なりたかったもの

 僕が自由だと思っていた時間は、いつか終わりが来るという点で、完全な自由ではなかった。

そのことにようやく気付いたのは、高校に入る前だった。


 決しての内で明るい希望を持っていたわけではなかった。
家の中にいると、何をしていても劣等感があった。なぜ周りと同じように学校へ行けないのかと、自分を責め続けた日もあった。

それでも、どうして学校に通えないのかの答えは出なかった。そこに正当な理由はなかったのだ。ただ怠惰であるだけで、完璧を目指そうとしたあまり、自分の輪郭は少しずつこぼれ落ちて、形も、色も、すっかり分からなくなってしまっていた。

僕はアニメーションが好きで、あるとき夢を持った。


 声優になりたい。

アニメーションにはどんな形でスタッフが関わって作られているのかは、想像がついていた。エンドロールのクレジットを眺めて、役割を名前から想像したり、インターネットで調べた。そう難しいことではなかった。絵を描く人がいて、それを編集する人がいて、監督する人がいる。そして、そこに声を吹き込む人がいるということはすぐにわかった。

僕には絵が描けなかった。絵を描くことで成功したことは一度もなく、趣味で練習していたこともなかった。字も上手くなかった。習字で金賞を取っていた優等生の女の子のことを思い出して、妬ましく思った。アニメーターは選択肢から外れた。

編集がどういうことをするのかは想像がつかなかった。インターネットで検索しても、書かれていることを理解するための知見が足りなかった。だから、できる限り想像した。きっと描いた絵を元に動かすのだろうから、これにも絵を描くスキルが必要だ。人の絵を見るのだから。編集は選択肢から外れた。

何人か、有名なアニメ監督の経歴を調べた。生来のアニメーターが多かった。絵コンテを自分で描いていたり、イメージボードが描ける人ばかりだった。監督は選択肢から外れた。


 こまで調べたとき、アニメーションは絵を描いている人たちによってできていることを学んだ。彼らはみんな美術的なスキルがあるのだ。そんなものは、僕にはない。絵は描けない。底の深さは透けて見えるようにわかった。だから今から絵を練習したいという気持ちにもならなかった。畑が違うという直感があった。僕はアニメーション制作に関わるのは無理かもしれない。


 キャストはどうだろう。声は、僕にでも出すことができる。演技は、どこかで学べばうまくできるようになるかもしれない。声優なら、きっと僕にでもできる。声質なんて関係ない。僕にだけしかできない演技をやってみたい。そうだ。声優になろう。僕が学校に行ってなかった間を埋めるためにも、誰かに存在を証明するためにも、僕は声優になって、名前を売ることで復活を果たすんだ。


僕は不登校の間に、着々とそんな野望を育てていった。


僕には、役者がどういうものなのか、そのときは分かっていなかった。

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