいるわけではない。楽しい事もあるし幸せだなと感じる瞬間もある。でも性格の面でも自分の環境的にもそういった負の感情を抱きがちで、それを責めたくはないし一つの個性とは思っているけどでも落ちてしまう事もある。そんな時「音楽」はそんな私を落ち着かせ、救ってくれる。言うなれば音楽は「延命」治療なのだ。(自殺とか自傷についてもまた今度綴りたい)
突発的に登録し書き始めた割には乱雑ではあるが打つ指が止まらなかったな。文字を打って言葉にするのって難しいけど楽しいね。私と同じような感情を抱いている人がもし読んでくれていたら嬉しいです。もちろんそうじゃなくてもね。ここまで読んでくれてありがとう。感謝です。誰も読んでないだろうけどw 自分の気持ち整理できたし。
また気が向いたら書きます。
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