マガジンのカバー画像

告白

7
日記のように、一人の人生を追体験するように、自分の経験から一つの小説を作り出すことをコンセプトに公開しているマガジン。更新停止中
運営しているクリエイター

記事一覧

なりたかったもの

 僕が自由だと思っていた時間は、いつか終わりが来るという点で、完全な自由ではなかった。

そのことにようやく気付いたのは、高校に入る前だった。

 決しての内で明るい希望を持っていたわけではなかった。
家の中にいると、何をしていても劣等感があった。なぜ周りと同じように学校へ行けないのかと、自分を責め続けた日もあった。

それでも、どうして学校に通えないのかの答えは出なかった。そこに正当な理由はなか

もっとみる

血だらけの指

初めての記憶は、目の前のものに熱中しているところだった。

幼稚園に入る前の僕は、プラモデルで遊ぶのが好きで、作っては遊び、その度に壊して、また新しいものを買ってもらい、作り、遊んでいるうちに壊した。
不思議と、壊れていくのは悲しくも虚しくもなかった。寂しさはあったが、手で触って、動かして遊んでいるのだから、壊れていくのが自然だと思っていた。
プラレールやトミカもあったが、それも少しずつ壊れてい

もっとみる

学校に行かなかった日にしていたこと

僕には、人より自由の時間が沢山あった。

部活に入っていなかったとか、学校の時間が短かったとか、そういう日常の中の積み重ねではなくて、一日の中で他人や組織に時間を取られることがなかったのだ。

僕が学校には行かなくなっていたからだ。

中学生になってから半年が経って、宿題が終わってない中、夏休みは終わった。

僕は、宿題が終わっていないのにも関わらず、図々しく学校に通う自分の姿を想像することが難し

もっとみる

インターネット教育

 僕が始めてコンピュータに触ったのは、小学5年生のときだった。

家族共用のパソコンを父が買ったからだった。OSはVISTAで、デュアルコアCPUを積んだ32bitのコンピュータだった。父はパソコンに詳しくないくせに、コンピュータが好きで、Windows2000と、WindowsXPのノート型マシンが一台ずつ家にあった。父の字でメモが書いてある紫色のフロッピーディスクが机の上に散らばっていたのを、

もっとみる

初めて学校に行かなかった日

 以前、僕は学校が嫌いであると書いた。それは今でも変わらない。なにかがきっかけで嫌になったのかと言われれば、そうでもない気がする。僕はきっと、生まれたときから学校が嫌いだったのだ。
"学校"という言葉にあえて縛られるのであれば、初めて学校を休んだのは小学生のときだ。だが、僕の学校嫌いの土壌は幼稚園のときには出来上がっていた。みんなに合わせて日常を過ごして、先生の言うことを聞く。幼い僕にとっては、幼

もっとみる

吹奏楽部に入った話

僕はスポーツ系の部活動をしたことがない。僕は小さいころから運動するのが苦手だった。

小学校のころ、背が高くてサッカーが上手い男の子がいた。

僕は憧れていた訳じゃなかったけど、少し妬ましく思っていた。無謀にも、僕は休み時間の間に、彼の足からボールをフェイントで奪おうとした。「そんなんじゃ取れないよ」そんなことを言われて、僕は何も言い返せなくて、悔しさで黙り込んだ。

ボールに触れることすら出

もっとみる

小学校を抜け出した話

僕が小学生のころ。

僕は学校が嫌いだった。
大学生の今でこそ、単位を落とさずに通うようにはなったが、学校は僕にとって、行けば行くほど疲れる上に、大した知見も得られない場所だった。
どれくらい頻繁だったのかは覚えてないが、もし1週間休まずに学校に行くときがあれば、褒められたり自分で達成感を感じたりしていた。特に嫌いだったのは道徳や社会だ。

今考えれば、常識に従わせようとする悪意のようなものに敏感

もっとみる