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012.クリエイティブを引き起こすために"制約"を設ける
毎週noteを心がけて、やっと1ヶ月が経過しました。毎回約4000文字くらいを意識して書いてきましたが、言語化したり、文章化したりするのは好きなんだと自覚はするものの、やはり、その難しさを回を重ねるたびに実感しています。
noteの書き方は、一度最初から最後まで書きたい筋を書いてみて、2周目でわかりづらい言葉や表現、前後関係を補足・補強する。3周目で見直したときに、また書き加えたくなったエピソードや関係しそうなことを前後に追加する。少し寝かせての4周目は、余計なものや冗長なものを削除する・・・そんなプロセスを経て投稿しています。なので、細切れではありますが、下手したら1投稿に対して5〜6時間かけているかも知れません。
さらっと1時間弱で自分の考えを理路整然と書ける人は本当すごいと思う。僕は自分のロジックや考察に自信があるわけではないので、それなりに時間を費やして書いています。そんだけの時間をかけてこのレベル?と言われるとキツイので、そのツッコミはご遠慮いただいて(苦笑)
でもね、「時間かけた分、丁寧な投稿でしょ?」と言いたいわけではなくて、そんな書き方で本当に良いのかなという疑問も生じてきて。1投稿にかけるプロセスはすごい大事にしたいと思っているし、ネタ集めもそれなりにやっているつもりなだけに、推敲の時間・周回を重ねる分、粗さはなくなり表面的に整っていくんですが、説明過多になったり、「なぜここでこれを書いたんだっけ?」みたいな衝動のようなものが削ぎ落ちていって、綺麗になりすぎる感じが少し勿体無い気もしてきて。だから、今回の投稿は一発撮り(録り)ならぬ、「一発書き」。ロジックの破綻などもあるかもですが、お許しください。
クリエイティブにおける"制約"の重要性
『クリエイティブさは、テーマや手法の自由度に比例するのだろうか?』
という質問に対して皆さんはどう答えるでしょう。
例えば、このnote。文字数の制限が無いから好き放題書けてとても良い。
でも、逆に気後れするからモチベーションが上がらないということもある。対して、X(Twitter)の文字制限があるからこそ、140文字なら書けるかもって思うかも知れないし、140文字で表現することへのこだわりや、要点を絞る苦労も生じるかも知れない。
自由な状態に置かれると、無限に可能性が広がるだけに、何もしない(できない)という状況も生じやすい。教育に関わっていた時、よく例に出していたけど、白いキャンバスを目の前に与えられたとして、「好きな絵を描いていいよ」と言われて嬉しい子どもと、何を書けばいいのか悩んでペンが止まる子がいる。(もっと言えば、大人になるに連れて、描けない人も増える。)
だから、海の絵を描きましょうってな具合に、テーマを提供する。
それで描ける子もいれば、それでも悩む子がいる。だから次にやるのは、海にはどんなものがあるかな?なんて質問を投げかけながら、暑い太陽、青い海、白い波、広がる砂浜・・・などに着目させ、視点を提供する。
それでも困るようなら、場所や構図すら指示するかも知れない。その構図の中で、対象をどのように描くかに、その子どものクリエイティブさを表現する余地がまだあるのならば、その子が表現をしようと思える段階までブレイクダウンすることは、とても重要だ。
1番の罪は、手が動かない状況のまま、思考停止のまま放置することであり、そうならないように、一歩踏み出せるようなところまでの低い課題設定と、その後のステップを提供することで、結果的にできた!っていう達成感を味わい、次からはその経験を活かして、自分でできる領域を広げていくというのが「スモールステップの原理」と呼ばれる教育の基本でもあり、僕が良く言うある種の「脳のハック」の仕方に近い。
ここまで話して気づいた人もいると思うけど、何かをするためのきっかけとして、"制限"というものがとても効果的だということ。そして、制限と呼ぶとネガティブな意味合いでとられる言葉かもしれないけど、とある条件下において活動をする"制約"は、「〇〇縛り」のように、難易度も高くなる分、とても刺激的で、ポジティブにとらえられてもいます。
自由度を楽しめるというのは、それなりの才能のようなもので、なかなかハードルが高いということでもあると僕は思っていて。逆にいうと、クリエイティブを生み出し続けなければいけない人は、意図的にもしくは無意識的に、①制約を自分で設けることをしたり、もしくは②偶発的に起きる意図しない制約を楽しむマインドセットがあるように思います。
そして、『制約』はセレンディピティとも親和性があると僕は考えていて、今日はこの制約について考えていきます。
①意図的に制約を設ける
いざ制約を設けるとなると、あの頃の自由にやって良いと言われてた頃が懐かしくなる笑。大丈夫、自由を取り戻すためのプロセスが制約だから。
よくやりませんでした?
