見出し画像

育児において、親は脇役に徹するべし

こんにちは!!

今日も育児と仕事に奮闘中のパパセラです!

----------------------------------

今日は『親子の物語』についてのお話。

我々は自分の人生を自分の軸で生きており、自分の感じたことは自分の中では唯一無二の経験になる。子供自身も同じで子供独自の物語・ストーリーが展開される。そんな事を考えていると、育児におけるストーリー展開について思うことがあったのでこのnoteに書き留めてみる。

〈子供の物語において親は脇役〉

子供の物語において、主人公は言うまでもなく子供自身だ。子供自身が感じたこと、経験した事を子供視点で展開されるストーリーそのものだ。これから子供には様々なイベントが待ち構えている。心躍るような体験や、死にたくなるほど嫌な体験をするかもしれない。その中心はいつも子供自身である。そんな子供の物語においては親は脇役に他ならない。脇役というと「通行人A」みたいな印象で少し寂しくなるので重要人物といったところだろうか。どちらにしても、子供の物語において親が主人公になることは絶対にない。

〈子供の物語に親が主張しすぎる〉

そんな子供の物語において親が首を突っ込みすぎることがあるのではないだろうか。子供が本当にしたいことなどを親の都合でルート変更してしまうことはないだろうか。

これは私自身の経験だが、私が進んだ人生の半分は親が干渉していたのだ。小学校の習い事、中学時代の塾、進学先、就職など、全てに口を挟んできた。だからだろう、私自身子供時代の自分の物語をあまり語ろうと思ったことがないのだ。話すとなるとそれは親の思考が入っており、親の物語が混在しているからだ。つまり私の人生に親が主人公としてやってきたということだ。様々なことに関して決定権を奪われていた。

そんな経験があり嫌気がさした私は、高校卒業後の進学先を自身で主張し、反対を押し切って田舎から都会へ飛び出たのだ。当時は単に都会への憧れが原動力だったかもしれないが、今思えば自分の人生の主役を取り戻そうとした行動だったかもしれない。

〈親の物語は育児において”スピンオフストーリー”〉

自分の経験を書いてみたが、親にとっては私の存在は目の離せない存在で的確なルートを作ってあげようとする気持ちがあったかもしれない。いわゆる「正しい」と言われる道のりを歩ませてあげたいという気持ちの現れだろう。つまり親視点の物語も確かに存在するのだ。親も子もそれぞれ別の個体なので仕方がない。しかし、育児や子供の成長において子供が脇役になってしまうと子供自身の感情や意思決定を蔑ろにしてしまう。どうにか折り合いをつけることができないかと思い、一つの結論に至った。

『育児』において、子供の物語が”メインストーリー”であり、親の物語は”スピンオフストーリー”

スピンオフとは、『派生的に生じることや、派生により生じた物、副産物など』をさす(wikipediaより)。育児において、子供の物語の背景に『親の心情』というスピンオフストーリーがあるという感じだ。つまり、子供の物語ありきで親の物語があるということだ。育児というステージにおいてはやはり主役は子供自身であり、親は脇役に転じて子供の経験を大事にする必要があるということだ。

そしてポイントは”『育児』において”というとろだ。

これが育児ではなく、『仕事』というステージに変われば間違いなく親が主人公となり、子供はその物語に登場する脇役になるかもしれない。要はステージの違いによって役割が変化してくる。だから、子供には子供の、親には親の主人公となるメインストーリーが存在する。

というふうに考えると、親自身のメインストーリーの範疇を超えて、子供のメインストーリーに足を踏み込むという行動に恥ずかしささえ感じる。そして何より、メインストーリーの主人公が自分の意思で行動しない物語など見ていてつまらないだろう。失敗しても自分の意思で前を向いて進んでいく主人公の方が魅力を感じると私は思う。子供に魅力的な人間になってほしいのであれば、子供自身のストーリーを子供軸で経験させることが大事になるのかもしれない。

----------------------------------

今回は、親子の物語について書いてみた。子供の人生は子供自身のものなので、逆に私自身も自分の人生を胸を張って生きるように努めていきたい。そして、そんな姿を子供に見せることで、子供自身が自分人生を大事にし胸を張って生きてほしいと思う。

ではまた!!

いいなと思ったら応援しよう!