時の用には、鼻をそげ
愛犬 "エル" の旅立ちを文字にして心の整理をしています。
思い出話は尽きませんが、今回で記事は完結です◎
それでは、前回の記事の続きです。
1.旅立ちと現実。
「腎臓病の子は寒がりだから、温めてあげてね。」
獣医さんにそう言われていたので、なるべくエルの身体が冷えないようにいつも配慮していました。クーラーの温度設定にも気をつけ、たくさんのバスタオルや柔らかいひざかけをお布団がわりにしていました。
そんんなエルを、旅立ったとたん冷たい保冷剤で冷やさなければならなかったのが、とても心苦しかったことを覚えています。
ですが、目と、口を閉じてあげると、その表情はとても穏やかで。まるでニコッと笑っているように見えました。
本当に、よく頑張ったね。5年も、戦ったもんね。
小さい体で、本当に、よく頑張ったよ。えらかったね。
単身赴任で遠方に住む父と、仕事の転勤で北海道に住む弟に泣きながら電話をしました。土曜日だったので、父はすぐに繋がり、エルの旅立ちを報告しました。
弟は仕事中だったようで繋がらず、LINEにメッセージを残しました。
その後は、近くの動物霊園に連絡を取り、母の代わりに事務的ないろいろをこなしました。その間も、エルのそばを離れることは1度もありませんでした。
2.時の用には、鼻をそげ。
18時頃に、仕事を終えた弟から電話が入りました。
ビデオ通話でエルの旅立ちを伝えました。
弟も、仕事で実家を離れる数年前までは、ずっとエルと一緒に暮らしてきました。成人の男の子が、仕事終わりのスーパーの駐車場で大泣きしている姿は、何だか痛ましくて見ていられませんでした。
「明日の11:30から、火葬場に連れていくよ。」
「分かった。まだスーパーの駐車場だから、とりあえず家に帰るわ。」
そう言うと弟は電話を切り、その後なかなか連絡がつかなくなりました。
母と、「どうしたんだろうね?まだ家につかないのかな?」と心配していた時、電話が鳴りました。
「札幌空港、最終便のった。0時20分に地元の駅に着くから迎えにきて。」
早口でそう言うと、電話はすぐに切れました。
そうです。弟は、エルに会いたくて。翌日の仕事を半休にしてもらい、職場からタクシーで空港まで飛ばしてもらう車内で最終便の航空チケットをとり、飛行機に飛び乗ったのです。
わたしと母は驚きました。
けど、それほどまでにエルに会いたかったんだと。どうしても、お見送りをしたかったんだと。
きっと、最終便で当日の航空券は高額だったことでしょう。人員不足の職場で、今日明日のスケジュールを調整することは大変だったことでしょう。
どんなご縁か、わたしが持っているヨーガのカレンダーの今月のお言葉は、「時の用には、鼻をそげ」でした。
この言葉は、急を要する大事な場合には鼻を切り落とすような手段でもとったほうがよい、という意味の教えです。
まさに、弟は鼻をそぐような思い切った行動をとることで、2度と戻ってこない今この時に、全てを費やしたのだと。
そんな優しい心を持った弟を、心から尊敬した瞬間でした。
3.肉体との別れ。
夜中の0時半ごろに、弟が家につきました。
彼は静かにエルの隣に横になり、冷たくなった体をひたすらに撫でていました。
夜はエルが大好きだった2階のベッドにエルを連れて行き、みんなで寝ました。
毎晩、気持ち悪くて途中で起きちゃったね。不安で眠れなかったよね。その度に、わたしも母も起きて体をさすったね。
今日は、みんな、ゆっくり寝ようね。
朝が来ると、近所の犬友達のママや母の友人がお花やお菓子を持って会いにきてくれました。本当に、みんなに愛されて、エル、有り難かったね。幸せだったね。
当時、祖母が亡くなった時に良くしてくださった仏教のお坊さんがおっしゃっていました。「故人は、亡くなってから24時間は聴覚だけは聴こえていると仏教では教えられていますよ。たくさん話しかけてあげてくださいね。」と。