横断歩道の白いところしか歩いちゃダメとか、文章の中で必ず韻を踏むとか、ゲームで魔法を一切使わないでボスまで行くとか・・・。無意識的に日常の中で制約を設けることをしてきているにも関わらず、仕事とかでクリエイティブを求められると、制約という名の"あそび"を取り込まなくなる。
アンビエントミュージックの大家であり、Window95の起動音の作曲家でもあるブライアン・イーノに関する僕の大好きなエピソードがあって。
彼は既存のやり方を繰り返したり、慣れに陥ることを、停滞どころか退化と捉えてるんだろうなと感じるんだけど、その壊し方がもうエグい笑
新作のアルバムの時なんか、ドラムの人にギター弾かせたり、演奏する楽器を変えさせたなんて逸話もあるくらいで、でもそれが固定観念や、こうあるべきという常識を壊す可能性があると理解していたんだと思うんです。
そんな彼の『Oblique Strategies』という発想法があるんだけど、抽象的で格言じみたカードが115枚もあって、そのカードに書かれた指示に従って考えることで、思考を固定化させないという方法です。例えばこんな感じ。
隠された意図としてあなたの過ちを尊重してください。
問題をできるだけ明確に言葉で述べてください。
あなたの親友なら、どうしますか?
このような抽象度の高い指示が、考えるための余白をあなたに提供してくれるわけです。
僕の例で言えば、趣味でDJをしてまして。DJmixを気まぐれで作ってアップしたりするのですが、ヘビロテした2,3曲(できるだけ他ジャンル)を選んで、それを必ず使うために前後の曲をセレクトするようにしています。そうすることで、三上っぽいけど、今までと違うねって言ってもらえるmixにすることができました。※以下から3年前に作ったmixが聴けます。
日常に制約を取り入れるヒントは、いろんなところに転がっています。大事なのは制約を日常に取り入れることに加え、その制約が無謀なことではなく、努力すればできそうなストレッチの効いたものであることだと思います。
②アクシデントを楽しむ
偶発的な意図しない制約も楽しむと書きましたが、それはつまりアクシデントを楽しむということです。僕は常々、「事故合理化」して話す人に対して辟易しています。これは強めに言っておきます。カッコつけるな!と。
プロジェクト然り、アート然り、賞賛されると、それについて当然ながら質問をされたり、解説しなければいけなくなります。その時に、あたかもハナからそう考えていたかのように話す人を見ると、しらけると言うか、自己顕示欲強いなとかって思っちゃうんです。すみませんね、性格が悪くて。
紆余曲折あったじゃんって。
あのトラブルのせいで、そうせざるを得なくなっただけじゃんって。
でも・・・、そういう当時のアクシデントって削ぎ落ちていってしまうんです。限られた時間の中で話さなきゃいけないからかもしれません。アピールすることで、自分たちの強みを誇示するためかもしれません。そんな大人の事情も含め、もちろん理解してはいます。
事後合理化を意図的にしてる人もいるけど、無意識でそうしてる人もたくさんいるんです。これは脳のメカニズムなんですよね。人はそうやって苦労やアクシデント・トラブルを忘れることで前向きに生きていけるわけですから、いつまでも悲観的でいないようにするために、美化したり、教訓に置き換えたりする機能が備わっているおかげで前向きでいられる。でも、プロセスを忘れて事実を都合よく書き換えることと、それを取り入れて自身の地肉に変えていくのとでは雲泥の差です。そして、僕は事後合理化する前のアクシデントとそれに対する判断や意思決定にこそ興味がある。
で、話は戻って、結果論かも知れないけど、このアクシデントという制約は現状を打破し、新しいクリエイティブを産むきっかけになりうるという話です。脳はなるべく少ないエネルギーで稼働するように作られていて、通常はすぐに省エネで運用しようとする。言い換えれば、放っておくと脳はすぐに手を抜くので、それを刺激してあげるのが、何かしらの制約だという理屈です。
世の中は往々にしてアクシデントだらけで、計画通りにいかないことなんて日常茶飯事。みんなわかっているはずなんだけど、にもかかわらず、緻密な計画を立てることに重きを置き、寸分の狂いなくそれを進めることを重視し過ぎている気がします。極端な例かも知れないけど、立てた計画が予定通りにいかないことでイラつき、周りの人にまでその不機嫌な様子を蔓延させるような人すらいます。(いや、結構いるよね。)
