《後編》無能な上司や同僚に苛立たなくなる3つの考え方
【明日からストレスがなくなる思考法】
なぜ努力すればするほどに苛立ちは増していくのか?
人事制度や大企業病のせいにしてしまってはいないか?
前編は『こちら』から。
〚構造的に捉えて俯瞰して視る〛
まず、ストレスを解消する3つの考え方の結論です。
①評価とは相対比較の結果である
②パレートの法則に当てはめる
③ヒト=経営資源という視点を持つ
それでは、一つずつ説明します。
①評価とは相対的な比較である
〚自分が「出来る」ということは他者は「自分ほどは出来ない」という必然〛
相手を「無能」だと『評価』したということは、その相手の仕事ぶりや成果を何か他のモノと比較したからではないでしょうか。
そしてそれは大抵「自分がやったとしたら」という自分との比較ではないか、と考えます。私はそうでした。
「自分なら分からないことは勉強するし、ヒトに聞くし、とにかくやってみるし、反省と修正を繰り返すし、前例に囚われないような考え方をするのに、、、。」という風に。
こうした自分との比較によって相手を「力不足」だとしてしまうことに終わりがないのだと気づいたわけです。
つまり、自分が努力して成長し、優秀な人材になればなるほどに、相対的に自分より「できない」人間は増えていきます。
逆を言えば、「自分が優秀である」という状況は「自分以外が自分よりは優秀でない」ということです。
つまり、この構造は表裏一体なわけで、相手の出来なさ加減に苛立つという「構造批判」は何も生まないということです。
②パレートの法則に当てはめる
〚いかなる組織も2割の社員が8割の成果を作る」という統計〛
①に加えて統計学的には全社員が優秀であることは不可能です。
私は性格が良いわけではないので、「みんな違って皆いい」なんて思えないですし、ベンチャーの必死さを目の当たりにしてビジネスの厳しさを痛感していますから、大企業社員の仕事ぶりには目を向けられないことも多くあります。
そんな不完全な私だからこそ、「苛立つ原因」を『理屈』で納得して建設的に考える努力をしなければなりません。
その有力なロジックが統計視点です。例え、優秀な企業であっても、成果に貢献するのは2割の社員であるということを考えれば、8割の「そうではない社員」に対して苛立つこともなくなります。
これは①と同じく構造的な問題であって、大切なコトは『構造』を憂うのではなく、その上でどう進めるか?という前向きな姿勢なのではないかと思うわけです。
③ヒト=経営資源という抽象化
〚人的リソースは感情をぶつけるモノではなく管理する対象である〛
これは視点の高さの問題です。自分を一従業員の目線で起こる事象を見てしまうと、主観や感情に流されてしまうことも多くなります。
しかし、これを経営という視点で見れば、自分も含めたそれもまた経営によって管理すべき対象つまり『経営資源』である、ということです。
つまり、人件費というコストを払ってその投資に見合うリターンを得られているか?という考え方です。
売上や利益を上げるための一つの手段としての人件費ですから、費用対効果を最大化するためには、人件費を削減するか、売上対比貢献度を高めるかの二択です。
今回の場合は、「優秀ではない人材」を切るか有効活用するかの二択です。
そして、日系企業ではリストラという選択肢は難しいはずですから、「いかに有効活用し、売上貢献度を高められるか」という方向性を取ることが有効となります。
このように経営視点で見ることで、自分から見て「できない社員」は「活用すべき人件費」という変換がなされるわけです。
そうすれば、苛立ちの矛先ではなく、管理すべき対象と考えられるため、不足するリソースやスキルを補ったり、あるいは共存の仕方を工夫することに時間を割くことができるのではないでしょうか。
いかがでしたでしょうか。
人間性が素晴らしい方からすれば「何を子どもみたいなことを」と思われるかもしれませんが、実際に社員同士の飲み会は同僚の愚痴大会がほとんどです。
ひとりでも経営視点で同僚を見る人が増えれば、不平不満のストレスが減って、ビジネスに対して建設的に向き合える風土が作れていくのではないかと思います。
この記事もそうした素晴らしい企業風土を築くための一助なれれば幸いです。
それでは、また。
vol.30