内観する力と心のセルフケア
今まで自分が取り組んできたジャーナリング、瞑想、走る中で自分と向き合うことって、
「内観」って言葉でまとめられるなって気づきました。
「内観」
それをテーマに発信、活動を行っていこうと思っているところですが、
そのはじめとして、僕の中で内観が心のセルフケアに結びついたこと、内観の力についての整理をしてみたいなと思います。
外的要因では変われなかった自分
いつからか自分を変えたい、心のモヤモヤ解消したいって思うようになって、自己啓発本を手に取るようになり、今の悩みを解消「できそうな」内容に出会った時は、解決した気になってるけど、すぐにモヤモヤ再発する、そしてまた別の自己啓発本を手に取る。そんなことを繰り返していました。
うつになって、心療内科で薬もらったり、カウンセリングでどんなにいいこと言われても一向に症状改善しない、心の変化なかったんですよね。
薬での治療は色々なものをもっと試せば効果あったのかもしれないけど、大きな改善がなく。
なんか心療内科の先生も信用できなかったし、他人からのアドバイスや助言を素直に受け入れきれなかった。自分のことなんもわかってないくせにって思った。
そんな素直じゃない自分に自己嫌悪したし、こんなだからダメなんだって思った。
うつが辛い時、人と話すのも苦痛、人と会うこと考えると辛い、外に出たくない、人怖いってなってたから、他人に頼ること、話し聞いてもらうこと大切ってわかるけど、他人と交流したくないって気持ちが強くありました。
そんな感じでどうやったらうつ治るんだろうって絶望していた時期もあった。
内観が心のセルフケアに
結局誰も信じられなくて、自分の世界にこもることにして、たまたまジャーナリングというか当時書くことで気持ちが軽くなることに気づきました。
それから、書くことを続けて、最初は自分が気持ちが楽になる言葉を書いてたりしたかな。「自分は自分、他人は他人」とか「大丈夫、少しずつ良くなっていってる」とか。
自分の欲、こうなりたい、こうしたいってことも結構書いてたかな。
自分の気持ちを書き連ねて発散する場、自分を表現する安全安心な場を見つけた気がして、すごく心が軽くなりました。
瞑想も始めて、湧いてくる思考への意味付けから苦しさ生まれてるって客観的に見れるようになったのも心軽くできた部分でもあります。
そういう内観がうつのどん底から抜け出せたきっかけになりました。
すぱっと快方したってことはもちろんないけど、それから時間をかけてだんだんと自分のうつの面と上手く付き合うことができるようになってきた。
考え方もだんだんと、素直ではない自分、やりたいことに貪欲な自分、人を信じてない自分、そんな自分でいいやって思えるようになっていきました。
家族も信じていない自分、孤独を感じている自分、それがしょうがないけど自分かなと。
綺麗事もわかるけど、心が拗ねてるから素直に受け取れない。
自分の傲慢さ、他人を受け入れられない面、どうせ理解してもらえないって気持ちがあること、そんな色んな自分の面との付き合い方を覚えていった感じがします。
こんなふうに自分の色んな面に気づくこと、それらを自己受容できたことが心のセルフケアになって、人生の中での大きな転機となりました。
内観する力の偉大さ
外に答えはない、自分の中に答えがあって、それに出会えるのが内観。
外から持って来た、提供される答えってその場しのぎ的。
外の「答えに見えるもの」に依存、囚われていくと自分が薄くなっていく感じがあります。
ずっとその場しのぎをし続けるしかなくなる。
これであってるのかなどうかなって正解求めて非常に不安になってしまう。
今は内観していて自分の中に「答え」があるってすごく実感できている。
「答え」といっても、それは完璧に人生に幸せをもたらしてくれるような絶対的なものではないけど、
今どうありたいかであったり色んな面を持つ自分との「折衝点」を見つけることができるというか。
迷いが少なくなる、勇気が湧いてくるって表現がいいんですかね。
人間関係についても、楽とまでは言わないけど、少なくとも自分の軸がはっきりした分、苦しまなくはなったと思う。
自分を取り繕う、包み隠そうとは思わなくなった。
頭の中、心の中には形を持っていないものがたくさんあって、それに形を与えてやるとエネルギーに変換されるというか自分を表現するものになる感じがあります。
ジャーナリングはそういったものに文字として形を与える。
瞑想はそういった形を持っていないものを落ち着かせる、観察することで形を掴むことができる。評価をせずに眺めることで本質を知れる。
そういった内観する力って偉大で救いがあるものだなと思います。
その内観する力について、自分自身もっと高めて、広めていきたいなーと思っています。
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