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篠田桃紅(2015)『一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』の読書感想文
篠田桃紅の『一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』を読んだ。2015年に幻冬舎新書から出された一冊だ。
篠田桃紅(しのだ とうこう)は美術家で、1913年3月28日に生まれ、2021年3月1日に亡くなった。108歳まで生きた人だ。
ある種の箴言集として読める。忘れたくない箇所を引用しておきたいと思う。
自由という熟語は、自らに由ると書きますが、私は自らに由って生きていると実感しています。自らに由っていますから、孤独で寂しいという思いはありません。むしろ、気楽で平和です。(p.15)
なにかに夢中になっているときは、ほかのことを忘れられますし、言い換えれば、一つなにか自分が夢中になれるものを持つと、生きていて人は救われるのだろうと思います。仕事に夢中になったり、趣味に夢中になったり。宗教などに夢中になるのもそうだろうと思います。
人はみな、なにかにすがっていたい、どこかによりかかるものがほしい。その一役を買ってくれるのが、なにかに夢中になることだと思います。そして、芸術、スポーツ、宗教など、さまざまなものを生み出しているのだと思います。(p.69)
私の仕事は、絵を描くことですが、何時から何時まで描く、と決められません。描いているうちに、夜が明けてしまうこともあります。毎日、自分勝手な生き方をしています。
規則正しい生活が性に合う人もいるでしょう。計画を立てないとならない事情も、ときにはあるでしょう。しかし、あまりがんじがらめになると、なにかを見過ごしたり、見失っていても、そのことに気がつきません。(p.82)
私の日々も、無駄の中にうずもれているようなものです。毎日、毎日、紙を無駄にして描いています。時間も無駄にしています。しかし、それは無駄だったのではないかもしれません。最初から完成形の絵なんて描けませんから、どの時間が無駄で、どの時間が無駄ではなかったのか、分けることはできません。なにも意識せず、無為にしていた時間が、生きているのかもしれません。
つまらないものを買ってしまった。ああ無駄遣いをしてしまった。
そういうときは、私は後悔しないようにしています。無駄はよくなる必然だと思っています。(p.88-89)
これくらいが自分の人生にはちょうどよかったかもしれないと、満足することのできる人が、幸せになれるのだろうと思います。(p.93)
著者を何度かテレビで見かけ、100歳を過ぎて、これだけ明晰に話せるものなのかと驚いたことがある。
著者の筆致には、気負いがないので、すんなりと言葉を受け止めることができる。この本にはライシャワーやロックフェラーといった人たちとの交流も描かれ、彼女が歴史の中を生きてきた人なのだということがよくわかる。
そして著者は、お姉さんとお兄さんを幼いときと若い頃に亡くしており、運命によって命がさっと奪われてしまった(p.150)と述べている。
魂が自由であること。つまり、自分自身が自由であると感じられること。それが一番大事。誰かに縛られたくないし、誰かを縛りたくもない。ただ、一番厄介なのは、やっぱり自分だ。人並でないことを理由に自分を批判したり、すぐに誰かと比べてしまう。そうすると、心の安寧を保つことはどんどん難しくなっていく。
「わたしのことなんて誰も気にしていない」と思うとひどく恐ろしくなると同時に、とてつもない気楽さが込み上げてくる。その気楽さが「自由」であるような気もする。
著者のように「個人」として生き抜いた人は、ロールモデルでもある。もちろん、彼女は才能があり、有名人で特別だったからできた、と言われればその通りなのだが、それだけの理由ではないと思う。
そして、それぞれの暮らしの構成人数は常に変化する。誰しも「個人」として生きる可能性はある。「別れ」や「離別」と無縁な人はいない。だからこそ「個人」という単位でも、何ら問題なく生きられる社会がきたらいいな、と思っている。
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