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安部公房(1967)『人間そっくり』の読書感想文

安部公房の『人間そっくり』を新潮文庫で読んだ。文庫版の初版は1976年である。福島正実の解説によれば、もとは早川書房から1967年に日本のSFシリーズの一冊として出版されたものだという。

というわけで、この作品は、SFではあるが、決して奇想天外な展開はない。

主人公は『こんにちは火星人』という週6日の帯番組の脚本家(構成作家)の男性である。そこに火星人を名乗る男がやってくる。禅問答のようなやりとりが続くだけかと思いきや、パワーバランスが微妙に崩れ、形勢逆転が起き、正気と狂気の境目があいまいになっていく。

私たちは自明であることが、自明ではなかったことを知らされるのを嫌う。被害者でレジスタンスのつもりだったのに、実は加害者で体制側にいる人間だと知ったときに衝撃を受ける。

人間の立ち位置なんてものは、いつでも揺らぐ。常に揺らいでいるが、当人は気が付かなったり、気が付かないふりをする。真実と嘘は容易に入れかわる。それは慎ましく生きている小市民にとっては、恐ろしい事態である。

『人間そっくり』なのは、こいつではなく、私なのか。

「けっこうですねえ、お茶は……お言葉に甘えて、そう、ぼくは紅茶……紅茶ってやつは、いちばんごまかしがきいて、無難な飲み物でしょう……緑茶や、コーヒーなんかとちがって、大衆品だろうと、高級品だろうと、レモンと砂糖をたっぷり使えば、ほとんど区別がつかなくなりますからね」

『人間そっくり』新潮文庫 p.45

火星人を名乗る男は、安価なティーバッグも高級茶葉も、人間も火星人も、現実も寓話も大差ない、と言う。そこに希望を見出すのか、絶望を抱くのかは、そのときの心理状態によって違ってくるだろう。私はできれば、その境界でぷかぷか浮かんでいたい、と思っている。

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