妻と帽子をまちがえた男
心理学の勉強をしなければ、「甘えの構造」同様、手に取ろうとしなかったんだろうなと思いつつ読んだ。
オリバーサックスという著者の名前は知らなかったけど、「レナードの朝」の原作「めざめ」を書いたことでも知られる。
レナードの朝というタイトルには聞き覚えがあった。
映画のタイトル。
1990年、ロバートデニーロ主演の映画。
レナードの朝
オリヴァー・サックスの実話を基に、治療不能の難病に挑む医師の奮闘を、一人の重症患者との交流を軸に描いた感動のヒューマン・ドラマ。
1990年アメリカ映画。レナードは、少年の頃に嗜眠性脳炎に掛かり、意識のない状態で30年病院で過ごしていた。その病院になし崩し的に赴任したセイヤーは、その病気の患者達が反射等では行動出来る事を知り、その治療に心血を注いで行く。実話を元に難病に挑む医師と患者の奮闘を描いた医療ドラマ。
この映画、見た気もするし見てないような気もする。
しかし、有名なダンスシーンは既視感があるし。
これを機会にもう一度しっかり観てみよう。
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著者のオリバーサックスは神経学の臨床医であり、ノンフィクションライター。
「妻と帽子をまちがえた男」には24の話がある。
脳神経の障害で帽子をかぶろうとして妻と間違えたり、頭の中にずっと音楽が流れてうるさいと感じる人がいる反面、音楽が流れることで懐かしい忘れたと思っていた母の面影を思い出したりする人とか、病気や事故で切断したはずの自分の手足が見えたりする現象とか、そういった経験のない私にとっては本当に不思議で、とっぴもなく、奇怪な話だった。
しかし、人間の秘めたる力を思い知らされる症例ばかりだった。
脳神経になにか異常があるとき、奇妙なふしぎな症状があらわれ、一般の想像をこえた動作や状態がおこる。(略)われわれがこれらをただ好奇の目でながめ、興味本位に読むのだったら、それはたいへんな誤りで、著者の意図と真情を正しく理解したことにはならないだろう。病気の挑戦をうけ、正常な機能をこわされ、通常の生活を断念させられながらも、患者はその人なりに、病気とたたかい、人間としてのアイデンティティをとりもどそうと努力している。
たとえ脳の機能はもとどおりにならなくても、それで人間たることが否定されるのではない。このことこそサックスが繰り返し述べているところであって、ここが問題の核心と言うべきであろう。
訳者あとがきより
この本を読み始めた時は、著者が警告したように、私はただ好奇の目でながめるように読んだ。
障がい者がいて、それを黙ってみて見ぬふりをしてる時の心情に似たものを感じながら。
しかし読み進めるにつれ、偏見に満ちていた自分を恥ずかしくなるほど、出てくる患者たちは人間味に溢れ、生きることを諦めずにいた。
失ってしまった機能を補おうとする肉体や神経の力強さや、補えない場合には秀でた能力が開花されるなど、人間の能力の高さにただただ感心した。
読み応えのある、心もじんわりする、いい本だった。
活字を見ると眠る病(またの名を更年期w)を罹っている私は、ちょくちょく寝てしまったけども頑張って読んだ。