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ロクサーヌ・ゲイ(2017)『バッド・フェミニスト』の感想

ロクサーヌ・ゲイの『バッド・フェミニスト』を読んだ。翻訳は野中モモ、出版社は亜紀書房で、2017年に出版された本である。

著者のゲイは、地方大学の教員として働いている、いわゆるインテリ女性である。

だからこそ、彼女は自らを『バッド・フェミニスト』と名付けたのだろう、と思う。読み進めるうちに、彼女が「バッド」だとは全然思えなくなっていく。

ゲイ自身の体験や日々のこと、それと文化がさまざまに交錯し、それは一貫性がないようにも見えるが、どこかでつながっている。確実に、彼女を媒介として、コネクトされ、読者に提示される。

ゆえに本作品は、エッセイとも違うし、文化批評とも違う。しかし、1973年生まれのアメリカで暮らす黒人女性の大学教員が日々思い巡らせていることを私たちに教えてくれる。この読書体験は、同時代性というものを強く感じられる。

黒人の視点を通せば、話題の感動作品も、見逃すことのできない欠陥を抱えていることをゲイは指摘する。それは、とても大事なことだ。黒人は、そのほかの人種を満足させるためだけに存在しているわけではないのだから。アクセサリーや小道具ではない。感動ポルノはうんざりだと表明するのは、必要なことなのだ。

わたしにとって最もショッキングだったのは、「性暴力の軽率な語り方」の章である。11歳の少女が18人の男に集団レイプされた事件をニューヨークタイムズの記事が、「18人の男の子たちの将来が奪われた」というニュアンスで報じた。そのことに、彼女は失望する。アメリカでも、リベラルなニューヨークタイムズでも性犯罪を軽いことだとみなしてもいい、という雰囲気があることに、わたしも驚いた。

もし文庫化されることが決まっているなら、引用されている映画や音楽、小説の作品リストを補足くれたらな、と思う。

ベッドに置いて、パラパラ読んでもいいと思う。とても情報量の多い本だった。近いうちに再読したい。

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佐藤芽衣
チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!

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