対して、僕が尊敬する人(リーダー)たちは、予期せぬことやトラブルに対して平常心で、(表面的には)落ち着いて判断しているし、感情的になることもない。そして口を揃えて、そういうアクシデントの可能性も含めて頭を回らして想定をしているか、そこまでの想定はしていないにせよ、アクシデントに対する柔軟性を兼ね備えているように思うんです。
このnoteで何度となく言っている通り、計画の重要性を軽視するつもりは微塵もありませんが、でも、計画を重視しすぎるが故の落とし穴もある。だから大事なのは、変化に対しての柔軟な対応力とマインドセットであり、その状況を楽しむ力や、制約が新しい可能性を秘めていると信じ、諦め投げ出すことなく向き合い続けることなのだと僕は思っています。例えば、スコッチの原料が取りづらいことから生まれたバーボンも制約から生まれたものです。
ここで僕の事例も紹介します。10年ほど前、とある企業と共に、子ども向けの施設の立ち上げに関わりました。学童保育施設と科学教室が併設された施設で、お台場にある国立の科学館の初めてのサテライト教室も設置されることや、その企業の製品を活用したコンテンツなどでも話題でした。しかし、いざオープン直前に、これらのコンテンツが開業には間に合わないというアクシデントに見舞われました。
僕らとしてはそれが「売り物」なので、売り物がない=価値がないと言っても過言ではなく、相当頭を悩ませました。でも、そこで怒るのではなく、チームみんなでそのコンテンツが整うまで、自分たちでコンテンツを作ろうと一念発起しました。
そこからはまさに自転車操業。お客様がどんなことに興味があるのか、何を作ったら入りたいと思ってくれるのかをヒアリングしまくり、欲しいと言っているものを創作してみては科学教室として開講し、その反応を見て、ブラッシュアップしたり、その続きを創作したり。あの時の感覚は今でも忘れられずとても刺激的でしたし、その時に作ったコンテンツたちが、日経新聞に取り上げられたことで、まだまだ日本では注目されて間もない『STEM教育』について実践している教室として、ラジオなどのメディアに呼ばれて、解説をさせていただいたこともあります。結果としてその施設は、ウェイティングリストを作らなければならないほど、とても人気の施設になりました。
でも、これは狙った成果ではなく、予期せぬアクシデントをみんなで必死に乗り越えた先のクリエイティブと成果であり、結果論でしかないという、私の体を張った実例です。クリエイティブにおける制約の重要性について、思うところを書いてみましたが、いかがでしたでしょうか。
コンテクストを高めに書いてみる
最初に書いた通り、今日は衝動的に書き連ねてみましたが、意識したことは言葉の解説や、それぞれの内容について細かい解説を極力排除することでした。
丁寧に解説をすることもできなくないのですが、それは逆に言えば思考停止をさせてしまうのかもしれないなと思っていました。その人が読んだ時に、解釈の余白があって考えるきっかけになったり、わからない言葉について自分で調べて読んでみようと思ったり、そういうきっかけにもなるのではないかと思った時に、(僕ができる範囲で)綺麗に文章を整えることは、僕が大事にしているセレンディピティの阻害になるかもしれないと思ったのです。
多少、読みづらいところもあるかもしれませんが、これからもこんな感じで、生煮えであまり整理しすぎない文章を書いていこうと思います。よかったら引き続きお楽しみいただけると嬉しいです。
最後に
セレンディピティ(偶然と才気によって、探していないものを発見すること)をただ降りかかってくる運として捉えるのではなくて、普段の過ごし方や考え方を少し変えることで、その頻度を増やすことができる後天的な能力なのではないかと僕は考えていて、個人的な趣味として研究しています。
今後も、色々な経営者との対話から得た知見や、ビジネス書、論文などの文献を織り交ぜながら、生煮えの考察を言語化、発信しているNOTEです。
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