めのぷ

主婦であり字書きである。書くのは小説とか、いろいろ。 noteでは雑記を徒然と書いている。

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主婦であり字書きである。書くのは小説とか、いろいろ。 noteでは雑記を徒然と書いている。

最近の記事

父の老い

数日前、父から定期連絡があって電話で話をしたんだけど、今さらスマホに機種変するとか言ってて、ちょっと止めた。 だって今までずっと通話機能だけ使ってきた(メールも使えない)のに。 それとクレジットカードの使い方も不安がある。 ちょっと様子見に行った方がいいんだろうか。

    • 亡き母の記録⑦〜最後に

      母を病院に搬送するという連絡を貰ってから、火葬場で母を見送るまではあっという間に感じた。 実際もそうで、ちょうどひと月の間に入院、転院、死亡、火葬までがあったことになる。 火葬の後も、霊園に納骨に行ったり、母の借りていた部屋の荷物を片付けたり、部屋や生活インフラを解約したり、することはいくつもあった。 全てを終わらせるのに、もうひと月かかった。 介護の手間をかけさせない良い最期だったとも思うが、早すぎるとも思っていて、複雑な気持ちになる。 元々離れて暮らしていたのが、ちょ

      • 亡き母の記録⑥〜喪主として

        当直医が出ていった後は忙しかった。 母が亡くなった瞬間から、私は見舞いに来た家族から、喪主へと変わった。看護師さんが慌ただしく出入りする病室で時折訪れる母と2人きりの時間があっても、喪主としての自覚はなかなか湧かなかったが、自分以外に喪主をする人はいないのだ。 まず、下調べしていた全国展開のお葬式サービスに電話をして、葬儀社の手配をした。 それから、遺体安置所に搬送するための寝台車が来るまでの間、看護師さんを手伝って、母にエンゼルケアをした。久々の入浴と化粧で、母は生前の

        • 亡き母の記録⑤〜臨終

          RK病院に移って1週間が経った日、夜が明け切る前に、病院から連絡があった。 「お母様の容態が良くないので、見舞いに来る予定を早めた方が良さそうです」 転院した時からいつか来ると覚悟していたとはいえ、早すぎる。 そう思いながら電話を切った。 私はその日の朝のうちに新幹線に乗って東京を目指していた。 前日までは高速バスを使うつもりだったが、そんな猶予はないと判断した。 病室に着いてみると、ベッドに横たわる母はもう意識はなく、浅い呼吸を繰り返すのみだった。 「話しかけてあげてく

          子どもと書いているので、幼いのかと思われるかもしれないが、亡き母の記録④にでてくる私の子は成人して独り立ちしている上の子です。

          子どもと書いているので、幼いのかと思われるかもしれないが、亡き母の記録④にでてくる私の子は成人して独り立ちしている上の子です。

          亡き母の記録④~転院

          母がK総合病院に入院してから20日が経ったある日、私は子どもと一緒に病院へ向かっていた。母の転院の手続きのためである。 まずは病室へ向かい子どもを母に会わせた。6、7年振りの再会で、母も嬉しかったらしい。入院してから初めて笑顔を見た。介護タクシーが迎えに来る前に精算しなければならないので、子どもに母を任せて会計へと向かう。 会計で支払いをしていると、その間に介護タクシーが到着したらしく、子どもに続いてストレッチャーに乗った母が会計そばの玄関に現れた。渡された書類をしまいな

          亡き母の記録④~転院

          亡き母の記録③〜RK病院での面談

          担当医からの説明を受けた母は、抗がん剤治療を頑なに拒んだ。緩和ケア病院への転院が決まったのもそれが理由だ。 2度目のソーシャルワーカー(SW)さんのとの面談の時、1枚のDVD-ROMを渡された。中は母の検査結果やCT画像が入っているらしい。 その後、病室の母の元へ顔を出して、私は宿泊先へと戻った。 当時(今もそうだと思うが)コロナの影響で、入院患者へのお見舞いは基本受け付けていなくて、SWさんとの約束がなければ、母を見舞うこともできなかった。 私の子も見舞いに行きたがって

