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クーリエ・ジャポン編(2021)『新しい世界 世界の賢人16人が語る未来 』の読書感想文

クーリエ・ジャポン編集の『新しい世界 世界の賢人16人が語る未来 』(講談社現代新書)を読んだ。

なかなか豪華な面子が揃っている。

第一章 コロナと文明
ユヴァル・ノア・ハラリ 「私たちが直面する危機」
エマニュエル・トッド 「パンデミックがさらす社会のリスク」
ジャレド・ダイアモンド 「危機を乗り越えられる国、乗り越えられない国」
フランシス・フクヤマ 「ポピュリズムと『歴史の終わり』」

第二章 不透明な世界経済の羅針盤
ジョゼフ・スティグリッツ 「コロナ後の世界経済」
ナシーム・ニコラス・タレブ 「『反脆弱性』が成長を助ける」
エフゲニー・モロゾフ 「ITソリューションの正体」
ナオミ・クライン 「スクリーン・ニューディールは問題を解決しない」

第三章 不平等を考える
ダニエル・コーエン 「豊かさと幸福の条件」
トマ・ピケティ 「ビリオネアをなくす仕組み」
エステル・デュフロ 「すべての問題の解決を市場に任せることはできない」

第四章 アフター・コロナの哲学
マルクス・ガブリエル 「世界を破壊する『資本主義の感染の連鎖』」
マイケル・サンデル 「能力主義の闇」
スラヴォイ・ジジェク 「コロナ後の偽りの日常」

第五章 私たちはいかに生きるか
ボリス・シリュルニク 「レジリエンスを生む新しい価値観」
アラン・ド・ボトン 「絞首台の希望」

『新しい世界 世界の賢人16人が語る未来 』目次より

2021年1月に出版され、新型コロナウィルスによって社会に急激な変化が起きているさ中に行われた世界的著名人に対するインタビュー集である。わくわくしながら賢人たちの言葉に耳を傾けるべきなのだが、2022年7月22日は、日本の新型コロナ新規感染者数は20万975人で過去最多であり、まだまだ続いていくのだと思うと、憂鬱である。

ユヴァル・ノア・ハラリは、大学はオンライン授業に反対する教員もたくさんいたが、大学が閉鎖となり、オンライン授業に移行した。この流れは、コロナが終息しても、元には戻らないだろう(p.12)、と述べている。

気候変動(地球温暖化)問題をテーマに著作を発表しているジャーナリストナオミ・クラインは、週4日労働にして生活をスローダウンさせようというニュージーランドには理解を示すが、イギリスのように出かけることを奨励する国(p.106)に対しては懐疑的な態度を示している。

2022年7月現在に思うことは、普通の人々は、イギリス寄り(首相を辞任したボリス・ジョンソン寄り)であったのだな、ということである。みんなが元の生活を取り戻すために必死になっているような気がする。

(アカデミックな世界がオンラインに難なく移行できたのは、そもそも学問は不要不急であり、それなりに教員と学生双方にオンライン環境が整っていた、というのが大きいだろう。双方向でない、大教室の講義形式の授業だって少なくなかったはずだ)

市井の人々は、元の仕事のやり方、元の食事、元の飲み会、元のお祭り、元の音楽フェス、元の人付き合い、元の出会いに戻ろうとしている。失われた二年間を取り戻すため、外に出ている。これ以上、失いたくない、損をしたくない、我慢したくない、という感覚があるのかもしれない。

人々が社会の恒常性を保とうしている。それは「経済を回す」というような言葉で表現されたりもする。人は人とつながらずにはいられないし、それを我慢したくない。人類の習慣や行動原理がたった二年で変わる、変われると考える方がおかしいのかもしれない。

もちろん、統計やデータがあるわけではないので、印象論に過ぎないのだが、「ニューノーマル」な生活スタイルを誰もが確立できているわけではないし、確立しようと思わない人々もいる。

イギリスやアメリカでは、マスクもせず、スタジアムで野球、野外の音楽フェスが行われているが、それは感染者数、死者数が減ったからではない。感染のリスクは知っているが、もう構っていられない、ということなのだろう。

わたしは、コロナ前も、コロナ後も、基本は一人行動。そもそも、誰かと何かを一緒にやるという習慣がなかった。子どもの頃から、同調圧力や学校が嫌いで協調性はなく、苦もなく通えるようになったのは大学からで、誰かと何かを一緒にやりたくない。そう、わたしはずっと前から、一人で勝手に「ニューノーマル」な暮らしをしていたのである。世間ではそれを「ぼっち」とか「友達のいない人」と呼ぶのだが、まあ、正直、全然平気なのだ。

なので、わたしのようなプロのぼっちが、動かずにはいられない人、孤独に苦しんでいる人たちに、説教ができるかというと、できないと思う。常に誰かと一緒にいたい人、群れることが好きな人、誰かとつるまないとやっていられない人の気持ちや行動の理由がまったくわからないのだから、何も言えない。だから、何も言うまい。社会の中にいる一粒として、事の成り行きを見守るしかない。

本書で印象に残ったのは、ダニエル・コーエンが「豊かな気持ちになれるのはたくさんの本を読んで知識を得られたと思うとき(p.137)」と述べており、随分素朴な人だなあ、と思った。そんな人の教え子が、ピケティ、エステル・デュフロ、エマニュエル・サエズ、ガブリエル・ズックマンだと知って、びっくりした。

そして、ナオミ・クラインが指摘しているとおり、家が安心できない場所である人々(p.109)にとって、この猛暑とコロナは、精神的にも、肉体的にも、かなりきついと思われる。行政にSOSを出せるときに出してほしい。何とかやり過ごそうとしている人は、無料で使える公共施設などをうまく使って、逃げてほしい。そう、猛暑もコロナも、弱者に痛みが直撃するのだ。やっぱり、感染者数や死者数だけでなく、ありとあらゆることに影響が出るので、楽観視することはできない。

平時に準備、そして平時に余裕がないと、緊急時にはまったく対応できないのだな、と改めて思う。

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