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本が好きなのに本屋さんに行きづらくなった。

「本屋さんになりたい。」
書店に入るたびに何度も思ったことがある。

気付いたときには、それが「研究者になりたい」あるいは、「物書きになりたい」に変わっていた。

そんな私が、今では大規模な書店以外、足を踏み入れるのを躊躇うようになってしまっている。

本好きから研究の道へ

幼少期から、いわゆる本の虫。
部屋にあった本は読み尽くしたし、地域の子供図書館の本にもほとんど手を付けた。
何回読み返すことも厭わないし、年間何万ページ、何百冊と読むことも苦ではなかった。

小学校時代に、周りに読みたい読む本がなくなってしまい、大人に相談したときに、大人用の図書室へと案内された。
そして、ある時には、ついに父の書斎の本棚に手をかけた。
その時に感じた「自分が広がる感覚」を今でも忘れない。

難解な文体で書かれていたが、私はなんとか読み進めたらしい。
気づけば、歴史を、哲学を、政治を、経済を、世界を知った。

あの頃の読書体験がなければ、今だって活字を追いかけないし、こうして文章も書いていないだろう。
それは、一枚一枚ページを肌で感じ、触れるからこそ得られた経験なのだろう。

気づけば、もっと知りたいという想いは、「なにか新しいことを知りたい、真実を追求したい、人に伝えたい」という想いへと変わり、私は小学生にして研究者志望となった。

それが、私の大学院進学の原点である。

大衆化される知識と、物事の本質

最近、本屋さんに行くとため息が止まらない。

目に見えてわかる。本が売れていないのだ。

昔からあった駅ナカの書店は、文房具エリアが拡張し、ビジネス本と自己啓発本、あるいは漫画だけが山積みにされている。

職場の仲間と書店に赴いても、皆が「意識高い系」の本へと突進していく。
90年代以降の自己啓発本ブームに始まり、今では「スキルアップ」や「数字でわかる」といった論調の本ばかりが飛ぶように売れていく。 

このステイホームで「読書が好きです!趣味です!読書にチャレンジしました!」という声は少し耳にした。
でも、このステイホーム期間のベストセラーは、夏目漱石ではなかった。カフカでもユゴーでもなかった。滝沢馬琴なはずもなかった。

誰も、今からフーコーは読まないし、アレントにも触れないし、面白がってSF小説を読まない。
小説が好きな方が手に取るのはまさにトレンドの小説家ばかりだし、いわゆる文豪の話で盛り上がれる人にはなかなか巡り会えない。

あるいは、我が国の現状ですら、一次情報を確認していない。ネットニュースやまとめ記事で知る人も多い。
書物だって「4行でわかる」とか「5分でようやく!1冊理解」なんてものに人気が集まる。

つまり、何だか厚みがないのだ。
一億総中流の時代も、もう終焉を迎えている。
みんながみんな、均質化して下降している。

それは経済だけじゃない、知識も思考も、何もかも「人間の豊かさ」が失われている。

本屋さんが嫌いになりそう

昔は、「本屋さん」が大好きだった。
新しいものに出会えると誰でもワクワクしていたのに、それなのに。

駅ナカにあればフラっと立ち寄ることが日常だった私が、本屋に足を止めづらくなってしまった。
行くとしても、池袋のジュンク堂書店や三省堂書店、東京の八重洲ブックセンターのような大規模な店舗である。

少し先にも触れたが、駅ナカにある本は売れそうな本ばかりだ。新しいめぐりあいは限りなく少ない。
そして、そのような書店の並びを見ていると、「私」あるいは、「あるべき人物像」がわからなくなる。

それは、まるでこう言ってるように聞こえるのだ。
「私はいつもスキルアップの努力もしてる!
 プログラミングも資格習得も大切!
 物事はデータを見れば本質が理解できるし、
 政治のことはやっぱり池上彰でしょ!
 小説って言ったら東野圭吾、池井戸潤!岩波文庫って何?」

時事問題も、地域政治の問題も、「反日」「嫌韓」そんなものばかりが立ち並ぶ。多様な立場となると政権批判しかない。専門書も一握りしかおいていない。

すなわち、書店自体が「実用」「スキルアップ」を標榜する空間へと変貌を遂げたような印象なのである。
本が売れない時代。売れるためには仕方がない。

それでも、そのような空間では、自分を異質に感じてしまい、足を踏み入れることすらためらってしまうのだ。

それでも、やっぱり本が好き。

そんなことを嘆いていても。
本は好きだ。
本を読んでいる自分が好きなのでもなく、読書という動詞が好きなのでもない。

できるのならば、紙の本が一番だ。
帯の文句から気になった本を手に取り、ページを捲り、目次に胸をときめかせ、購入するところから、新しい学問の扉は開かれているわけなのだから。

その出会いを失うわけには行かない。
大規模な書店に立ち寄れば、勿論この出会いはある程度は保証されている。
しかし、いつかは「本が売れない」の波がもっと拡大してしまうかもしれない。

そんな事象に対する危機感と、不安感が私の筆を急がせた。

どうか、価値ある本は残し続けてほしい。
出会う機会を減らさないでほしい。
難しくても、新しい「教養」に出会っていく人が増えていってほしいのである。

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