浪人時代の私が17年越しに起こしたちょっとした奇跡のおはなし
嘘のようで嘘じゃない、本当のおはなし。
1ヶ月ほど前のある日、業務関連の連絡で埋まっていた私のメールボックスに、なにやら気になるタイトルのメールが届いた。
件名:「ただの思い出話ですー」
見るとそれは本当に感謝してもしきれないくらい、当時お世話になった高校の恩師からの突然のメール。卒業後も何度もお世話になっていたものの、とても久しぶりだったので
「なんだろう?」
と開いてみると、そこには17年前に本当に必死になってあがいていた頃の私の記憶とともに、その時起こった奇跡が書かれていて、私は目の前が滲んで見えなくなってしまった。いろいろと悩んでいたところに、過去の自分からエールが届いたようで、その後も泣きじゃくって当時を知る夫に、うわーーーん!と泣きついた日のことをちょっと書いてみようと思います。
0点の答案
私は小学生の時、所謂「先取り教育」をされていて、小学校のテストではほぼ100点しかとったことのない生徒だった。解けるのが当たり前。だってもうずっと前にやってるから。正直なところ学校での勉強は自分の進度からいつも遅れているので、授業もテストも軽んじていた節があることは正直否めない。
ただそんな私にも小学校高学年ごろから反抗期がきて、「先取り教育」は立ち行かなくなり、中学後半あたりからだんだんと難しさを感じ始め、高校2年の時についに授業についていけなくなる日が来たわけです。
忘れもしない、高校2年の夏休み明け。
数学の復習テスト。
数学教師の呆れ顔。
そして手元には、【0点の答案】。
いくらなんでも、0点はないでしょと。
漫画じゃないんだから。
でもそこにはあったんですよね、【0点の答案】が。
自分の中で、小中の記憶から「勉強は得意」さらに「数学は超得意」という思い込みが出来上がってしまっていたところを、ついに現実をつきつけられ認めざるを得ない状況になり、私は初めてこの時に危機感を持った。
教科書を一から読み直し、
クラスで一番頭の良さそうな人に教えてもらい挑んだ中間試験。
あの時の呆れ顔の数学教師を見返してやろうと意気込んだそのテスト。
いざ、返却の時、教師から
「お、今回は頑張ったじゃないか!やればできるんだな!」
と言われて『ほらやればできるんだから!見返してやった!えへん!』と答案を覗き込むと、
今度は27点の答案が。
いやもう笑えなかった。この頃数学も物理や化学もどんどんどんどん先に進んでいって、どこから理解できなくなってしまったのか、どこで足を踏み外してしまったのかもわからない状況。本当に絶望と焦りに飲み込まれた、忘れられない瞬間だった。
物理は赤点だらけの高校時代
そんな状況の中で、無論物理だっていい点数が取れるわけがない。なにせ物理と数学は切っても切り離せないし、さらに物理の概念自体が自分にとって新しく、言われた通りに解いているつもりなのに全く正解できない。最初こそギリギリだったものの、記憶の限りでは高校2、3年の間、学校の物理のテストで赤点しかとった記憶がないのである。
その時の物理の先生というのが3年間クラス担任を受けもってくださった、本当にすごく生徒想いの物理を愛している素晴らしい先生だった。本当に授業はすごく工夫されて熱があってこれでもかと面白いのに、数学でつまづいてしまっているためについていけなくなってしまったことに3年間すごく心苦しい思いを持ってた。
でもそこで、私は先生に、
「先生。私、今塾で1年おくれて物理を一から学び直しています。授業にはついていけなくなっちゃったけど、絶対にあとからしっかり追いつくから。先生の授業がわからないわけじゃなくて、数学でつまづいちゃっただけなんです。学校のテストはずっと赤点かもしれないけど、ちゃんと追いつくまで見守っててください!」
こんな風に伝えたことを覚えている。どうしても誤解されたくなかったし、かといって焦って追いつこうとすることが逆効果な気がしたから。
でもそこで先生はわかりました、と言って、その後も赤点を取り続ける私に対して全然注意したり、急かしたりすることもなくて、最近はどんな感じですか?と時々様子を聞いてくれた。今この分野まで来ましたとか言うと、なるほどなるほど、とうんうん頷いてくれた。
ある時は、先生に安心してもらうためと、自分でも力試しがしたかったこともあって、先生に過去問をもらいにいって解いてみたことがある。
「先生、1年前の期末のテストくれませんか?今なら解ける気がするんです」
先生はおおおお、もちろんですよ!とすぐにテストをくれて、採点もしてくれた。思っていた通り、当時赤点を叩き出したテストも、高得点をしっかりとることができるようになっていた。ちなみにあとから先生からこんなふうに過去のテスト問題をもらいにくる生徒は、後にも先にも谷本さんしかいなかったですよ、と聞いた。
