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M&C通信Vol.30 闇に閉ざされた世界で、本当の自由を知る

こんにちは。メルト&クリエイトです。


?:なぜ、助けようとするほど人は逃げるのか?

人に親切にしたのに、なぜか冷たい反応をされたこと、ありませんか?

困っている人に「大丈夫?」と声をかけたら、

「余計なお世話だ」と言わんばかりに無視されたり、
むしろ「なんか企んでるんじゃない?」と疑われたり…。


えっ!? なんで!?


こっちは善意でやってるのに、
まるで悪役になったかのような空気になること、
ありませんか。


助けようとすればするほど、相手は警戒して逃げる。
…まるで、お化けでも見るかのように。


でも、これには深〜い理由があるんです。


↔:優しいほど、疑われるというパラドックス

昔、こんなことがありました。

道端で、おばあちゃんが荷物を落としました。
私は急いで駆け寄って、
「拾いますよ!」と手を伸ばしました。


すると、おばあちゃん、なんと
全力で荷物を抱え込んでしまったんです。

目は不安そうに揺れていて、明らかに警戒している。


えっ!? なんで!?


私はただ手伝いたかっただけなのに、
おばあちゃんの中では、もはや強盗扱いです。

「この人、何か裏があるんじゃないか?」
と疑われることがあります。

特に、社会全体が疑心暗鬼になっている今、
親切心さえも「下心」や「打算」に見られてしまう。


まるで、"誰も信用してはいけない"という
暗黙のルールがあるかのように。


でも、ここでひとつ、疑問が浮かびませんか?


∽:なぜ、助けようとするほど拒絶されるのか?

人間って、意外と矛盾してるんですよね。

「誰か助けてほしい…」と思っているのに、
いざ誰かが助けようとすると、
「いや、大丈夫です!」と拒む。


なぜなら、"助けられる"ということは、

「自分が弱いことを認めること」

でもあるからです。


本当は誰だって、強くありたいし、
「誰かの助けがないと生きられない」
なんて思いたくない。

だから、たとえ苦しくても、
"独りでなんとかしよう"とする人が多いんです。


…でも、本当にそれでいいのでしょうか?


NW:説得の時代 から 気づかせる時代へ

実は、助けようとすればするほど相手が逃げるのは、
ある"原則"が働いているからなんです。


それは、人は説得されるのを嫌う ということ。


「あなたのために言ってるんだよ」
「こうしたほうが絶対いいよ!」


こんな言葉は、一見優しさにあふれているように見えますが、
受け取る側からすると、こう感じてしまうんです。


「うるさいな、分かってるよ!」
と心の中で思っている場合があります。


人は、「変われ」と言われると反発します。
でも、「自分で気づいたこと」なら、
すんなり受け入れるんです。


つまり、大事なのは
説得することじゃなくて、気づかせること


こちらが「こうしなさい!」と押しつけるのではなく、
相手が自分で「そうだ!」と
納得するような"空気"を作ることなんです。


☺️:助けたいのは、本当に相手のため?

昔、ある人に言われたことがあります。

「お前は相手のために助けたいんじゃない。
"助けてあげた"っていう気持ちよさがほしいだけだろ?」


…ハッとしました。


"助けること"で自分を満たそうとしてたんです。


「助けてあげた!」っていう自己満足。
「自分はいい人なんだ!」っていう安心感。


でも、それって本当に相手のためなのか?


もし本当に相手を思うなら、
無理に救おうとしなくてもいいのかもしれません。


相手が気づくまで、
そっと待つことも、ひとつの"愛"なのかもしれません。


≒:人生は、種を蒔くようなもの

ある日、道端に一輪の花が咲いていました。

それを見たとき、ふと気づいたんです。


「この花に、水を与えたのは誰でもない。"雨"だったんだ」


花を無理やり引っ張れば、根がちぎれてしまう。
でも、雨が降り、陽が照ることで、自然と育っていく。


人も同じなんです。


無理に助けようとするのではなく、
"気づきを与える環境"を作る。

それができたとき、
人は自らの力で歩き出すのかもしれません。


☹️:でも、それじゃ何もできないのでは?

「助けたいけど、待つだけなんて…」
「ただ寄り添うだけじゃ、何も変わらないのでは?」

そう思うかもしれません。

確かに、"待つ"ことは、一見何もしないように感じます。

でも、それこそが「最も大きな影響を与える行動」なのです。


植物が育つのに、根を無理に引っ張る必要はありません。
ただ、土を耕し、水をやり、
太陽が差し込む環境を整えるだけで、
時間とともに、自然と成長していきます。


人も同じなんです。


無理に言葉を投げかけなくても、
"受け入れてくれる空間"があれば、
人は自らの力で前に進んでいくものなのです。


◉:本当の愛とは、待つこと

多くの人は、"愛"を"行動"だと思っています。
「何かしてあげることが愛だ」と。


でも、本当にそうでしょうか?


もし、"愛"とは"何かをすること"ではなく、
"ただそばにいること"だったとしたら?


たとえば、赤ん坊が泣き止まないとき、
抱きしめてあげても、すぐには泣き止みません。

でも、母親が静かにそばにいてあげるだけで、
やがて赤ん坊は落ち着いて眠る。


"愛"とは、無理に相手を変えようとすることではなく、
相手が変わるまで、
ただ寄り添うことなのかもしれません


→:今日、ひとつだけ試してみませんか?

誰かを無理に説得しようとするのを、
今日だけやめてみてください。


代わりに、相手の話を"ただ聞く"


アドバイスもせず、否定もせず、
ただ「うん、そうなんだ」と頷くだけ。


相手が「この人は自分を変えようとしていない」と感じると、
逆に、心を開き始めるかもしれません。

試してみてください。
きっと、思いもよらない変化があるはずです。


◎:本当の優しさとは?

無理に助けようとしなくてもいい。
変えようとしなくてもいい。


ただ、相手が気づくための"環境"を作る。
それが、これからの時代の"本当の優しさ"なのかもしれません。


「救ってあげる」のではなく、「気づく機会を与える」


相手が成長する「余白」を尊重する。

それこそが、"本当の優しさ"かもしれません。

新しい優しさの形、今日から始めてみませんか?



最後まで、読んでいただきありがとうございます。

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