          亡き母の記録③〜RK病院での面談

          亡き母の記録②の最後を少し削りました。読んでくださった方ごめんなさい。

          亡き母の記録②の最後を少し削りました。読んでくださった方ごめんなさい。

          亡き母の記録②〜担当医からの告知

          程なくして、担当医がパソコンを持って現れた。 挨拶をした後、パソコンの画面にCTの画像を開いて、担当医は母の腹部の状態を説明した。 「お母様のお腹に溜まった腹水の検査とこの画像の結果から、お母様のご病気は『肝内胆管がん』だと思われます。持って2、3ヶ月だと…」 ドラマとかでよく言うステージいくつとか、手術のこととかは言われなかった。 母は聞こえていなかったのか、担当医に聞き返していた。 「『肝内胆管がん』と言って、肝臓内外に巡っている胆管のうち、内側の胆管にがんができている

          亡き母の記録②〜担当医からの告知

          亡き母の記録①〜突然の電話

          この記事からしばらくは、去年亡くなった母のことについて書いていきたいと思う。 2020年10月のある日、そろそろ夕飯を食べようかという時に、スマホに着信があった。知らない番号だったが出てみる。 「Mさんの娘さんの携帯に間違い無いですか?」 母の名前を言うその人は東京消防庁の救急隊員で、今から母を病院へ搬送すると言った。 正直驚いた。母とは半年近く連絡を取っていなかったけど、 『便りがないのは良い便り』 と思っていたからだ。それが一気に突き崩された。 私が高校卒業のタイミン

          亡き母の記録①〜突然の電話

          書くこと

          心の中のもやもやをためこまないために、人はそれぞれ何らかの方法で吐き出してすっきりしている。 私もいくつかの方法(ヲタクだからヲタクらしく、ゲームやら漫画やら)を試したのだけれど、うまくいかなかった。もやもやしたままnoteを眺めていた時、書けばいいじゃないかと気づいた。 小説を書いてサイトに投稿したこともあるし、ブログを書いていたこともある。小説はネタがまとまらないので中途のままだけど、せっかくnoteにアカウントを持っているんだから、思っていることを書き連ねていけばい

          空の巣症候群その後

          前の記事から2年と少しが経って、その間にいろんなことがあった。 世間的には大きなパンデミックがあって、個人的には人生のターニングポイントもあって、子供たちが離れて暮らすことも、生きてさえいてくれればぐらいの気持ちになった。 全く気にかけてないって言ったら嘘になる。 でも暇な時にずっと子供のことを考えていた時期に比べたら、今は全然マシだ。 こうしてnoteを書こうという気にもなれた。 今後はこの2年間にあった出来事や今現在考えていることを書いていこうと思っている。

          空の巣症候群その後

          空の巣症候群

          自分とは無縁だと思っていたものの一つ。 子育てを丹念にしてきたわけじゃない。良い母親じゃなかった自覚がある。二人の子どもそれぞれに反抗期があったけど、今はそれを越えて適度な距離感で付き合えている。 二人が巣立つときは、笑顔で送り出せる自信あったんだよね。 でも実際は、上の子が遠くに引っ越してしまった途端、寂しさが募ってしまってしょうがない。見栄っ張りだから、子どもと対面しているときは笑顔でいたけれど、一人になったふとした瞬間に『今どうしてるんだろう』とか『困ってないだろ

          空の巣症候群

          子離れって難しいね

          私には既に就職している子供が二人いる。 一人は既に独立していたんだけれど、この春その子が引っ越して遠くに行くことになった。 今まではいつでも遊びに来られる距離に住んでいたから、のんびり構えていた。けれど、これからは気軽に会うことは出来ない。 そう思うと、とても寂しくなった。と同時にまだまだ自分が子離れできてないことを自覚する。もう一人の子ももうすぐ家を出ていくと言うのに。 元々涙もろいけれど、しょうもない事でも泣いちゃうけれど、こればっかりは涙に頼ってもいいかなと思っ

          子離れって難しいね