そんなことを繰り返していた私が、まさかの決断をする日が来るんです。
「先生、私、物理学科を受験します」
当時の私の数学や物理の成績を見たら、何をばかなことを、と言われても仕方がない決断だと思う。でも私は遅れて学び直した物理という学問の世界に少しずつ少しずつ惹かれ、まさかの大学でも物理を学び続けたいと思うようになり、「私、物理学科受験する」と言って親も驚かせた。
0点の答案を叩き出した時の教師にも「お前本気か?」と言われたし、自分でも無謀なことを言っている自覚はあったんだけど、そこでせっかく見つけた初めて知った学びの楽しさを諦められず、進路相談の時に担任の物理の先生にもそれを伝えた。すると
「いやあ、素晴らしいと思います。明夢さんなら、大丈夫」
学校のテストではその時もまだ赤点ギリギリ取っていたと思うのに、先生は笑ったり、疑ったり、止めるどころかそのまま素直に応援してくれたのは本当に忘れないし、こんなに有難いことってないなと今でも思っている。だってこの時先生が後押ししてくれなかったら、もしかしたら今の自分はなかったかもしれないんだから。
「先生、私の物理の理解が深まってるか確認して下さい」
私は現役の時は残念ながら志望大学に合格できず、一浪することになった。ただその頃にはやっと追い付けていなかった範囲も全て追いつき、自己流ではありつつも物理を徹底的に理解するために難しい問題も原理からしっかり考えたり簡単な問題でもとにかく丁寧に現象を解きほぐしながら向き合って行った。
一浪して受験を目指す大学はかなり物理の問題のレベルも高い。ただ私は英語や国語、また化学でも高得点を取れる方ではなかったので、とにかく一点突破戦略。物理だけは誰にも負けないくらいに理解して、どんな問題でも解けるようにならないとと必死に勉強していた。
そんな浪人時代、もう高校は卒業していたんだけど、夏休みや冬休みといった長期休みには、高校時代のその恩師の元へ行って、こんなことをお願いしていた。
「先生、私の物理の理解が深まってるか確認して下さい」
とにかく力試しがしたかったし、赤点を取り続けていた高校時代の恩師に、その実力を試して欲しかった。本当に先生のことを信頼していたので、先生が出す問題をもし完璧に解くことができたら、きっと受験の物理の問題だって解けるはず。一種の願掛けだったのかもしれない。
その時に出してくれた問題がこれ。3つの物体が糸に繋がれている。真ん中の物体に初速度vを与えた時、この3つの物体はどのように動くか。(細かい設定はざっくりの記憶)
そして私はこれを、とにかく徹底的に解く。を目標にしていたので、真ん中の物体の静止系における運動方程式を解くやり方、エネルギーや運動量の視点から解くやり方、などいくつか考えうる回答を全て書いて、先生に提出した。
「おお、すごい。あってます!いやあ、明夢さん成長しましたね。」
私はこの時初めて、物理に対して自信が持てるようになった気がする。ずっと赤点ばっかりとって、それでも物理を選択してこれでよかったのかなと思わないこともなかったけど、尊敬する先生のお墨付きをもらって、
「あの問題が完璧に解けたんだから、ちゃんと落ち着けば解けない問題なんてない」
そんなふうにお守りのようにその時の問題と答案を心に持ち、見事その年の受験では志望校のみでなく、受験した大学全てほぼ物理(と数学)の一点突破で合格。
高2の夏に数学で0点をたたきだし、物理で赤点を取り続けた私が
志望大学であった東京工業大学に通うことができるようになった。
この記憶は、この後の人生においても本当に0からでも本気で取り組めば絶対に成し遂げることができるんだってこと。誰かが「無理だ」と言うようなことでも、自分が信じることができたら、たった1人でも信じてくれる誰かがいたら、それを乗り越えていけるんだってこと。それを私に教えてくれたし、その後のチャレンジの時にもずっとずっとこの経験が私を支えてくれていたことは間違いない。
恩師から届いた17年越しのメッセージ
それから17年の月日がたち、私も2人の子供を持つ親になり、日々忙殺されていく中で届いたそんな恩師の先生からのメッセージには、こんなことが書いてあった。
・私が当時、東工大の受験前に「物理の理解が深まってるか確認して下さい」と訪ねてきて解いた問題を、それ以降ずっと【縁起がいい問題】として
以降先生が高校3年の担当となった時に後輩たちに解かせていたこと。
・そしたら、なんと2021年の東工大入試において、
全く同じ問題が出題されたということ!
