母の発達障害によって叶わなかった私のシンプルな願い
こんにちは、やつ子です。
思春期に感じていた
親への恥ずかしさ。
この前noteにちょっとだけ書いて
その事についてもう少し書きたくなりました。
今日は母に対しての心のドロドロ吐き出します。
さらに文章としてもまとまっておりませんので
途中から100円のカギをかけます。
よかったら無料のとこだけでも
読んでって下さい。
◆
例えば
友だちと一緒にいる時に登場する自分の親。
「余計なことしないでくれ…」って
思いませんでしたか?
私は思ってました。
父の場合は、
率先して場を仕切るような
目立つ振る舞いをすることが嫌でした。
ただ、本音の本音では…
恥ずかしいながらも
気の効いたひと言で場を盛り上げる父を
コッソリ誇らしくも思っていました。
「もう~あっち行ってよ!」なんて言いながら
友だちウケは良かった。
今思うと、父は社会性がありました。
私の友人にも “人付き合い” を
してくれていたように思います。
問題は母です。
父のそれとは違う種類の恥ずかしさ。
周りから自分がどう見られるか
この辺を正しく捉える事ができないのです。
「発達障害なんだからしょうがない…」は
今日は言いっこ無しです。
愛着障害と向き合うための通過点だと
思って下さい。
「子どもみたい」
これ、褒め言葉ですか?
例えば普段はしっかりしている人が
何か特定の事をしてる時だけ、
“夢中になる”
“はしゃぐ”
“屈託なく笑う”
こんな人なら
「子どもみたい」は
褒め言葉かもしれません。
ギャップ萌え的なやつです。
でも母はいつでも子どもみたいなんです。
些細な事に夢中になる…
優しくかまってもらえたらはしゃぐ…
屈託なく大笑いする…
「え?別にいいんじゃない?」
って思う人もいるかもしれませんね。
私は嫌なんです。
客観的な視点が欠けている人の
屈託のない笑い方って
どんなのかわかりますか?
小学生が笑いが止まらなくなってる感じの
あの笑い方、
笑い袋っていう物があったのご存知なら
それをイメージしてもらうとわかりやすいです。
あとは林屋パー子の高笑いかな。
これらを頭に浮かべてもらって
もう1度書きますね
いつも屈託なく笑うんです。
小学生ならかわいいですよ。
大人でも
たまに「子どもみたい」になった時とかなら、
逆に一緒にいると
心を開いてくれた気がして
こっちも楽しくなるかもしれない。
母は他人から見たら
天然、ドジ、ちょっと変わった人です。
他人は気をつかってくれます。
大人なのでね。
だから天然やドジは
場が盛り上がるんです。
いつも母が主役になる。
何をするにも注目をあびる母。
それが嫌でした。
嫉妬心かもしれません。
ここから有料にします。
母へのドロドロ感情が出てきます。
親との関係が良好な人には
しんどいかもしれません。
親に向かって…という正論は理解しています。
でも愛着障害と向き合うには
必要なプロセスだとも思っています。
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