小学校を抜け出した話


が小学生のころ。

僕は学校が嫌いだった。
大学生の今でこそ、単位を落とさずに通うようにはなったが、学校は僕にとって、行けば行くほど疲れる上に、大した知見も得られない場所だった。
どれくらい頻繁だったのかは覚えてないが、もし1週間休まずに学校に行くときがあれば、褒められたり自分で達成感を感じたりしていた。特に嫌いだったのは道徳や社会だ。

今考えれば、常識に従わせようとする悪意のようなものに敏感だったのかもしれない。
とにかく幼い頃の僕は学校なんて嫌いで、楽しく行ってるようなやつの気持ちなんて分からなかった。
勉強が出来なかった訳ではない。
テストの点が90点を下回れば僕は気にしたし、九九を覚えることなんか楽しくて仕方がなかった。

友達と話すのが楽しい、って言うやつもいたけど、話が通じる友達がそもそもいなかった。趣味が合わなかっただけなのか、マセていたのかは分からない。
友達が少なかった訳じゃないし、友達と話すのが嫌いだった訳でもないけど、話しているといずれ疲れてきて、一緒にいるのが苦痛になってくる。
だから僕は、一定以上は仲良くなる必要がないと思ってすらいた。
友達と一緒にトイレに向かうやつらの気持ちなんて、僕は分からなかった。

学年のあるとき、僕は嫌いな学校を抜け出したことがある。
すごく悪いことをした気分になったことを、今でも覚えている。
先生を嫌っていたわけでもないし、友達がいなかったわけでもない。いじめにあっていたわけでもない。
それでも、僕は学校を抜け出したかった。僕は学校が嫌いだった。
その気持ちだけで、僕は学校を抜け出したのだ。

日の中で一番長い休み時間が終わって、グラウンドからみんなが教室に帰っていく中、僕は教室とは反対方向の正門に歩いていった。
共犯者はいない。僕一人の、単独での犯行。
外に出ていた先生たちも、中に入っていく。数人の先生が校庭を見回る。
誰か怪我して動けない人がいるかもしれないし、それは必要なことだろうと子供ながらに思った。
だけど今の僕にとっては、悪魔の手先か、あるいは神の使いのように見えた。

正門の近くにある、緑色の大きなウサギ小屋の裏にしゃがみ込んで、僕は良心の見回りをやり過ごした。
そうしている内に、グラウンドには一人も見えなくなった。
僕は正義を退き、悪となったのだった。
みんなは教室に戻って、つまらない次の授業で出席を取られていることだろう。

悪は得だと思った。

はドキドキしながら、正門の近くのコンクリート壁を乗り越えた。
壁とは言っても、肩ほどもないそれを乗り越えるのは容易だった。
厚みがある壁に手を付いて身体を押し上げ、右足をかけて壁の上に乗り、僕は外に降り立った。

この時間に、学校や家の外に出たことはない。僕は禁忌を侵しているような気持ちになった。
自転車に乗る主婦が怪物に見えたし、警察官は僕のことを探し回っている気さえした。

コンクリートで隔たれていた外界は、魑魅魍魎が跋扈する世界だった。それでも僕は走り出した。

歩くと捕まってしまう気がしたから、僕は立ち止まらなかった。

Y字路になっている校門の前の交差点。

歩道橋を渡り、赤くて大きな文化会館を過ぎて、僕は小道に入った。

ここは住宅街こそあれど、車がほとんど通れない裏道だ。
友達の家に行くときに教えてもらってから、僕は好んでこの道を通っていた。
裏道なら怪物と遭遇する確率も低い。
だけどここからが問題だ。
この道を抜けたら、大通りに出る。そこで怪物に捕まってはいけない。

僕は大通りに出る前に、近くの信号を確認して、変わるギリギリまで待った。肩で呼吸しているのが分かった。

信号が変わった瞬間、僕はまた走り出した。

だがここは交差点だ。僕の家に向かうには、対角線上にある道へ渡らなければならない。
そのためには、少し待って、怪物たちと目を合わせないようにやり過ごさないといけない。
信号待ちにはママチャリに乗る主婦と、スーツを着たおじさんがいた。

僕はどうしようか迷って、僕自身も怪物として過ごすことにした。
彼らが、僕を人間だと思わないように、僕の身を偽装するのだ。
信号待ちの間、僕は怪物になり切った。
なにか使命を与えられているかのように、周りの怪物たちとは目を合わせず、ただただ信号が変わるのを待った。
自分は人間じゃないと言い聞かせ続けた。

信号はすぐに変わった。僕は走り出した。
僕が人間であることがばれているかもしれない。早くこの場所から逃げ出さなくてはならなかった。

便局の前を通ろうとしたときだった。
奥から手前に歩いてくるサラリーマンが、僕のことを見ているかもしれないと思った。
このままだとすれ違ってしまう。

郵便局の隣には隙間があった。建物と、それを取り囲む壁の間。僕はそこに隠れた。身体が小さかった僕でもぎりぎりなくらいの狭い隙間に、僕はカニ歩きで入った。
なるべく縮こまらないといけなかった。僕が

シェルターに隠れている間、怪物の影はゆらりと近づいてきた。
こちらを向かれたらどうしよう。怪物は僕を見つけたら、容赦なく手を伸ばすだろう。

影がシェルターの暗がりとくっついて、それから剥がれた。

僕は何とか、多くの怪物たちを退けたのだった。

こから家までは遠くなかった。

僕の冒険は終わったのだった。家に着いたときの母親の驚く顔を、昨日のことのように覚えている。
だけど、学校でどれだけ騒ぎになったのかは覚えていない。

僕と僕の周りに残ったのは、嫌いな学校に一泡吹かせてやったという優越感と、正門の近くのコンクリートの壁に出来た垣根だけだった。
今考えれば、学校で騒ぎにならないはずがない。
休み時間に生徒が一人いなくなったのだ。誰にも言わずに、ただいなくなった。

心配性な先生の中には、誘拐されたと考えた人もいただろう。
でも僕は、自分なりに冒険をしていただけだった。

それは誰にも邪魔されない冒険だったから、多くの人が羨んだだけなのだ。

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