(まさに私が受かった大学)
・生徒から
「縁起がいいって、ここまで縁起がいいんですか?」
「あっという間に解き終わって時間余った!」
と感謝の声が届いたこと。
・あのとき、私がこの問題をちゃんと解けたことが
高校(そして大学)の後輩たちの幸せに繋がったと言うこと。
・物理に苦労する生徒たちから
「今からでも物理理解、深まりますか?」って聞かれるたびに
根拠をもって「全然大丈夫!」って答えられたということ。
・・・・こんな奇跡みたいなことってあるかな?
これを読んで、ただただ涙が止まらなかった。
17年前の私は、本当にただただ必死だっただけ。誰かのためにとか、世の中のためにとか、もちろん全く考えてもいなければ、自分の未来すら不安と葛藤で見えてなんてなかった。
高校時代もいろいろうまくいかないことも多く、私は特に学業面において【もがいていた】という記憶がものすごく強い。絶望的な状況からはいあがるためにどうしたらいいのか一瞬目の前が真っ暗になりつつも、か細い光へ向かってとにかく一歩、一歩と向かっていたそんな時代。
・・・でも確かに私の人生の中でも1、2位を争うくらいに本当にがむしゃらに頑張っていた時であることは、今振り返っても間違いないと思う。
「自分の未来のために、努力するんだよ」
受験中きっと誰もが言われたり、考えたりしていることだと思うし、私もそう思って頑張っていた。誰かのためではなく、自分の未来のため。誰かとの戦いじゃなくて、自分との戦い。
でも17年経って、このメッセージを受け取って、
「必死になって頑張ったことが、思いもよらないところでほんの少しでも誰かの役に立っているなんてことがあるんだ。私は自分のためだけに頑張っているつもりだったんだけど、そんなことなかったんだ」
と、そう思うようになった。
もちろん今回母校を受けた後輩たちに起こったことは、全て彼らが本当に努力して手に入れたもの。それは間違いないし、私が居たからできたわけでも何でもなくて、その結果は彼らがこれまで頑張ってきた結果そのもの。
でも"私"に起こったこの出来事は、やっぱり奇跡と呼びたくなるものだった。先生がこの問題を出し続けてくれていなければ、東工大でこの問題がちょうど先生が高校3年を受け持っているタイミングで出題されることがなければ、私は世の中で知らないうちに存在しているこんな不思議で素敵な人と人の繋がりを知ることはできなかったんだろうと思うから。
きっと今日もどこかで
あなたが頑張って切り拓いた道を、
きっと誰かが歩いている。
本当にがむしゃらに頑張っている時、ふと人は孤独を感じることも少なくない。
でもきっと、過去も未来も現在もひっくるめて、私たちはいつでも1人じゃないのかもしれない。
私が当時頑張ったことが、こんなふうに自分の知らないところで誰かが頑張っているその礎になることができていた。
その事実がただただ嬉しくて、あの頃の自分に、
「今あなたが頑張っていることで、未来にちゃんと誰かの幸せに繋がってるよ。がんばって。」
って、伝えてあげたい気持ちになった。
そんな私の身に起きた、宝物のようなちいさな奇跡のおはなし。
すべての頑張っている人に、届きますように。