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M&C通信Vol.24 好き・嫌い、そのまま生きると
こんにちは。メルト&クリエイトです。
?:嫌いなものは遠ざけ、好きなものだけを大切にする
嫌いなものは、見たくもない。
好きなものは、大事にしたい。
この世界には、
どうしても受け入れられないものと、
心から愛せるもの、
そして…
どうでもいいものが存在します。
でも、もしこの「3つ」をそのまま生きていたら──?
人生は、毒まみれの地獄になります。
ちょっと怖い話に聞こえますよね?
でも、多くの人が、
知らず知らずのうちに この罠 に
ハマっているのです。
↔:「嫌い」は燃え広がります。
嫌いなものを目にすると、
心の中で モヤモヤ しますよね。
「なんでこんなものが存在するんだ?」
「こんな考え、許せない!」
そう思えば思うほど、
どんどん 怒りが湧いてきます。
最初は「嫌いなものを避けたい」だけだったのに、
気づいたら その嫌悪感に支配 されてしまうのです。
SNSを開けば、ムカつくニュースが目に入る。
「あの人、またこんなこと言ってる…」とイライラする。
嫌いなものに意識を向けるほど、
心の中で、毒が広がっていきます。
∽:「好き」すぎると、失う恐怖が生まれます。
では、「好き」なものだけに
囲まれていたら幸せになれるのでしょうか?
実は、それも違います。
「これさえあれば幸せ!」と思うものほど、
それを失う恐怖が生まれてしまうのです。
大切な人がいるほど、
「この関係が壊れたらどうしよう」と不安になります。
好きな仕事に夢中になるほど、
「結果を出さなきゃ」
とプレッシャーに押しつぶされそうになります。
「好き」は、強くなりすぎると
執着 に変わってしまいます。
執着は、いつか苦しみに変わるのです。
NW:「無関心」こそ、心を蝕む最大の毒です。
「嫌いなものに苦しむのも嫌だ」
「好きなものに執着するのも怖い」
だったら、「どうでもいい」と思えば楽になれるのでしょうか?
答えはNOです。
無関心は、一見 何の影響もないように思えます。
でも、それこそが 心を蝕む最大の毒 なのです。
無関心でいる時間が増えるほど、
人生は「空っぽ」になっていきます。
何を見ても「ふーん」。
誰かが苦しんでいても「まあ、関係ないし」。
そのうち、心がどんどん 冷たくなっていきます。
気づけば、何も感じなくなってしまうのです。
☺️:すべてのものに祝福を注ぐ。
ここで、ひとつの 新しい視点 を持ってみませんか?
嫌いなもの。
好きなもの。
どうでもいいもの。
そのすべてに… 無条件の祝福を注ぐ。
「祝福」といっても、大げさなことではありません。
ただ、存在そのものを「そのまま受け入れる」こと。
「嫌い」なものには、「そういうものもあるんだね」と微笑む。
「好き」なものには、「ありがとう」と感謝する。
「どうでもいい」ものにも、「ここにあってもいい」と認める。
そうすると…
心の中の毒が、スッと消えていくのです。
≒:世界は、そのままで美しい。
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夕焼け空が、真っ赤に染まっている。
「きれいだな…」
そう思うけれど、その美しさは
誰かの好みに合わせたものではありません。
夕焼けは、誰のためでもなく、ただそこにある。
「好き」とか「嫌い」とか、そんなことは関係なく、
世界は、そのままで完璧に存在しているのです。
もし、人が同じように生きることができたら…?
すべてを、あるがままに受け入れ、
好きとか嫌いとか関係なく、
ただ祝福を注ぐことができたら…?
人生は、まったく別の次元に変わります。
☹️:でも、嫌なものを受け入れるのは難しい…
そう思うのは、当然です。
なぜなら、これまでずっと
「好きなものだけ大事にしよう」
と教えられてきたから。
「嫌なものは遠ざけて、
自分にとって心地いいものだけを
選びなさい」と。
でも、その考えが
人生を苦しくしている原因
になっているのです。
なぜなら、世界には
「好き」でも「嫌い」でもないものが、
圧倒的に多い から。
つまり、「これは好き!」「これは嫌い!」と
判断しているうちは、
人生のほんの一部分しか受け取れていない のです。
◉:すべてのものに、無条件の祝福を。
ここで、
一つ とんでもない真実 をお伝えします。
それは…
「すべてのものに、
無条件の祝福を注ぐことができたとき、
人は本当に自由になる」 ということです。
「好き」なものだけを大事にしていたら、
それを失うたびに 心が揺さぶられます。
「嫌い」なものを避け続けていたら、
それに触れるたびに 心が乱されます。
「どうでもいい」と思うものばかり増えていけば、
やがて 何にも心が動かなくなります。
でも──
すべてに祝福を注ぐことができたなら?
「好きなもの」には、感謝を。
「嫌いなもの」には、理解を。
「どうでもいいもの」には、存在の承認を。
そうしたとき、
世界がまるごと愛おしくなるのです。
もう、何かを遠ざける必要はありません。
何かに執着する必要もありません。
ただ、今ここにあるものを、すべて受け入れる。
すると、心がふっと軽くなり、
生きることそのものが 喜びに変わる のです。
この瞬間から、世界がまるで別のものに見え始めます。
→:今日から始める「祝福の習慣」。
では、今すぐ 最初の一歩 を踏み出しましょう。
難しいことは一切ありません。
まずは、目の前にあるものに
「祝福」を注いでみる。
たとえば…
朝、目が覚めたときに
「おはよう、今日も生きてるね」
と自分に声をかける。
嫌なニュースを見たら、
「なるほど、そういう世界もあるんだね」
と認めてみる。
仕事でミスをしたら、
「おっ、また成長のチャンスが来たな!」
と思ってみる。
たったこれだけ。
でも、この小さな意識の変化が、
確実に人生を変えていきます。
最初は、ちょっと違和感があるかもしれません。
でも、続けていくと、気づくのです。
「世界って、こんなにも美しかったんだ」と。
さあ、今日から 「祝福の習慣」 を始めてみませんか?
◎:すべてを受け入れたとき、人生は自由になる。
生きていると、いろんなことがあります。
うれしいこともあれば、悲しいこともある。
好きな人もいれば、どうしても受け入れられない人もいる。
でも、どんな出来事も、どんな感情も、
本当は すべて祝福する(受け入れる)ことができるのです。
なぜなら、それは
「今ここに生きている証拠」 だから。
たとえば、大切な人を失ったとき。
その悲しみの中にも、
「その人と出会えた奇跡」 という祝福があります。
たとえば、仕事でうまくいかなかったとき。
その悔しさの中にも、
「次に進むためのヒント」 という祝福があります。
たとえば、何もかもが嫌になったとき。
その絶望の中にも、
「本当の自分に戻るチャンス」 という祝福があります。
そう考えたとき、気づくのです。
「世界は、最初からずっと祝福に満ちていたんだ」と。
何も変える必要はありません。
ただ、自分が 「祝福の視点」 を持つだけでいいのです。
すると、すべてが変わり始めます。
何かを恐れることも、
何かに執着することもなくなり、
生きていることそのものが 自由な喜び になるのです。
さあ、今日も 目の前の世界を祝福してみましょう。
最後まで、読んでいただきありがとうございます。