エルの隣で、話しかけながら。涙と、笑顔と。思い出話に花が咲きました。
それからお花を買いに行って、車で火葬場に向かいました。
最期は、たくさんのお花と、お菓子を入れて、見送りました。
エルの肉体が燃えてなくなってしまうこと、最初はとても悲しかったんです。
ですが、調べていくうちにヨーガではこのように考えると知りました。
ヨーガでは、死ぬと魂が肉体から抜け出るそうです。それは、まるで衣服を着替えるように、軽やかにお世話になった衰えた肉体を脱ぎ捨て、魂は自由になるそうです。そしてしばらくの間、近くにいた後、幸せな、愛の記憶とともに魂は新しい肉体に宿っていくそうです。
「なんだ、エルはもう、そこにはいないんだね。」
そう思うことで、わたしの心は随分と救われました。
「エルはもう、お世話になった体を自分で動かすことができないから。代わりに、わたしたちが、お世話になった体に有難う、とお別れしなくちゃね。エルの魂は、きっとわたしたちと一緒に肉体を見送っているはずだよ。」
母にも、弟にも、そのように伝えました。3人とも、火葬場で崩れ泣くことはなく、しっかりとエルの肉体にお別れを伝え、お骨を拾うことができました。
エルは、最期まで4本のシマシマの細長いおもちゃを持っていました。2本はわたしが寂しくないように、旅立った後に顔の近くに置いてあげました。あと2本がどこを探しても見つかりませんでしたが、エルを火葬台に移動させる時に、お腹と背中に大切にもっているのを見つけて、思わず涙が溢れました。
母と、わたしと、弟が1本ずつ持っていき、1本はエルの祭壇に置こうと決めました。
4.これからも、よろしくね。
弟は、飛行機と仕事の事情でお骨を拾うとすぐに、またタクシーで空港へと帰って行きました。
エルの最期に、一緒にいてくれて本当に有り難う。とても、心強かったよ。
それから初七日に当たる1週間は、わたしと母は静かに過ごしました。
時間が来るとエルの散歩カバンを持って思い出を語りながら散歩に行き、7日目の夜はエルが好きだったお野菜のスープを作りました。
写真を現像し、写真たてを買ってきて、祭壇を作りました。
連れて返ってきたお骨と、エルが最期まで持っていたシマシマのおもちゃ、着ていた服やリード、大好きだったおやつ、散歩道に生えていた草。そして、たくさんのお花を飾りました。
エルが使っていたたくさんのお布団やタオルを綺麗に洗濯し、お世話になった獣医さんにご挨拶にも行きました。
1つの節目である四十九日まではいろいろなものはこのままに、母とエルとの思い出をたくさん話しながら、静かに、慎ましく過ごして行きたいなと思います。
5.最期に。
長い、長いnoteを読んでくださって、有り難うございました。
そして、たくさんの励ましのお言葉や、優しい温かい声援をいただき、本当に有り難うございました。
初七日を迎え、今は気持ちも落ち着き、少しずつでも、少しずつでも。エルのためにも、前に進めるような気がしています。
写真を見返すと、嫌そうにツーショットを撮ってくれている写真が何枚も出てきて、涙ではなく、ついつい”くすり”としてしまうほどには、元気を取り戻しています。
ふとした時にまた、寂しくなることはあるかもしれませんが。
ヨーガはわたしの心を救ってくれましたし、エルの体を最後まで優しく緩和してくれたのは、東洋医学・鍼灸の知識でした。
エルとの思い出を大切に抱きしめながら、ヨーガや鍼灸を学んでいくことがわたしの使命と受け取りました。
どんなに辛いことがあっても、明日は必ず来る。
そして、側にいてくれる大切な人との時間は、刻一刻と過ぎていく。
自分の人生に置いて、何が1番大切か?を、ぎゅーっと抱きしめて!最期のその時まで自分の足で歩いて行きたいなと思います。
最後まで読んでくださって、有り難うございました。
それでは、また、次回。